動かぬ証拠

 かくして一階にあるロビーに屋敷の者が集められた。霧香に果林、公子に灰塚、そして使用人達が、警部と木場、それに淵川を取り囲むようにして座っている。ある者は不安げな、ある者は好奇心をむき出しにした顔をして、大詰めを迎えた捜査の行く末を見守っている。

「それで、雨宮宗一郎の死が殺人だと断定できる証拠は何だ?」

ガマ警部が口火を切った。普段注目されることなどない淵川は、思いがけず自分が注目の的となったこの機会を喜んでいるように見えた。

「はい!我々はまず車椅子のタイヤの跡を調べました。屋敷から森を抜けて、崖から海に向かうまで、地面にはくっきりとタイヤの跡が続いていました。ただ…、そこに一つ不自然な点があったのです。」

「不自然?」

ガマ警部が聞き返した。淵川は重々しく頷いた。

「はい。タイヤの跡は、崖の端から十センチほど手前で止まっていました。もし事故か自殺だったのなら、車椅子のタイヤ跡は崖の端まで途切れることなく続いていたはずです。しかし、タイヤの跡は途中で途切れていた…。これがどういうことかわかりますか?」

「…被害者が自分から海に突っ込んだわけじゃないってことですか?」木場が答えた。

「その通り!つまり、被害者は崖の端で車椅子を止め、そこで海を見ていただけだった。それを誰かが車椅子ごと突き落としたのです!だからタイヤの跡は途中で途切れていた!」だんだん悦に入ってきたのか、淵川が芝居がかった様子で叫んだ。

「なるほど。誰かが故意に被害者を突き飛ばさなければ、被害者が転落することもなかったということか。」ガマ警部が冷静に言った。

「となると、次なる問題は、あの晩の十時頃、被害者を後ろから突き飛ばしたのは誰かということだが…。」ガマ警部はそこで関係者をじろりと見回した。

「あたくしは違いましてよ。その時間は敏夫さんと一緒にいましたもの。」公子がつんと済まして言った。

「あたしも違うわよ。先生とお母様がその時間に部屋から出てくるのを見たもの。」果林がくすくす笑いながら言った。

「だったら決まりだな。俺ら三人を除いたら、後はもう一人しかいねぇじゃねぇか。」灰塚が意地の悪い顔をして霧香を見た。霧香がこの場から消えてしまいそうな顔をしてうつむいた。

「あの…、警部殿、自分の報告はまだ終わっていないのでありますが…。」淵川がおずおずと口を挟んだ。

「ん?あぁ、そうだったな。現場で何か証拠品が見つかったのか?」

「はっ!実は被害者の車椅子から、二つの証拠品が見つかったのであります!」再び注目を浴びたことに淵川が景気づいて叫んだ。

「その証拠品とは?」木場が尋ねた。

「まず一つ目はこれです!」

警官は高らかに言って手に持った何かを一同に向けて掲げた。それは、水色の包装紙に、銀色のリボンをかけられた小さな箱だった。

「何ですかそれ?プレゼントですか?」木場が怪訝そうに尋ねた。

「どうやらそのようです。車椅子のタイヤに引っかかっておりました。中身を確認しましたところ、こんなものが出て参りました!」

淵川はそう言っておもむろにリボンを解くと、ゆっくりと中身を取り出した。緑色に光る、小さな四角いボタンのようなものだ。

「何ですかそれ。何かのパーツですか?」

「木場、お前はカフスボタンも知らんのか?」ガマ警部が呆れたように言った。

「カフス?あ…、あぁ、もちろん知ってますよ!袖につけるやつですよね!」

木場が慌てて取り繕うように言った。だが『カフス』という単語を口にした瞬間に違和感を覚えた。つい最近、その単語を耳にしたような気がする。

「カフスと言えば…、確かあんたが被害者に用意したプレゼントもカフスじゃなかったか?」ガマ警部が霧香を見ながら尋ねた。霧香が動揺したように視線を背けた。

「え、それじゃあ、このカフスは霧香さんのプレゼントってことですか?でも何でそれが現場に?霧香さんはプレゼントを取りに帰ったはずじゃあ…。」

「そう、問題はそこだ。」

ガマ警部はそう言うと、ずんずんと霧香の方に近づいていってその前に立ちはだかった。霧香が気圧されたように身を引いた。

「あんたはプレゼントを取りに帰るために屋敷に戻り、その途中で何かが海に落ちる音を聞いたと言った。だがプレゼントが被害者の車椅子から見つかったということは、被害者が転落する前にあんたが現場に戻ったことになる。これはいったいどういうことだ?」

霧香は答えなかった。息遣いを荒くしてガマ警部から視線を逸らしている。

「それで、もう一つの証拠というのは?」木場が慌てて淵川に尋ねた。

「これです。こちらは車椅子の背中とクッションの間に挟まっていました。」

淵川はそう言ってカフスよりもさらに小さい何かを木場に差し出した。木場がのぞき込むと、銀色の指輪が淵川の掌に置かれているのが見えた。ヘッド部分に雫の形をした大粒のダイヤがあしらわれている。木場はそれを手に取ってよく眺めてみた。裏側に「S.A」とイニシャルが彫られている。

「これ、もしかして結婚指輪でしょうか?」

「かもしれんな。『S.A』…。宗一郎、雨宮…。おいあんた、これは被害者の指輪なのか?」

ガマ警部が公子の方を振り返って尋ねた。だが、公子は軽く肩を竦めて言った。

「さぁ、どうだったかしら。あたくし、結婚指輪は何年も前にに失くしてしまいましたの。どんな色や形だったなんて覚えておりませんわ。」

悪びれずに言う公子を警部は睨みつけた。この役立たずのふしだら女がー。警部の目はそう罵倒しているように見えた。

「あの…、待ってください。」

不意に誰かが声を上げた。木場が振り返ると、霧香が椅子から立ち上がり、肩を震わせながらこちらに向かってくるのが見えた。

「その指輪…。よく見せてくださいませんか?」

霧香に言われ、木場は不思議に思いながらもその指輪を手渡した。霧香は震える手でそれを受け取ると、目の高さまで持ち上げてじっと見つめた。その顔がみるみる青ざめていく。

「嘘…、まさか、そんな…。」

「どうした?この指輪に何かあるのか?」

ガマ警部がそう尋ねた時だった。霧香が指輪を取り落としたかと思うと、そのままふっと気を失ってしまった。床に倒れた霧香を木場は慌てて助けようとしたが、それより早く使用人達が飛び出してきて彼女を介抱した。身体を起こされた霧香はひどくぐったりとしていて、完全に意識を失ってしまったようだった。使用人達は急いで霧香を部屋に運び、残された者達はぽかんとしてその様子を見守った。

「霧香さん…、突然どうしたんでしょうか。」木場が心配そうに言った。

「わからん。いずれにしても、あの娘にはより詳しい話を聞かねばならんようだ。まぁ十中八九、署に連行することになるだろうがな。」

「それって…。」

木場が恐る恐るガマ警部の方を見た。ガマ警部は顎を引くと、重々しく言った。

「あの娘は間違いなくクロだ。犯行の機会、動機、そして証拠、全てがあの娘が犯人であることを指し示している。雨宮霧香…。どうやらとんだ雌豹だったようだな。」

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