第8話 椎名

「本当にいいの? お母さん怒るんじゃない? 」


「いいのいいの。前に見たでしょ? あーやって世話焼いてるのが幸せな人なのよ。お母さん、自分が高校生だった時モデルみたいに綺麗だったからって、ナンパとか多かったりとかして、その感覚で私のこと心配してるみたいなんだよね。普段はぜーんぜん、厳しくもなんともないんだよ? まあ、過保護なことはあるけど、子ども思いのいい母親なんじゃない。今は多少、兄ちゃんの浪人のことで疲れてるみたいなとこもあるから、ちょっと過敏になってるんだよ」


「へー。お兄さん浪人中なの?大変だね。でも、お母さんと仲良いんだ。羨ましいよ」


「そうかな? でもなんだかんだ外泊許してくれたしね。私がいうのも変だけど、いつも頑張ってくれてるし。良い母親だと思うよ」


「ウケる! 仲良しすぎて友達親子見たいじゃん! 」


「まりこってば何言ってんの〜。流石にうちもそこまではないわ〜」


 駅から歩いてそうこうしているうち、まりこと私たちは目的のクラブハウスがある裏通りの古い繁華街に着いた。会場が開くまでにはまだ時間がある。


 普段、この辺りは表通りとはまた違った雰囲気で、用もなければ私やまりこみたいな普通の女子高生は立ち入ることはないと思う。けれど今夜は、クラブハウスが開くまで時間を潰しているのだろうか。派手な若者達がそこいらで屯して、地べたに座り込んではタバコなんかをふかしながら談笑している姿が見られる。


 思わず自分が浮いた格好をしていないか不安になって、真横に面したコンビニの大型ウィンドウガラスに反射した自分の姿をくまなくチェックする。


 ダメージジーンズに、自分が持っている中では一番良いブーツ。普段よりアクセサリーも多くつけて、髪も少しだけ巻いてきた。だけどどこか垢抜けない。


 母に見つからないように試行錯誤して家を出てきた苦労を思うと、ここへこうしてこられたことが奇跡にも思えた。


 一方まりこは、ブルーの単色ワンピに黒いベルトで体のシルエットが浮き彫りになり、いつもより少し大人びて見えた。今流行りのブランドである厚底の黒いサンダルがベルトとあっていて、セミロングのストレートの黒い髪をマットブラックのバレッタでセクシーにハーフアップしており、全体的にまとまってすごくオシャレだった。普段通りの清楚感も醸し出しつつ、ここぞという場で大人っぽさも演出できるまりこはさすがだと思えた。


 学校でのまりこはいつもは黒のタイツ派なので、普段見えないすらっとした足の白い肌とワンピースとのコントラストが周りの目を引きつけているようで、余計に眩しい。


 まりこは慣れていない私に前もって、クラブではドレスコードなんてないからどんな服装でも大丈夫と言ってくれてはいたのだが。周りを見ていると今更ながら場違いなような気がして、途端に居心地が悪くなる。早く会場に入って、人混みに紛れて隠れてしまいたいような気分だった。


 こうして道を挟んで屯しているその他の場馴れした人たちを遠巻きに見ていると、もしかすると私を見て笑っているのではないかと不安になって仕方ない。


「時間まだもう少しあるね。ドリンクサービスはついてるけど、何かコンビニで買ってから中に入ろうか」


「う、うん。そうだね! そうしよう……」

 まりこは周りの大人びた人達にも全く動じていない。慣れているのか全然平気そうだった。私はまりこの後に黙ってついていくことしかできない。穴があったら入りたいとは、こういう状況を言うのだろうか……。


 俯いたまま、後に続いて入店しようとした時。まりこが急に立ち止まったものだから、まりこの背中にぶつかってしまう。


「わっ。ごめん、どうかしたの? 」


「…………あのレジの人、うちの隣の部屋に住んでるんだけど。……最近、ストーカーみたいな手紙が毎日ポストに入ってて、きもいし。それで、実は、あの人のこと疑ってて最近警戒してるんだ」


「えっ。そなの? まりこにはまだ気がついてないみたいだけど? 」


「……ここで働いてるなんて知らなかった……」


 まりこの表情が一気に険しくなった。

 強い嫌悪感が伝わってくる。


「私、買ってくるからさ、まりこ外で待ってなよ。大丈夫だから」


「ほんと? ありがとう。ごめんね、待ってる」


「何か欲しいのあったら、言ってね」


 まりこは不安そうな顔でこくりと頷くと、外へ出て行った。


 頭も良くて綺麗で気立てのいい、怖いもの無しと思われた完璧すぎるまりこにだって、怖いものがあったんだ、と、ここでのアウェイ感に負けてしまいそうだった気持ちが少しだけ和らいだのを自覚した。


 ──こういう時こそ、私がまりこを守ってあげないと。


 店内をううろつく派手な奴らだって、私より数年先に生まれたってだけで何も怖がる必要はないんだ。あんな奴らよりも、まりこの方が断然格上だし、私はまりこの横を堂々と歩く資格があるのだから、何も怖がることなんてない。


 少なくとも今夜は──。


 すぐにまりこからメールで連絡が入った。


『いつものグミが食べたいな〜』


 いつものグミ。

 そう、いつもまりこのそばにいるから、わざわざ言わなくたっても分かるもんね。


 自分用のどこにでもあるようなPETのお茶と、お子様が買わないような少し値が張るまりこのグミを手にレジに向かう。


 お茶とグミって、どんな組み合わせなの?と自嘲気味に突っ込んでみる。


 レジの男は、いかにも浪人生といった感じのくたびれた雰囲気に無精髭が貧乏くさい奴だった。爪も伸びていて汚くて、ささくれがひどい。釣銭をもらう時に軽い抵抗感を抱いてしまう程に。


 こんな男がまりこに嫌がらせを?

 どの分際で?


 私は無言で精一杯、嫌悪の睨みをきかせたが、男は無表情のまま目も合わせない。ここで何か文句一つでも言うことができたなら、どれほど誇らしかっただろう。だけどそのせいで、まりこがより危険な目にあってはならない。


 無愛想な「ありがとうございました」という声に押されて。私は、悔しいけど、そのままコンビニを後にすることにした。

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