第26話 棒ノ嶺

翌日、夏休みに入り僕は一人で登山していた。

 飯能からバスで四十分ほどの棒ノ嶺という山だけど、高尾山や陣馬山とは比べ物にならない本格的な山だ。

 ダム沿いに舗装された道路を通り登山道に入り、雑木林をしばらく歩くと川に出た。

 身長の何倍も高さがある大岩の間を抜け、両手で抱えるくらいの大きさの岩が転がる川というか沢を石伝いに渡り、登っていく。

 足を滑らせれば一発でずぶ濡れだけど、そのスリルが楽しい。

 まるでラノベやゲームのフィールドを歩いているかのように錯覚させられる。

 ゲームならランダムで被ダメージ、ただしプレイヤーのレベルや敏捷値次第、ってところか。

 ただしゲームと違うのはマジで命がかかる場面がある。

 沢を抜けると、大岩に鎖を一本だけ垂らした道に差し掛かる。

 道っていうか、ちょっとした崖だ。

 でも飛行スキルがなくても通行可能なフィールドだ。

 鎖を両手でつかみ、片足を岩にかけて、もう片方の足だけを動かす。

 今度は両足を岩場に固定し、片手だけ鎖から手を放し、持ち替える。

 この繰り返しで高さ五メートルほどの崖を登り切った。

 両手足の内三本で体を固定し、残り一本だけを動かす三点固定というクライミングの技術だ。

葛城さんを手当てしたり、バスケ部のトラブルに軽く巻き込まれたり、もみじが本格的にメイドさんやってることを知ったりしたけれど。

僕は、僕のままだ。休日はこうして一人で過ごすことが圧倒的に多い。

コートに立つ葛城さんや、メイド服に身を包むもみじのように。人にはその人が立つにふさわしい場所があるんだと思う。

僕は一人で山頂に立つ。

今日登った棒ノ嶺は、標高が千メートル近くある結構高めの山だ。

山頂はちょっとした公園くらいの広さがあり、いくつかのベンチと一つの東屋、そして葉を茂らせた大きな桜の木が一本生えている。

今日はよく晴れていて、今立っている埼玉県から遥か彼方の群馬にある山々までが見渡せる。

夏の濃い青の空、青に綿を落としたような綿雲と入道雲、雲を突き抜けているような遥か遠くの山。

町から数時間で行けるファンタジー。

これが僕にふさわしい場所だ。

 目を閉じると風の音とまばらな登山客の話し声、良く茂った葉と土の香りがする。

 大自然に包まれることで、普段得られない何かが得られる気がする。

 これが僕の幸せ。部活より、バイトより大切なもの。

 一人で手に入るし、誰からも奪われることがない。

ふと、ポケットのスマホが震えた。

高い山では万一の時のため電源を切ってあるけど、今日は低い山だから入れっぱなしだった。

画面をスライドし、スマホを立ち上げる。


『junさんからメッセージが届きました』

『moさんからメッセージが届きました』


二人からのラ●ンだった。

以前よりスマホに触れる時間がだいぶ増えた。

ついこの間までネットサーフィンとゲーム、調べものにしか使わなかったのに。

『足もすっかり治って練習中!全力で動けるのってやっぱりめっちゃ嬉しい!薫も思ったより治りが早くていい感じ!』

『今休憩中。ずっと立ちっぱなしだから足痛い』

葛城さんは薬師寺さんと笑顔で肩を組んだ写真を、もみじは写真なしだ。メイドさんは自撮り禁止らしい。

僕は山頂からの写真を撮って画像を添付し、返信する。

『写ってる山、群馬県の山だよ』


 すぐに二人から驚愕のメッセージが帰ってきた。

『マジで? すごい! どうやったらそんな遠くが見えるの?』

『その山調べたけど、道がすごくない? 気を付けて』


 一人で楽しいし、一人がいい。それは変わらないと思う。

 メッセージを読み終わってスマホの電源を落とすと、画面が真っ暗になる。

 さっきまで何十キロも離れた人間と繋がっていた機械が、ただの板切れになった。月のない夜のように黒一色の画面に、僕だけが写っている。

 だけどそこに映っている僕は、笑っていた。


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山に登ロウ 女子バスケ部部長を登山中に助けたら大変なことになりました。(GA文庫大賞二次落選) @kirikiri1941

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