第4話 椎名

 高良あいな。


 隣のクラスにいる不良グループのお山の大将。


 下品で馬鹿なのをひけらかし、周りが遠巻きに引いていることを、自分に力があるから一目置かれているのだと勘違いしている女だ。そしてその遠巻きも同類。高良あいなに同調する事で、学年のヒエラルキー上位に位置付いていると勘違いしている。


 どちらかというと、私は高良よりも、その遠巻きどもの方が嫌いだった。


 一人では何も行動を起こせないくせに、群れていないと安心できない卑怯な奴らだから。


 時折、私とまりこが仲良くしているところを見ては、嫌みたらしくまりことの友情を大袈裟にひけらかすために、私とは全く関係のない話をわざわざ近寄ってきて持ちかけてくるのだからどうしようもない。


 そんなことでしか自分の立場を誇示できないのかと思うと、私はそんな彼女らには常々辟易している。


 一方でまりこは、学年の誰とでも仲が良く、見た目や階級に惑わされずに誰にでも等しく接することができる良い子だ。


「悪いねまりこ。いつも頼まれごとを聞いてくれて」


「いいんですよ先生。貴重な休み時間に進路相談まで乗って頂いて、ありがとうございました」


 昼休み、職員室前でまりこと担任が別れたのを見て、廊下の奥から手を振った。


 担任からの雑用を果たし終えるまで、こうして私が待っていたことに気付いらしいまりこが、嬉しそうに笑って小走りで寄ってきた。


「椎名、そこでずっと待ってたの? もうお昼終わっちゃうのに」


「いいよ、二人でお昼食べる約束だったでしょ。ほら、早く行こ? まりこもお人好しすぎるよ。担任の手伝いなんかさぁ。断ればいいのに。別にまりこがやることないんだよ? 」


 私はまりこの手を取り階段に足をかけた時だった。


「あ……」


 引いていたまりこの手がするりと抜ける。


「斎藤くん? どうしたの、びしょ濡れじゃん! 」


 まりこの声で私もようやく振り返る。


 階段に面した渡り廊下から姿を現したのは、同じクラスの斎藤たかひろだった。ばつが悪そうな視線を泳がせながら、斎藤たかひろは不自然に口元を征服の袖で拭った。駆け寄ったまりこはそれがどういうことなのかすぐに察したようだった。


「またあいつらにやられたのね? 」


「…………関係ねえだろ」


 まりこの声色は、心配しているというよりもどこか楽しげで、全身ずぶ濡れの上にリンチを受けた後と思われる斎藤には、泣きっ面に蜂というか、なんというか……いたたまれない。


「口、切れてる! ボクサーみたいでカッコいいじゃん」


 傷を確認しようと顔に触れようとするまりこ。


「うるせえな、ほっとけよ」


 ついに斎藤は距離の近すぎるまりこの手を振り払った。まりこは学年一のモテ女だ。そんな彼女に至近距離で顔を触れられれでもしたら、斎藤だって自分の惨めさに拍車がかかるし、耐えられなかったのだろう。


 彼女の吸い込まれそうな瞳に映る、見るも惨めな自分の存在などは。


「あはは、怒ってるの? そんなアンタにはコレだっ」


 まりこはスカートのポケットから何かを取り出す。剥がして、斎藤の顔に手を伸ばす。


「だからやめ……いてっ」


「口開くと傷が開くよ? ほら君、黙ってはやく着替えてきなさい」


 絆創膏だった。斎藤は伏せ目がちのまま、喧嘩に負けた猫のように背中を丸くして、物言いたげにその場を去っていった。


「……斎藤のやつ、またいじめられてやんの。まりこもひどいねえ。男子にキティちゃんの絆創膏って。しかも顔に」


「えー、無いよりいいでしょ? あれしかもってなかったんだもん」


「そうとはいえさ。優しいんだか、からかってんだか……」


 ほっとけばいいんだ。あんな地味な奴に関わって、まりこが徒党グループの次のターゲットにされたりでもしたら。今度は私が打って変わって斎藤を痛めつける番になるかもしれないな、と考える。


「椎名、屋上だよ! 」


「え? あ、ああ。お昼食べないとね」


 斎藤のせいで時間が押してしまった。ただでさえまりこに甘えすぎる担任の雑用を手伝ったせいで時間が無いというのに。


 まりこは私の手を掴むと足を止めることなく屋上に駆け上がった。何もそんな焦らなくったって、少しくらい次の授業に遅れても、まりこならお咎めなしのはずだったのに。


 屋上で昼食を食べ終えたらしい生徒らとすれ違う。うちの高校は屋上が庭園として解放されていて、昼休みなどには自由に出入りができるようになっている。ものすごい勢いで階段をかけていくものだから、すれ違いざまに皆が振り返っては何事かと訝しんでいるのを感じた。そしてそれが学年一、いや、もしかすると学校一美人で有名なまりこだと気がついたからかもしれない。


 何かの拍子に手が離れてしまわないように、私はしっかり、まりこの手を握り返した。


 解放されたドアをくぐると、風がスカートを巻き上げた。午後の日が目をくらませている隙に、まりこの手がするりと離れた。


「椎名! 用具箱から水撒き用のホースとってきて! 」


「はい? ホース? 」


 返答もせず運動神経抜群のまりこは庭園の転落防止フェンスを華麗に乗り超え、何かしている。私はまりこの意図が測れぬままに、言われた通りホースを用具箱から取り出す他なかった。


「……これ、どうするの? 」


 まりこがフェンスを越えて戻ってきた。もうすぐ次の授業が始まるので、幸いにも私たちの奇行を咎める者は、屋上には一人として残ってはいないようだった。


「水を撒くのよ」


 まりこが当たり前のごとく言い放つ。


「今から? なんのために?」


「今しかないんだってば、よ」


 私の手からホースを奪うと、水撒き用に設置された専用蛇口にホースを繋ぐまりこ。そして蛇口をひねった。


 パタパタと駆け出したと同時にホースの散水ノズルを庭園の外へ放り投げた。それを追うようにまた転落防止フェンスを越えていく。その間数十秒も無い。


「ちょっと。どこに水を撒くつもりなのー!? 」


 蛇口からいっぱいに出る水がホースの中で行き場をなくし、散水ノズルからは水が滴っていた。


「掃除するだけだよ。それじゃあいきまーす。さーん、にー、いーち…………」


 まりこの引き金を引くような動作とともに、水がジェット噴射のごとく宙へ放出された。弾けた水圧から溢れる水滴が、キラキラ太陽光に反射して虹が出た。


 それから数秒後。


 どうにも階下が騒がしい。そして含み笑いをしたまりこがホースを外壁に垂らしたままフェンスを越えて戻ってきたあたりで、私はやっと彼女がしたかったことを理解したのだった。


「まさか、斎藤の仇討ち? 」


「あはははははははは」


 方向からして、まりこが水を撒いたのは渡り廊下の横にある解放テラスだ。そこは最近、斎藤をいじめている奴らの溜まり場になっている。


「行こう椎名。先生来ちゃう」


「このままにしといていいの? 」


「いいのいいの。鍵締めの先生が片付けてくれるって。あーあ、ごめんね。お昼食べ損ねちゃったね」


 まりこが私の手を繋ぐ。帰りは誰ともすれ違わないよう、迂回ルートで自分たちの教室を目指した。


 教室を前にして予鈴がなる。


 慌てて駆け込む。


 教室の窓際には、階下を伺うクラスメイトで人だかりが出来ていた。


「あれ、田辺たちじゃない? 」

「なんか上から水が落ちてきてるんだけど? 」

「あいつらまたなんかやらかしたのかぁ? びしょ濡れじゃん」

「あはは、でもいい気味だわ。最近あいつら調子乗ってっからだよ」

「天罰じゃん、ざまぁ」


 まりこは気にする様子もなくふわりと音もなく席に着いた。


「……やっぱ、お腹もたないかも。椎名、これ」


 私はテラスで無様にずぶ濡れになったの田辺たちの姿を見てみたい気がしないでもなかったのに、まりこはそうでもなさそうで。


「一緒に食べよう? 」


 差し出されたイチゴ味のポッキーの背景に、そんなまりこの無垢な笑み。


「あ、ありがとう」


 なるほど。知らんふりですね。


 私はまりこの斜め後ろの席に着いて、差し出されたポッキーを一本引き抜いた。


 窓際の野次馬の中に、ジャージ姿の斎藤もいた。時たま、ちらちらとまりこの様子を気にしているようだったが、まりこはそれさえ気がつかない。


「おーい、お前らなにやってる」


 教師が呑気に入室してきた。


 せんせえ、田辺達が──。

 上から水が、いきなり──。


 野次馬の説明に教師が深いため息を吐くと、自習をするように言い残して教室から出ていってしまう。


「やった! 自習になった。これでお弁当食べれるね、椎名」


「まりこってば……」


 ふと、斎藤の方に目をやる。口元には律儀にもまだかわいい絆創膏が貼ってあったが、もともと影の薄い斎藤のことなんか誰も気にしていないよう。


 階下の田辺たちがうろたえる姿にも興味が失せたのか、今はもう教室の中は授業が自習になったことに色めき立つばかりである。


 ……あーあ。斎藤の分際でまりこを意識するなんてさ。


 これ以上、まりこに変な虫がつきませんように……。


 堂々と机にお弁当を広げたまりこに、周りの生徒が気がつくやいなや声をかけ始める。まりこはいつもと変わらない様子で談笑しながら、周囲も温かい目でまりこの少し遅めの昼食を見守っている。


「椎名は食べないの? 」


 まりこが不意に後ろを向いて私に話しかけてきた。


「なんか、ポッキーで満たされちゃったみたい」

「そう? ちゃんと食べなきゃ痩せちゃうよん」

 前を向いて、再び食事に戻るまりこ。周りのみんなも、まりこに合わせ、まるで再び時が動き出したかのように表情が途端に色づく。


 いくら自習だからって、一人だけ堂々と卓上にお弁当を広げて食べるなんて目立つこと、私には出来ない。


 まりこはいい。みんなが尊重していて、温かく見守ってくれて、リスペクトしているから。


 私は、まりこと同じもの、まりこから分けてもらったポッキーで十分。


 まりこが、私を推してくれているってことが周りの奴らに知らしめられたら、それだけで、本当に胸がいっぱいだった。

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