第7話 信玄堤

甲斐国の人々が何よりも恐れるものがある。


 それは田畑や人家、そして人々をお構いなしに押し流していく。

いくら戦の強い屈強な武士でも、いとも簡単に流されてしまう。


 甲斐国の人々が恐れるもの・・・、洪水である。


 甲斐国は周囲を急峻な山々に囲まれており、

敵に攻め込まれにくいという利点もあるが、出入りが難しいのは

大雨による水も同じだ。


 特に、甲斐国から海に流れる川は、主に甲斐国内で釜無川と笛吹川が

合流してできた富士川しかない。

 甲斐の東側の水を集める笛吹川と西側の水を集める釜無川の水が

全て富士川に集まっているのだから、国内に降った雨水がほとんど

その一本の川に集中していると言っていい。


 なので、大雨が降り、富士川があふれると上流の二本の川も

水を流す場所がなくなり、洪水を起こす。


 こうなると、甲斐国一帯が浸水してしまう。


 武田家当主となった晴信も、見過ごすわけにはいかなかった。



 「皆の者に聞きたい。甲斐国の中でも早急な対応が必要な箇所はどこだ。」


 すると、晴信の予想に反してほぼ一か所に意見が集まった。


 そこは釜無川とその支流、御勅使川との合流点だ。


 ここは重臣の甘利虎泰いわく、昔から手の付けようがなく

激しい流れの支流が合流すると本流の水が押されて反対側の甲府盆地に

流れ出るというのだ。


 どうも、父、信虎の代も堤防工事をしたそうなのだが、今では水の力で

跡形もなく破壊され、そのまま放置されているらしい。


 ただ、またいつ洪水が起きるか分からない。


 晴信はその合流地点へと向かった。


 「ここには本当に堤防があったのか・・・?」


 晴信も驚くほど跡形もなく、少しでも水かさが増したら一巻の終わりだ。


 早速、晴信は堤防の構想を練った。

当然、生半端な堤防では信虎期の二の舞になってしまう。


 (徹底的に考えて絶対に破れないものを造ってやるぞ。)


 晴信がこう強く思うには理由があった。


 昔から水を治める者は国を治める、と言われるほど国を統治するうえで

治水は重要だと言われている。


 国をしっかりと統治できるようになって初めて、他国を侵略できる、

そう考えていた。


 この堤防工事はかなり大がかりだが、後々には甲斐の隅々の河川まで

堤防が作られることになり、またこの工事開始の数年後にあの人物と

河原で出会うことになるのである。



 「晴信様はおられますかな。」


 躑躅ヶ崎館の前にあの男が現れた。


 風貌を見れば誰もが分かる・・・山本勘助である。


 「おお!勘助殿、どうしてここに。」


 門番から話を聞いてやってきた板垣信方が出迎えて

館の中に通した。


 「晴信様、お久しぶりにございます。」


 「勘助!また会えてうれしく思うぞ。」


 「実はお願いがあり参上した次第・・・。」


 「何だ、この私にお願いとは・・・。」


 「この勘助めを晴信様の家来にしていただきたくございます!」


 「いや・・・、勘助は今川家の家臣・・・。」


 「今は違うのです。」


 「何・・・!?」


 「あの晴信様との交渉を任されました後、一時期は家中から

喜ばれましてございます。ですが、私の失敗なのですが調子に乗って

色々口出しし過ぎまして・・・、義元様や雪斎様から嫌われてしまって

駿河を出されてしまった次第にございます・・・。」


 「両家の関係に影響がなければ大歓迎なのだが・・・。」


 晴信は悩んだ。

ただ、最終的には勘助を助けることにした。


 「うむ。分かった。今川家とは何とかするから、これからは軍師として

存分に働いてほしい。」


 「ぐ、軍師とは恐れ多いですが、晴信様のお力になれるよう

頑張りまする。私の勝手なお願いを引き受けてくださり、

感無量にございまする!」


 こうして勘助は武田家の一員になった。

しかし、実のところ勘助はとんでもないことをやろうとしていた。

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