第十九話 想いの区切り

 春が来たらしい。中庭の雪壁が少しずつ溶けていく。

 温かい居間で私はエゼルバルドの膝の上に横座りになって話し続けている。


「でね、ヴァスィルに竜の姿で頭を撫でてもらおうとしたんだけど……あれ? この話、前にした?」

「そうだな」

 エゼルバルドは毎日、私の話をずっと聞いてくれている。私が何度も同じ話をしていても笑って頷いている。


「じゃあ、魔女の夢の話をするわね」

 竜の話も魔女の話も、この世界での話はあっという間に終わってしまう。話すことが思い浮かばなくて、私は元の世界の話をし始めた。


     ■


 城の中央にそびえ立つ塔の上部から、赤い竜が飛び出して行ったという報告が使用人から上がってきた。心配になって塔へと向かうとミサキがふらりと扉から出てきて倒れた。すぐに目を覚ましたが、それ以来、ミサキは笑うことが全くなくなった。


 医師を呼び寄せ、魔法でも検査したが体に異常はなかった。ただ、食事を食べようとしない。無理に食べさせると吐いてしまう。


 昼間に塔へ行くことがなくなった替わりに、夜中にふらりと出かけていくようになった。

 どこへ行くのかと止めても嫌と泣き叫ぶだけで理由がわからない。押さえつけるよりも好きなようにさせようと手を離せば、マントを着ることも靴を履くこともなく、夜着のまま中庭を横切って塔へと向かう。ミサキの後ろを付いて行けば、塔には隠し階段があり、部屋と温室があることが判明した。


 ミサキは温室の中央、荒れた地面に立っていた。

 天井から差し込む白い月の光がミサキの黒髪に光を与え、輝く精霊のような姿だった。


 しばらくして、ミサキが崩れ落ちるように地面に倒れた。慌てて抱き起こすと目を閉じて涙を流していた。マントでくるんで寝室へと戻り、汚れた足を拭き着替えさせた。その間、ミサキは人形のように抵抗しない。


 不謹慎な話だが、私はそんなミサキの姿に庇護欲が沸き上がるのが止められなかった。


 何があったのか聞きたいと思ったが、断片的な言葉を拾うだけにとどめて根気よくミサキが話し出すのを待った。というよりも、このままでも構わなかった。


 ただ、食事を取らないことだけが問題だった。

 さまざまな果物や菓子を取り寄せて差し出すが、自分では手を付けようとしない。親鳥が雛に餌をやるようにして少しずつ食べさせたりもしたが、やはり自分の意思で食べることができなければ元の体には戻れない。季節外れではあるが、女性が好むというラドゥルの実を差し出すとようやくミサキが自ら口にして安堵した。


 ミサキから初めて竜の名前を聞いた時、嫉妬する気持ちが無かった訳ではない。ミサキの断片的な言葉を総合すれば、番を見つけた竜が帰ってくる可能性はないだろう。竜を想い泣く姿は、嫉妬よりも庇護欲が強く湧く。ミサキが頼ることができるのは私だけだという満足感と高揚が心を満たしていた。


 今は竜が心を占めているかもしれない。それでもこうやって世話をしていれば、優しいミサキは私を見てくれるようになるだろう。そんな身勝手な打算と希望を抱きつつ世話を続けた。


 正直言って何の変化も刺激もないこの城で、侍女のようにミサキの世話をすることは、ある種の娯楽のような物にも思えた。


 不安に揺れる黒い瞳が堪らなく劣情を掻き立てる。すぐにでも抱きたい欲望を抑えながら聖人君子のように振る舞うという抑圧は最大限の性的興奮を呼んだ。思えば彼女ベアトリクスを抱きたいと思ったことはなかった。触れることもできない炎の華の隣に立てるだけで満足していたように思う。


 繰り返し同じ話をするミサキの姿も見ていて飽きない。この世界で過ごしてきた数カ月、ミサキは毎日火竜と会っていたらしい。竜族と馴染みのない私には、非常に興味深い話が多々あった。


 ミサキの見ている夢についても興味深い。最初の生贄の魔女の記憶だというが、王家の伝承では国への呪いの身代わりを提案したのは王子で、足りない魔力を補助する為に森に一人で住んでいた魔女が生贄として選ばれたとされている。恐らくは王家が都合良く事実を書き換えたのだろう。



 ミサキが眠ったことを確認し、弱いながらも寝室に結界魔法を張った。塔の温室へと向かうべく扉の外にでると不寝番の使用人の他、ジェイクが佇んでいた。

「エゼルバルド様。少しだけお時間を頂けないでしょうか」

「何だ?」

 緊張した面持ちのジェイクから声を掛けられ、私を害しないという魔術誓約書を見せられた。魔術誓約は術師の命を掛ける重いものだ。部屋を替え人払いをするとジェイクが口を開いた。


「……ミサキから遠ざけられた理由は承知しています。……私はエグバード様からミサキを始末するように指示を受けていました。言い訳にしかなりませんが母を人質に取られていました」


「それは……どうして言ってくれなかった?」

 そう口にして後悔した。この城に幽閉されている立場では、外で使える者たちは限られている。告白されていたとして、果たして手を回して助け出すことができただろうか。実際、そのことを理解していたからこそ、ジェイクは私に助けを求めることが出来なかったのではないか。


「母が亡くなりましたので告白する決意をしました。如何様な処分も受ける所存です」

 そう言ったジェイクは、膝を折って片膝を床に着き頭を垂れた。その姿は首を落とされても良いという意思表示だ。


「ミサキを始末して、何を企んでいた?」

「エゼルバルド様が苦しむようにとお望みでした。エグバード様は昔から貴方を憎んでいました」

「そうか」

 エグバードが私を憎んでいるとは薄々気がついてはいたが、考えぬようにしてきた。私の悪い噂を流したのも、周囲の入れ知恵だと思うようにしていた。実の弟から嫌われていたという事実に少しの動揺はあるが、大した衝撃はなかった。


「母君の葬儀はこれからか?」

「親族によってすでに執り行われたそうです。私には知らせないよう手回しされていましたが、昔の友人が密かに連絡をくれました」


「そうか。それは残念なことだ。一度会ったきりだったな」

 頭を垂れ続けるジェイクと同じ空色の髪の儚げな女性だったことを思い出した。


「……これからも変わらず仕えてくれるか?」

「はい。忠誠を誓います」

 ジェイクはその空色をさらに深く下げ、私に忠誠を誓った。


     ■


「ミサキ、晴れているから散歩に出よう」

 頷いて答えるとふわりと抱き上げられた。ずっと城内にいたから外の空気は久しぶりだ。エゼルバルドの腕は力強くて温かい。頼り切って寄りかかると優しい笑顔になった。


「ほら、花が咲いてる」

 エゼルバルドがゆっくりと私を地面に降ろした。


 シロツメクサに似た花が、中庭のあちこちに咲いていた。

 白い花々が温かい春の風に揺れ、空を向いて懸命に咲いている。


「……あ……」

 突然、狭まっていた視界が広がったように思えた。

 そうだ。いつまでも思い出に囚われていては生きていけない。


 ヴァスィルに憧れている気持ちは変わらないけれど、今、この瞬間に区切りがついたような気がする。ヴァスィルは戻ってはこない。現実を見ないとエゼルバルドにも他の人たちにも迷惑をかけるばかりだ。


 もしも元の世界だったら、ここまで辛くは思わなかったかもしれない。仕事をして友達と遊んで、忙しい記憶で悲しみを埋めていけた。


 私はこの異世界で不安と寂しさに苛まれ、心が押しつぶされそうだった。だから現実から逃げるようにヴァスィルに一方的に依存しすぎていたのかもしれない。


 帰る方法を早く探そう。そして帰る前にエゼルバルドやこの城にいる人たちに恩を返そう。


「……白い花、だったのね」

「温室に咲いた花と違ったのか?」


「ええ。ヴァスィルの竜の力を注いで咲いたのは淡いピンク色の花だったわ」

「俺もその花を見たかったな」


「どうして?」

「ミサキが何度も話してくれただろう?」

 エゼルバルドが優しく笑う。


「……そう……だった?」

 あの時からの記憶が曖昧でぼんやりとしていることに気が付いた。……私は少しおかしくなっていたのだろう。


 二人で花畑に座り込んで、花を眺める。白い花はシロツメクサに似ていても、葉っぱは全く似ていない。菊の葉に似た形だ。花を優しく撫でてみたけれど温室で聞いたような音は鳴らなくて、少し寂しい。

「音は鳴らないのね」

「そうだな」


「……私、温室を整えていいかしら」

 ヴァスィルの炎は温室の花畑だけでなく周りの植物も焦がしていた。私が元の世界に戻るまでに、戻しておきたい。

「ああ。一緒に手伝おう。今から見に行くか?」

 エゼルバルドは、また私を笑顔で抱き上げた。

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