第4話 龍神の子
二人は帰宅すると、岳斗の家で一緒に風呂に入った。それは、試合後のルーティンだ。
岳斗の家の風呂はぜいたくな造りで、大理石の内装に、大きな浴槽、龍の飾り蛇口からは絶えず湯が流れ出ている。まるで、温泉宿の浴場に入っているようだ。
岳斗も天記も風呂に入っている間、まったく何もしゃべらなかった。
風呂から上がると、二人は岳斗の家から天記の家に移動した。隣り合う二軒の家はお互いの庭でつながっている。
庭を抜け、天記の家の玄関ではなく、掃き出し窓から直接家の中に入った。
既に岳斗の家族である二宮家の人々は皆、天記の優勝を祝うためのパーティーで神堂家にいた。
そもそも今日は天記の誕生日である。二つの家族は、いつもお互いの家の祝い事には行き来して、パーティーをする。それほど仲が良かった。
家の中に入ると、岳斗の母親のルミ、父親の岳夫、祖母の千恵、それと今年三歳になる妹のミミ、それから、真紀と希々の六人がすっかり盛り上がっている。
後から入ってきた二人に、岳夫がビールの入ったグラスを持って、ご機嫌な様子で声をかけた。
「遅いぞ~!待ってたんだ!」
二人が料理を目の前にして腰を下ろすと、その後は乾杯したり、食事を楽しんだり、希々が今日の対戦相手である山田美由の悪口を、ここぞとばかりに大げさに話して、皆を笑わせたりしながら、にぎやかに過ごしていた。
しかし、岳斗と天記は何かを祝うような気分ではなかった。ただ、黙々と食べ続け、誰かに話しかけられてもうなずいたり、気のない返答をするばかりだった。
しばらくして、大人達がいい具合に酔っぱらってくると、頃合いを見計らって岳斗が言った。
「おばさん、今日は天記さんをうちに泊めてもいいですか?」
いつもお互いの家を泊まり合っている。一応確認して二人はその場を離れた。
天記自身は何の確認もされなかったが、逆らう気もない。ただ今日あった事を、このモヤモヤした気持ちを、スッキリさせるにはついて行くしかないと思った。
出ていく二人の姿を、真記とルミが幸せそうな笑みを浮かべてじっと見ていた。
「大きくなったわね、二人共」
テーブルにほお杖をつき、片手にグラスを持っていたルミが真記と顔を合わせて言った。
「天記ちゃんもだんだん男らしくなってきて、今日の試合、
梛人は天記と希々の父親である。希々が生まれて間もなく、亡くなってしまった。
ルミの言葉に、真記は口の端を少し上げて微笑んだが「でもね」と、続けた。
「天記はなんだか頼りないとこがあって……。優しい子だと思うし、いいとこいっぱいあるんだけどね。どうしてか、いつも自信がなさそうで」
いつもちょっとうつむき加減で、あまり人の目を見て話すこともない。そんなところも心配だと真記は言った。
天記自身、岳斗のとなりにいる自分の存在の小ささや、頼りなさを、いつも情けなく感じているようだった。
そして、それを真記も気づいているに違いなかった。
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
岳斗は部屋に入ると電気を点けた。いつもなら岳斗は学習机の椅子、天記はベットの上に座るのが、二人でいる時の定位置なのだが。なぜか岳斗は立ったまま、座っている天記を恐い顔でじっと見下ろしている。
(やっぱり今日の試合、岳斗は納得できなかったのかな?それとも他に悪いことした?)
天記がそんな事を思っていると、岳斗が天記の手を取って座っているベッドから立ち上がらせた。
「天記さん、付いてきてください」
「え、どこに?」
岳斗はくるっと後ろを向くと、壁際の大きな本棚のところまで歩いて行き、本棚の端に手をかけた。
両手でグッと右の方へ力を入れると、本棚がゆっくりとスライドして、その後ろに入口が現れた。
人が二人ようやく入るくらいの小さな空間に、地下へと続く階段が見えた。
「え?なにこれ?どーなってんの?」
「天記さん、さっきから『え』しか言ってませんよ。いいから、付いてきてください」
天記の驚きをよそに、岳斗は階段をトントンと下りていく。
「あっ!待って岳斗」
慌てて天記も後を付いていく。小さな電気が点いてはいるものの、薄暗い階段を降り切ると、岳斗の部屋の真下が結構な広さの地下室になっていた。
岳斗が電気のスイッチを押して、地下室が明るくなると、部屋の全体が見えた。壁には本棚とたくさんの古い書物が積んであり、部屋の真ん中にはいつの年代の物なのか、古いテーブルといくつかの椅子が置いてある。他にも、何に使うのかわからない、たくさんの古い品々が並んでいた。
とにかく天記は驚いて、部屋中をキョロキョロと見回していた。
天記に座るようにうながすと、岳斗は本棚から、古びた茶色の革の手帳を手に取って、天記の反対側に座った。
「ここは何?」
天記の質問に答える様子もなく、岳斗は唐突に話し始めた。
「今から話すことは、天記さんにとって大事なことですから、よく聞いてください」
そう言うと岳斗は、大きく息を吸ってフーッと、吐いた。
「これは、俺の他には誰も知らないことです。この部屋のことも俺以外誰も知りません。父さんも、母さんも知りません。俺は今から天記さんに話す事を伝えるために、死んだじいちゃんからこの部屋を引き継いだんです」
そして岳斗は、次に信じられないことを口にした。
「天記さん、あなたは龍神の子です」
「今、何て言ったの?りゅうじん……何の話?」
「それはですね。え~、あーっ、もうめんどくせぇ、ちょっと敬語ヤメ!」
岳斗にしてはめずらしく、とても興奮して話していた。
「天記のお父さんは龍神で、ナギっていうんだ」
確かに、天記の父親の名前は
十年前に事故で亡くなったと聞いている。天記と岳斗が二歳の頃で、二人とも顔すらほとんど覚えていない。
驚きすぎてポカンとしている天記に、岳斗は続けて話した。
「ナギは、天記が生まれてくるのをずっと待っていたんだ」
「え、なんで?」
「天記に、自分の持っている力の全てを与えるために」
「ちから?」
もはや聞き返すことしかできない。
「ナギは、天記が十二歳になる今日まで、その力を封印させていたんだ」
「なぜ?」
「小さな子供には、扱えるような力ではないからさ」
「俺、まだ子供だけど」
「そーですね」
ちょっとバカにしたように岳斗が言う。
「俺もずっと半信半疑だったんだ。今日の試合の時までは」
「……」
「天記もちょっとはおかしいいと思ったろ?ちょっとじゃないよな?すげぇ、変だと思わなかったか?俺に最後の面打った瞬間、見たんだよ。お前の目、青く光ってた。人間の目じゃなっかたよ」
「……」
「それに,コテの内側ビリビリだったろ?龍の爪だよ。もしかしたら角が生えたり、牙が生えたりするかもって、じいちゃん言ってた」
確かに、コテの内側はボロボロだった。ではあの瞬間、自分は龍に変身でもしていたというのか。天記は少し恐ろしくなった。なぜならあの時ふと、我を忘れて、怒りの感情しかなくなったからだった。それと同時に、体中が異常に熱くなるのを感じた。全くいつもと違った自分に、一番驚いていたのは自分自身だった。
呆然としながら岳斗を見ていると、岳斗が「手を出してください、右手」と言った。
従うしかない天記は、素直にテーブルの上に右手を出した。
「手を見て。手の平に意識を集中して、『
何のことだか全くわからなかったが、言われた通りじっと手を見て「しりゅう?」と、発声した。
すると次の瞬間、岳斗の言葉を全て信じなければならない決定的なことが起こった。
天記の右手が、ボウッという小さな音とともに、紫色の光に包まれ、その中心からくねくねしたものが浮かび上がってきた。
龍だ。
小さな紫色をした龍が、身をよじりながら、手の平の上でフワフワと浮いている。
二人は目を丸くした。天記はともかく、いつも冷静な岳斗まで、口をポカーンと開けて見ている。
「お~っ!外の世界は十二年ぶりじゃ。いや~、久しぶりじゃのう」
龍がしゃべった。二人はまたしても驚いて、目を丸くした。
「しゃ、しゃべるの?」
岳斗の方を向いて聞くが、岳斗は頭を横にふるふると振って何もわからない様子だ。
「……これ、何?」もう一度確かめる。
「し、知りません」と、岳斗。
「じゃ、どーして右手出せって言ったの?!」
「これに書いてあったんですよ!」
岳斗は、目の前に置いた茶色い革の手帳を指さして言った。
すると、目の前の小さな龍が横から口を出してきた。
「ナギが残した覚え書きじゃ」
自慢げに話しながら、紫龍は天記に左手も出せと言った。
出すしかない。
恐る恐る左手を出すと、今度は『
「せきりゅう」
すると、左手が赤い光に包まれ、小さな赤い龍が現れた。
くねくねと左手の上で踊るように回っていた赤龍は、しばらくぶりに外へ出た喜びで、周りのことなど気にならない様子だった。が、岳斗や天記の視線に気づいたらしく、ピタッと動きを止めると、次にじーっと天記の顔を見た。
「あんまり、ナギには似てないな」
はしゃいでいたことをごまかすように、落ち着いた低い声でぼそっと言った。
「え~と、はじめまして赤龍さん?」
少しづつこの状況に慣れてきた天記が、ようやく自分から話しかけてみる。
「はじめまして、じゃない。私たちはずっとお前の中にいた。もっとも、外側から見るのは初めてだがな」
(なんか……、へんくつだ)
「あの~。俺がその、龍神の子だっていうのはホントなんだね。あんまり信じられないけど。でも、いったい何のために父さんは俺にそんな力を残したの?」
「そうじゃな。まずはナギの話をしなければならんな」
紫龍は天記に、出したままの両手をひっこめろと言った。言う通りにすると、二つの龍は宙にふわふわ浮いたままでいられた。
「消えたい時は勝手に消える。出てきてほしい時だけ呼べばいい」
赤龍が言った。
それから、紫龍が静かに話し始めた。
つづく
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます