第25話 意味のない質問

「なぜ、私はここにいるんでしょう?」

 大きなため息を吐いて医者はベッドに縛られた女性に聞き返した。

「色々と話さなければならないのでしょうが、まず、私から尋ねてもいいかい?」

 しばらく考えこんだ女性が答える。

「はい」

「よろしい…では、まず…そうだな…キミは自分の名前を言えるかい?」

「名前?」

「そう、キミの名前だ…まずは互いに自己紹介から始めようか…おっと、まずは私から名乗るのが礼儀だね」

 女性を安心させるように静かな笑みを浮かべて医者は名前を名乗った。

「私は、烏丸 白羽からすま はくね

「はくね?」

「そう、白い羽と書いて『はくね』…おかしいだろ? カラスに白い羽なんて」

「フフフ…そうね、ご両親は、どんな気持ちで付けたんでしょうね、その名前」

「私の両親は…いや、その話の前に、キミの番だな…名前を教えてくれるかい?」

「いいわ…私は…私の名前は………名前?」

「そう、キミの名前だ」

 穏やかだった烏丸医師の口調が少し強めに変わった。 

「名前…キミの名前?」

 不思議そうな顔で烏丸医師の目を見返す女性患者。

「キミの名前だよ…キミは誰なんだい?」

「私に聞いているの? 私は誰なのかと」

「そうだよ…質問は理解できているようだね」

「えぇ…聞かれている内容は理解できているわ…でも答えることはできない」

「なぜ?」

「私には…私が誰かなんてわかるはずがないのだから」

「わかるはずがない?とは…どういうことなのかな?」

「私が、もし自分のことをアナタ以上に知っていたのなら、そんな質問はしないでしょう? 先生は、私が答えられないことを知っているから、そんなことを聞いたのよ」

 縛られたままの女性患者の視線は烏丸医師の脇に置かれたカルテに向いている。

「そう…キミは自分が何者か知らない、なぜ拘束されているのかも知らない、今はそれでいい、ゆっくりと記憶を辿ろう、私と一緒にね」

 女性の視線がゆっくりと天井を向いて、何の感情も宿さない虚無の色を宿し酸欠の金魚のように口をパクパクと動かしだした。

 烏丸医師は、ふぅーっと肺に貯めていた空気を吐き出し、病室を出た。


「先生…彼女は?」

 シワだらけの薄いコートを羽織った煙草臭い男が烏丸を呼び止めた。

「相良刑事、待ってたんですか?」

「まぁ…仕事なもんでね」

 相良が烏丸医師が脇に挟んだカルテに視線を移した。

 それに気づいた烏丸医師は、やれやれといった顔で答えた。

「アリス・クーパー…間違いありませんよ、アナタの見立てどおり、これ以上は話せませんよ」

 ニタッと笑って相良が無言で軽く頭を下げ立ち去ろうと背を向けた。

「相良刑事‼」

 烏丸が相良を呼び止めた。

 クルッと振り返り、相良は人差し指を唇に当て、再び頭を下げて立ち去った。

「口を閉ざせ…ということか…」

 ガンッ‼

 と廊下の壁を蹴って烏丸は診察室へ向かった。

(アリス…不思議の国から来たのか? それとも鏡の国から?)

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

さめじま事件 桜雪 @sakurayuki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ