第2話 岳斗と天記
新学期の朝。
「あっちー、なんでこんなに暑いんだよ。もう九月なのに」
そう言いながらベッドを下りカーテンを開けると、まだ夏の顔をした太陽がサンサンと輝いているのが見えた。
昨夜は、夏休みの宿題と夜中まで格闘した。ギリギリ間に合ったものの、やはり眠い。天記は眠い目を擦りながら、ランドセルに宿題を詰め込んだ。
トントントンと階段を下り、リビングの時計に目をやると、針がちょうど六時三十分を指していた。テレビ番組の小さなマスコットが、画面の中で『6時30分、6時30分』と、時刻を知らせている。
「あら、おはよう。自分で起きたの？めずらしい」
奥の台所から母親の
朝食を食べながらニュースを見ていると、しばらくして妹の
「なんで起こしてくれないのよー！」
ひとつ年下の希々は性格がきつい。
「目覚まし途中で止めたの誰？あーっ、もう間に合わないっ！」
洋服を中途半端に着替えながら、ランドセルの中身を急いで詰め込む希々。あまりの荒れ様に真記も天記も、希々の言葉には耳を貸さず触れないようにしていた。
「さんざん起こしたのにね。目覚ましも『うるさいっ！』って、自分で止めたのにね」
ボソボソと小さな声で真記がつぶやいた。
用意を終えて希々が食卓に座ったその時、テレビの画面に臨時ニュースを知らせるテロップと、ピロロ～ンという間の抜けた音が聞こえた。テロップには『神社で火災、全焼』と出ていた。
「えーっ。またなの？」
真記が言う。
「今年になっていったい何度目かしらね。全国あちこちの神社が燃えちゃって、やっぱり放火なのかしらね」
「となり、大丈夫よね？」
希々がご飯を頬張りながら、モゴモゴとまるで心配していないような口ぶりで言った。
神堂家のとなりは神社である。とても古い神社で、広い敷地の中に剣道場がある。住職が近所の子供たちを集めて剣道教室を開いているのだが、天記も希々も小さい頃から通って日々稽古に励んでいる。
「天記さーん」
玄関で呼ぶ声がする。となりにある
「おはようございます。おばさん、天記さん」
丁寧にあいさつしているわりに態度が大きい。
「希々、早くしろよ。置いてくぞ！」
岳斗が、食べている卵焼きを一切れつまんで食べながら、希々にだけは横柄なものの言い方をする。
「わかってるし！うるさいし！」
❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎
三人は家を出て学校への道のりを歩きだした。
「行ってきまーす」
学校までは歩いて十分位かかる。細い路地から大通りへ出て、交通量の多い道路沿いを五分位行くと、三人の通う
歩いている途中岳斗が言った。
「天記さん、もうすぐ誕生日ですね」
「あ、うん」
そういえば、九月八日は天記の誕生日である。
二人はまるで兄弟のように育った。物心ついた時には既にいつも近くにいて、家族のような存在だった。しかし、二人は性格や体格、容姿に至るまであらゆることがあまりにも違い過ぎていた。
幼い頃から岳斗は頭が良く、常に成績は上位、運動神経もケタはずれに良かったし、他の同級生にくらべて背も高かった。そして何よりガキ大将だった。いつも近所の子供を引き連れていて、この夏もよく外で遊び、泳ぎにも行ったりしてかなり日焼けし、いっそうたくましく見えた。
「岳斗、また背ぇ伸びた？」
並んで歩く岳斗の通学帽の位置が、一学期の時のそれより高く見えて思わず天記はそう言った。
「伸びたかもしれませんね。昨日の夜、床の間の掛け軸を取り替えろって言われたから、手を伸ばしたら前よりやけに楽でした」
ランドセルを背負っているのが不自然だ。
そんな岳斗が、いつも自分に敬語で接することや、異常なほど気遣うことに天記は違和感を感じていた。なぜかと聞いたことがあったが、上手くはぐらかされて訳は分からなかった。
校門まで来ると、クラスメイト達が次々に声をかけてきた。岳斗は嬉しそうにクラスメイトの首に手を回したり、肩を組んだりして、歩きながらガキ大将ぶりを発揮している。
「おい！この前捕ったクワガタ元気か？ちゃんとエサやれよ。あとで見に行くからな」
「え～っ！ヤダよ。岳斗ぜったい取っちゃうだろ？」
「ばれたか～！」
大げさに笑いながら岳斗は楽しそうにしている。天記の前ではあまり見せないが、いつも斜めにものを見て、ふざけたような言い方をするのが岳斗なのである。
六年一組、二人は同じクラスだ。教室に入ると皆それぞれに宿題を見せ合ったり、夏休みの思い出を語り合ったりしていた。
「おい、知ってるか？となり町の
「知ってる、知ってる。六年の男子でしょ」
「私、同じスイミングスクールなんだけど、
そんな話がクラス中に広まっている時、教室に担任の川野由紀子が入ってきた。教師になって二年目の、明るく活発な女性である。
「おはよう！みんな元気だった？無事に全員の顔が見られてホント良かったよ」
川野も隣町のいなくなった六年生のことを気にしているのだろう。クラスの端から端を見渡して、安心したようにうんうんとうなずき、ニコニコと笑顔を振りまいた。
「さて、宿題集めるよー！」
笑顔で話す川野の言葉はまるで鬼のようだ。その言葉にクラス中から悲鳴があがった。
だが、クラスの騒ぎをよそに、岳斗はひとり何かを深く考えている様子だった。教室がザワザワしている中でも、全く表情を変えずにいる。天記はそれをとなりの席で見ていたのだが、なぜか声をかけることができなかった。
学校の帰り道、二人は近所に住む何人かの下級生と一緒に歩いていた。前の方に下級生が何人かいて、その中には希々もいる。最後尾に岳斗と天記。
しばらく行くと、通学路沿いにある小さな公園の茂みから猫の鳴き声が聞こえてきた。
低学年の子達が声のする方へ歩いて行くと、茂みの中に小さな子猫がうずくまっているのを見つけた。
「小さいネコだよ。赤ちゃんだね」
そう言って、茶色いトラ模様の小さな猫を抱きあげると、どうしたものかと少し考え岳斗と天記のところまで持ってきた。
「かわいいね」
天記がそう言いながら子猫を受け取った時、
「イタッ！」
と、岳斗が声をあげた。
「どうしたの、岳斗？！」
「天記さん、ネコを離して。早く！」
「え、なんで？」
岳斗は痛そうに右手首を押さえながら、もう一度言った。
「いいから早く！」
そう言いながらも待ちきれなくなって、岳斗は天記の手の中から子猫を取り上げた。そしてその時も「イテッ」と、声をあげた。
子猫はおどろいた様子で、岳斗の手の中から飛び降りると、公園の茂みの中に消えていった。
「なんなの、岳斗？」
天記がもう一度聞いたが、岳斗はとても恐い顔をして、質問に答えることなく、右手を押さえながらスタスタと歩き出してしまった。
岳斗には、普段からどんな時も肌身離さず身につけているブレスレットがある。いつからだったろうか、天記が物心ついた時には、すでにそのブレスレットは常に岳斗の右手首にあった。岳斗がそのブレスレットを速足で歩きながらはずしている。
（今日の岳斗、なんか変だ）
心の中で天記はつぶやいた。
つづく
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