真相

 それから数日後、平静の静けさを取り戻したかに見えた雨宮家の屋敷に、再びけたたましいサイレンの音が響いた。一台のパトカーが勢いよく車体をドリフトさせて停車すると、中からガマ警部が出てきてずんずんと屋敷の方に歩いて行った。後から出てきた木場が転がるようにその後を追う。ガマ警部が呼び鈴を鳴らすとすぐにメイドが姿を現したが、警部の顔を見ると途端に顔を強ばらせた。

「刑事様…?いったい何の御用でしょうか?」

「大事な話があってな。悪いが、この家の者を全員集めてもらえるか?」

「ですが…、奥様も果林様もまだお休みになっておられます。お二人とも、無理に起こすと非常に機嫌が悪くなられるもので、出来ればそっとしておきたいのですが…。」メイドがおずおずと言って警部を見上げた。

「あいにくだが、奴らの安眠よりも重大な事態が起こったもんでな。さっさと叩き起してこい。文句を言ってくるようなら、警察が緊急の用事で押しかけてきたとでも言っておけ。」

メイドはまだ渋っていたが、やがて言われた通りに屋敷の奥の部屋に向かって駆けていった。

「灰塚先生も部屋におられるんでしょうか?」ようやく追いついた木場がガマ警部に向かって尋ねた。

「おそらくな。もう家主はいないんだ。好きなだけこの家で寛いでいるだろうよ。」

ガマ警部が面白くもなさそうに言った。そこで改めて木場の方に視線をやる。

「しかしお前、本当に間違いないのか?あの娘が言ったこと…。」

「はい、事故の記録を調べたところ、確かに霧香さんが言った通りの記述がありました。それに指輪の指紋も富岡さんに照合してもらいましたから、間違いありません。」

「まさかあの事故にそんな裏側があったとはな…。被疑者はどうなっている?」

「今、淵川さん達が当たってくれています。前歴はありませんでしたが、入院先の病院に記録が残っていましたので、そこから住所が割り出せるはずです。」

「そうか。お前にしちゃあ上出来だな。後は俺達で、この事件に片をつけるとするか。」

「はい!」木場が張り切って叫び、二人は屋敷の中へと足を踏み入れた。


 それから十分ほどして、屋敷中の者がロビーに集められた。ソファーに座る公子に灰塚、果林、彼らを取り巻くようにして立つ使用人達、数日前と同じ光景だ。ただ一つ違うのは、そこに霧香の姿がないことだ。

「ちょっとあなた、どういうつもりですの?こんなに朝早くから人を叩き起こして…。あたくし、一日十時間は眠りませんとお肌の調子がよくありませんのよ。今日はまだ八時間しか寝ていませんのに…。」公子がそう言って忌々しそうにガマ警部を見た。

「あいにく俺はいつも四時間しか寝ていない。あんたの肌がひび割れようがこっちの知ったこっちゃないんでな。」ガマ警部が悪びれもせずに言った。

「だがよ、今さら警察が何の用なんだ?あんた達はあの娘を逮捕した。事件はもう解決したんじゃないのか?」灰塚が面倒くさそうに尋ねた。

「俺もそう思っていた。だがこいつはそうは考えなかったみたいでな。」

ガマ警部がそう言って木場の方を見た。木場は頷くと、神妙な顔をして警部の前に進み出た。

「本日は朝早くからお呼び立てしてしまってすみません。ですが、皆さんにどうしてもお伝えしなければならないことがあったのです。」

「俺達に伝えること?」

灰塚が怪訝そうに聞き返した。木場は灰塚の方を見ると、しっかりと頷いて言った。

「この事件の真相です。」


 そこに集まった誰もがぽかんとして木場の顔を見つめた。この若い刑事はいったい何を言っているのだろう。真相も何も、警察は数日前に霧香を逮捕しているではないか。灰塚の言うとおり、この事件はすでに解決している。それなのに、今さら何を伝えようと言うのだろう。そんな考えがありありと見て取れた。

「やっだ、刑事さんってば。事件の真相とか言っちゃって、名探偵気取ってるつもり?そんなことしたって似合わないって!」

果林がバカにしたように笑った。だが木場は真剣な表情を崩さなかった。

「確かに自分は名探偵なんかじゃない。考えていることはすぐに顔に出るし、先入観で物事を見るし、関係者には大抵ナメられるし…。名探偵以前に、刑事として失格だと思う。…でも、そんな自分でも、この事件だけは最後まで諦める気にはなれなかった。何故だと思う?」

木場がそう言って果林を見つめた。思いがけず真面目な展開になり、果林が当惑した顔で木場を見返した。

「それは…、自分がずっと、霧香さんの無実を信じていたからなんだ。最初は先入観だったかもしれない。捜査を進めているうちに、霧香さんが疑わしいと感じることも正直あった。それでも自分には、最後まで霧香さんが犯人だとは思えなかった。でもそんな風に考えているのは自分だけだった。だから思ったんだ。もし霧香さんが本当に無実なら、それを明らかに出来るのは自分しかいないって。だから諦めずに捜査を続けた。そしてとうとう見つけたんだ、この事件の真相を。」

「前置きはいい。とっとと話してくれよ、その事件の真相ってやつをさ!」

灰塚が痺れを切らしたように叫んだ。木場は灰塚の方を向き、それから一同に視線を行き渡らせると、頷いて話し始めた。


「まず…、自分が捜査の手がかりにしたのは、この証拠品でした。」

木場はそう言うと、チャックのついた透明の小さな袋を取り出した。その中に、あの雫形のダイヤモンドのついた銀の指輪が見えた。

「主人の車椅子から見つかった指輪ですわね。それがいったい何ですの?」公子が尋ねた。

「この指輪には『S.A』というイニシャルが彫られています。当然、指輪の持ち主のイニシャルでしょう。指輪が被害者の車椅子から見つかったことや、イニシャルが一致することから、この指輪は被害者のものと考えるのが自然です。ここまでは問題ありませんね。」

誰も何も言わなかった。異議なしということだ。木場は続けた。

「でも自分はそうは思えませんでした。この指輪が被害者のものだとするには、この指輪を見たときの霧香さんの反応が不自然だったらです。だから念のため、鑑識に頼んで指輪の指紋を調べてもらうことにしました。その結果、指輪の指紋は被害者のものと一致しなかったのです。」

「何だと!?」

灰塚が動揺したように立ち上がった。公子も果林も、使用人も、誰もが驚きを隠せずに顔を見合わせている。

「この指輪は被害者のものではありませんでした。となると次の問題は、この指輪が誰のものかということです。被害者以外で、事件関係者の中に『S.A』のイニシャルを持つ人はいません。だったら指輪は事件とは全く関係ないのでしょうか。指輪が落とされた時期が不明な以上、その可能性もあります。ですがそれだと、霧香さんのあの反応の説明がつかない。霧香さんはあの指輪を見て何かに気づいた。指輪の持ち主は、少なくとも霧香さんの知っている人物であるはずです。」

木場はそこで言葉を切った。今や誰もが身を乗り出して木場の次の言葉を待っている。

「ところで、話は変わりますが…、一年前のあの交通事故。被害者はあの事故によって下半身不随になりました。公子さん、その時担当した医師によれば、あの事故で被害者が一命を取り留めたのは奇跡的なことなんでしたね?」

突然話題を変えた木場を怪訝そうに見つめながらも、公子は頷いた。

「事故の原因は、被害者の秘書の居眠り運転ということでした。当時、被害者の会社は新規事業の立ち上げで非常に忙しく、秘書が居眠りをしたのも過労のためだと思われていました。ですが…、事はそう単純ではありませんでした。」

「なに?もったいぶらずに早く教えてよ。」

果林が待ちきれないように尋ねた。木場は小さくため息をつくと、ためらいがちに続けた。

「実はあの事故の遭った日、秘書は睡眠薬を飲んでいたのです。というのも、秘書はその数日前から睡眠不足で悩んでいたらしく、それを見かねた霧香さんが、自分が持っていた睡眠薬を秘書に渡したそうなんです。当時の記録を調べたところ、確かに秘書の体内からは睡眠薬が検出されていました。」

その事実を告白した時の霧香の顔が木場の脳裏に浮かんだ。自分が睡眠薬を渡したせいで事故が起きたのだと言って、心から悔いた表情を浮かべていた霧香。彼女が被害者の介護を文句も言わずに引き受けていたのは、被害者のへの懺悔の気持ちがあったからかもしれない。

「おい、ちょっと待てよ。霧香がそいつに睡眠薬を渡したのはいいとして、何で運転前に飲む必要があるんだ?まるで自分から事故を起こそうとしたみたいじゃねぇか。」

灰塚が抗議するように言った。木場は待ってましたとばかりに灰塚に向かって頷いた。

「そう、問題はそこです。なぜ秘書はわざわざ運転前に睡眠薬を飲んだのか?もちろん自分で飲んだわけではないかもしれない。誰かが被害者と秘書の命を狙って、運転前にこっそり飲ませた可能性もある。でも、誰が?睡眠薬を渡したのは霧香さんですが、霧香さんが飲ませるはずがありません。だってその秘書は、霧香さんの婚約者だったんですからね。」

「婚約者…。」

公子が呟いたが、途端に何かに気づいたようにはっとして口元を手で覆った。

「あなた、まさか…。」

公子が目を見開いて木場を見つめた。口元を抑えた手が震えている。木場は公子にむかってゆっくりと頷くと、一気に言った。

「霧香さんの婚約者、つまり被害者の秘書の名前は藍沢誠二。イニシャルは被害者と同じ『S.A』です。彼は一年前、自ら事故を起こして被害者の命を狙った。そして数日前、被害者を車椅子から突き落として殺害したのです。」

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