第3話 椎名

「まりこ、おはよう!」

「あ、椎名、おはよう」


 教室に入ると、まりこもちょうど鞄を机に置いたばかりのところのようだった。私は視線を合わせてニッコリ笑って、斜め後方の席へ鞄を放り、なんの気なく席に着く。


 教室内はまだクラスの半数以下の生徒しかいないはずのに、朝っぱらからガヤガヤといつも通りのくだらない話であふれている。


「あ、まりこスマホカバー変えたんだ? 」


 教室というものはいっつも何にも変わらない。彼氏の話、テレビ番組の話、好きなYouTuberの話……。


「うん。これ、いい感じでしょ? 」


 周りの声に耳をそばだてながらも、まりこの些細な変化をも見逃さない。私の言葉でまりこはささやかに笑って、センスの良い高そうな合皮のショッキングピンクのスマホカバーを振って見せてくれた。


「前のサマンサも良かったけど。よくそんな可愛いの見つけてこれるよねえ、まりこは」


「こう言うの好きなんだ。私を買ってーって、このコが私を呼ぶもんだから」


「へー、ほんといいなそれ! どこに売ってたの? 」


 ──お揃いにしない?


 声が喉まで出かかって、


「マリィ、おはよ! 昨日はアリガトねー」


 教室に入ってきた“高良あいな”がまりこの肩を叩いた。


「あ。おはよう、あいな」


 まりこと高良あいなの取り巻き三人組が、まりこを中心に、私の知らない話をし始めた。私はとたんに興味をなくして、鞄からスマホを出した。ふと、昨日新しく買ったスマホのストラップを学校でつけようと思って鞄に放り込んでいたことを思い出した。


 ふさふさの玉のような淡いピンクのフェイクファーがついた、金の鎖と透明なビーズがキラキラしているストラップ。未開封のままのそれが、鞄の底で目にとまる。


「じゃ、ウチら教室戻るね。また連絡するよー」


「りょー」


 自分たちの教室に戻っていった高良あいなたちにまりこは小さく手を振ると、音もなく空気のようにふわりと椅子に座った。


「まりこ、これあげる! 」


 静かに向き直るまりこ。


「え? どうしたの急に」


「そのカバーに合うかなと思って。よくよく考えたらさ、私のスマホカバー、ストラップつける穴が無かったというね」


「なあにそれ、ウケる! 」


 まりこの顔の前に突き出したストラップを、まりこは「かわいい」と言い、「いいの? 」と、ラブラドールレトリバーの子犬が甘えたような顔で、ありがと、と笑んだ。


「その代わり、サマンサのカバー、使わないんだったら私に譲ってよ」


「ああ、いいよ。ちょっと汚れてるかもしれないけど」


「いいなぁ、まりこはさ。一人で暮らしてて、親からたくさん仕送りがあって、お小遣いもいっぱいあって。うちの親なんか、高かろうが安かろうがブランドなんて子どもには早いって言って持たせてくれないんだよね」


「まあ……一人でいるのも寂しいときあるよ? 椎名が近くに住んでてほんと良かったよ」


「親にあーだこーだ言われない方が私はいいなあ」


「でもさ、ご飯とか面倒でコンビニで済ますとあっという間にお金なくなっちゃうの。親のありがたみって、こう言う時にわかるもんなのかってね」


「えー、まりこ料理得意なのにね。コンビニが夕食なんて、意外だなぁ。ならさ、今度まりこの家で、ご馳走してよ? 二人でお泊まり、夜ご飯食べて、朝まで女子会! 」


「それいいね」とまりこが言って、担任が教室に入ってきた。


「放課後の約束、椎名ん家で計画しよ」と悪戯に笑って、まりこは前を向いた。


 いつもと変わらない退屈なホームルームが始まろうとしている。


 私はまりこがストラップをしっかり鞄に入れるのを見届けて、ちょっとだけ、気分が上がった。まだ朝のホームルームが始まろうとしているところだというのに、今から放課後が待ち遠しくて、つい、顔がほころんだ。

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