第3話 初陣と信虎の失望

 あれは、今から2年前、天文5年(1536年)のことであった。

甲斐国の長きにわたる内乱を平定した信虎は対外戦争を活発化させ、

隣国、信濃国(今の長野県)に攻め入った。


 攻撃目標は国境付近の海ノ口城だ。


 この城には猛将、平賀源心が城将としており、厳しい戦いが予想された。


 だが、なにより武田家には嬉しいことがある。


 嫡男、武田晴信の初陣だ。


 晴信は一部隊を預かっており、侍大将の一人だ。

だが、初陣とあって気持ちが早まり無理に突撃しかけて、

板垣信方に止められるほどだった。


 しかし、城方は非常に粘り強く落城しないまま正月が近くなってきた。

家臣からは正月ぐらいは家で、地元で過ごしたいという声が強く聞こえ、

士気も下がっていき、それを見た城兵は士気が上がる一方だ。


 どんどん情勢は苦しくなっていた。




 「致し方ない、撤退する。」


 信虎がついにそう決断した。

 おそらく、そうせざるおえない状況だった。


 ここで、晴信はとある策を思いつくと、信虎にこうお願いした。


 「私、晴信めに殿しんがりをお任せください!」


 これに対し、信虎は少し間をおいて、許可を出した。


 殿とは全軍の一番後ろにいて敵の追撃を阻止する役割である。


 普段であれば、殿は大変な、死ぬかもしれない役割である。

だが、信虎は敵も正月が近いから戦を終わらせたいのでそう追っては

来ないであろう、こう踏んで許可を出した。


 そして、撤退が始まったが、信虎の思った通り城方が

うって出てくる様子はなかった。



 「信方、話がある。」


 こう言って板垣信方を呼び寄せたのはもうすぐ国境という時であった。


 「何でしょう、晴信様。」


 晴信は声を潜めてこう言った。


 「これから、反転して海ノ口城へ攻め入るのはどうか。」

 「絶対に、敵は油断している。」


 これに対し、信方はいい作戦としながらも、こう反対した。


 「後々、面倒ですぞ。」


 信方は知っている。信虎が軍の規律にうるさいことを。

当然、ここで反転して戦をすれば信虎の意思に反し、晴信だけ別行動をした

という軍の規律を乱したことになりかねない。


 さらに、勝てればまだしも、これで大きな損害を被ったら信虎の顔が

鬼になるに違いない。


 「大丈夫だ。絶対に落とせる。落とせれば父上も喜ぶはずだ。」


 こう言って晴信は信方の心配をよそに部隊を反転させた。




 「大勝利でしたな、源心様。」


 「そなたたちの活躍あってこそだ。」


 海ノ口城内は大勝利を祝って酒宴が開かれていた。


 そこを武田晴信率いる部隊が急襲した。

城方は慌てふためいて逃げ散り、平賀源心は討死、城は落城した。



 「いやー、思った通りであった。」


 源心の首級を抱えて上機嫌の晴信に対し、信方は微妙な表情だった。



 本拠である躑躅ヶ崎館に戻った晴信一行だが、地獄が待っていた。


 「晴信ッ!!なぜわしに話もせず本軍から抜けだした!?」


 「隙をついて海ノ口城を襲撃して源心を討ち取り、

城を落としてまいりました。」


 晴信は成果をアピールしたが、信虎の怒りは収まらない。


 「信方ッ!そちは晴信に軍の規律に反すると申したのか!?」


 「は、はい・・・。申したのですが聞き入れてもらえず・・・。」


 「晴信ッ!!人の話も聞かず軍の規律を乱した、父であるわしは

失望したぞ!!」


 「も、申し訳ございません・・・。ですが・・・、」


 「城を取ったと・・・?ではその城はどうした!?」


 「落とした城をまんまと捨てて帰ってきたとは、

お前は反撃を恐れた臆病者か!?それとも大たわけ者かっ!?」


 「もういい、戻れっ!!」


 晴信は信虎の言うことが理解できずにいた。


 事実、軍の規律の重要性を理解するのはこれから10年以上後のことである。

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