二章9 『反撃の狼煙』

 立直をかけた者の次の手番を受け持つ下家(シモチャ)は、高めの手を張っていない限り多くの場合、上家(カミチャ)の川を見て安牌(あんぱい)を推測してから切る牌を決める。

 あるいは他家(ターチャ)の川に二、三枚切れの字牌があれば、それを切るのも筋だ。


 しかし今はまだ三巡目であり、川に捨てられたのは鳴かれた東を含めて九枚。俺が切った牌はチューワン、東(トン)、立直牌の白だけだ。ここから安牌を推測するのはエスパーでもなければ不可能だ。

 天佳が途方に暮れた顔になるのも無理はない。


 彼女は長いこと考えた末、手牌の真ん中にある牌をつまんで川に置いた。

 リャンソウだった。

 待ちはローピンだから、掠(かす)りもしていない。

 二並はちらと見やったが、鳴きはしなかった。

 まだ一発は残ってる。

 0点である今、少しでも多く点数が欲しかった。


 二並はツモった後、迷うことなく中を切った。

 字牌だから当たりにくいし、6万点も持っていて余裕があるから、多少食らってもいいと考えた末の選択だろう。


 一発の最後の希望は、赤ウーソウだった。

 思わずがっくりと肩を落として項垂れそうになった。

 俺の手牌には、索子(ソーズ)の6~8の順子(シュンツ)があった。

 ああ、パーソウと赤ウーソウを取り替えたい。しかし立直をかけている以上、その望みは叶わない。

 泣く泣く俺は赤ウーソウを川に捨てるのだった。


 天佳は四巡目にチーソウを、二並は南(ナン)を捨てた。

 川を見る限り天佳は降りずに筒子(ピンズ)染めをしていると推測できるが、二並の方はまだわからない。字牌以外には、チーピン捨て。もしも索子(ソーズ)で染めてるなら、ローピンが出てくるのを期待できる。


 次の手番ではイーソウを引いた。ツモ切りだ。


 天佳は抜きドラをして安牌のウーソウ、二並はイーピンを切った。

 三枚目、ドラのリャンピンを引いた。

 ああ、クソ。これを手牌に加えてチーピン切って、イーワン・リャンピンのシャンポン待ちに切り替えたい。イーワンはすでに天佳が捨てているが、一枚でも希望はゼロじゃないし、他家が引いたら高い確率で捨てる。それにリャンピンで上がれればドラ三だ。

 しかしたら・ればの妄想をしても仕方がない。俺は名残惜しくもリャンピンとお別れする。


 天佳はツモをして手牌からスーソウを切り、二並は一巡前と同じくイーピンを切る。


「なかなか上がれないわねぇん」

 挑発的な口調で二並が話しかけてくる。

「そんなんじゃぁ、あちし追いついちゃうわよ?」

「はっ、安牌ばかり捨ててるくせに、よく言うな」

「んふふ。それもそうねぇん」


 売り言葉に買い言葉で返したが、背には冷や汗が伝っていた。

安牌とは言っても、二並の川に並んでいるのはチーソウ以外は全て么九牌(ヤオチューハイ)である。今もなお、着々と手が進んでいる可能性は大いにある。

しかし俺はもう場に干渉することはできない。ただひたすらに自身の勝利を女神に祈るだけである。


立直牌から数えて四枚目に、それと同じ白が並ぶ。無暗に安牌が増えずに済んでよかったと緊張でいつの間にか握りしめていた左手を僅かに開いた。


 天佳は手牌から筋で安牌なリャンソウを切った。


 ……マズイ、アイツの手牌がどんどん完成して言ってる気がする。

 すでに索子が五種も切れているせいか、やりたい放題だ。

 天佳はまだ麻雀が強くないと言っていたし、まだ素人なのかもしれない。だとしたらあれだけ通れば、索子はもう全部安牌とか思ってそうだ。実際、そういう初心者の方が下手に慣れた相手よりも怖かったりする。そういう蛮勇(ばんゆう)が時に猛威を振るうのも麻雀ならではである。面白い要素ではあるが、いざ相手にすると滅茶苦茶怖い。


 頼む、上がらせてくれ。早く、早く…………!


 しかし。

 俺が真に求めるべきは早さではなく。

 現在の劣勢をひっくり返す、可能な限りの高得点である。


 俺がツモってきたのはチューピン。手牌にはすでに三枚。

 リー棒を投げた今でもできる、唯一の鳴き。

 それは――

「カンッ!」

 手牌を三枚倒し、ツモってきた牌と共に四枚を暗槓時の指定の形にして脇にやる。四枚を縦にした状態で並べ、左右の牌をひっくり返した状態だ。


 二並と天佳の顔に緊張が走る。カンした状態で上がり牌を引けば嶺上開花(リンシャンカイホウ)で一翻がつく。打点が高くなるわけだ。しかしそれは上がり牌ではなかった。

 上がれなかった時は、ドラ表示牌の横をめくってさらにドラを一枚増やす。現在はイーピンが見えていてリャンピンがドラになっている。俺の手牌にも一枚ある。

 山の二段目の牌をめくり、現れたのは――


「パッ、パーピンですってぇえええええんッ!?」

 パーピン――言うまでもなく筒子の8だ。

 それが指し示すドラは9。つまり俺は今カンした、チューピン。

 これで四翻の追加が確定したわけである。


 二人の顔からたちまち生気が抜けていく。

 きっと彼女達の頭の中では、さらに最悪なシナリオが書かれていることだろう。

 ドラが一枚増えたということは、裏ドラも一枚増えるということだ。

 それがパーピンだったら……と。


 ――さあ。


 俺は心の内でほくそ笑み、密(ひそ)かに布告(ふこく)した。


 逆転劇の、幕開けだ。


 二並が牌を切る。


 微かな音を立てて、卓上に置かれた牌。

 俺が待っていた一枚だ。

 手牌を倒し、唱えるべき言葉は――ただ一つ。


「ロンッ!」


 ローピンから手を放したばかりの二並は、瞠目してこちらを見やった。

 不敵な笑みを返して、役を述べてやる。


「立直、ドラ五、赤ドラ! 裏ドラは……」

 ドラ表示牌の下にある二枚をめくる。


 途端、二並の身体に戦慄が走った。

「うっ、ウソでしょぉ……ん」


 一枚はパーピン、そしてもう一枚はウーソウ。

 ローソウも運よく俺の手牌に合った。


「五か。12翻70符、24300点は一本場につき24500点だ!」

 驚きの表情を浮かべていた二並は、それを笑みの形に歪める。

「んっふふふ、まさか本当に上がるなんてねぇ。面白くなってきたわ……」

「ふええ、これでラス落ちヨ……」


 現在の順位と点数は。

 二並がトップで62500点。

 俺が二位になって、25500点。

 ラスの天佳が17000点だ。


 24500点分の点棒を受け取りつつ、俺はヤツの目を見据えて宣言してやった。

「ラス親で、絶対にまくってやるからな」




 今度こそ、染めだろうか。

 俺の手牌は九枚が筒子で占められ、字牌(ツーパイ)が二枚。索子が二枚に、イーワンが一枚だった。

 とりあえずまずは――

「北だ」

 抜きドラを宣言して牌を斜め前に置き、山をめくって手牌に持ってくる。

 ――筒子。

 染め確定だな。

 手始めにイーワンを切った。初手から染めを疑わせてやることもない。

 三麻は牌の種類が実質、筒子・索子・字牌みたいなところがある。初手から索子を捨てようものなら筒子染め、筒子を切ろうなら索子染めを疑う者もいる。だからよほどのことがない限りまずは萬子(マンズ)か字牌を切るのがセオリーだ。


 点差は37000点。

 まだかなり開いてはいるが手牌はかなりよく、しかも親番だ。

 俺は内心で決意した。

 絶対にこの局で、まくってみせる――!

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