　小学校（しょうがっこう）に上（あ）がると、一歩（いっぷ）には勉強（べんきょう）部屋（べや）があてがわれました。

文字（もじ）通（どお）り、一歩（いっぷ）の身（み）の丈（たけ）に合（あ）わない体格（たいかく）より一回（ひとま）り大（おお）きめの勉強机（べんきょうづくえ）と、五（ご）段（だん）の本棚（ほんだな）が壁際（かべぎわ）に配置（はいち）され、本棚（ほんだな）には二十巻（にじゅっかん）以上（いじょう）の「少年少女世界文学全集（しょうねんしょうじょせかいぶんがくぜんしゅう）」が納（おさ）められていたと記憶（きおく）しています。机（つくえ）も全集（ぜんしゅう）も、もちろん姉（あね）の“お下（さ）がり”でした。記憶（きおく）している理由（りゆう）は明解（めいかい）で、もう少（すこ）し学年（がくねん）が上（あ）がるとそれらの読破（どくは）が夏休（なつやす）みの“掟（おきて）”になったからです。

勉強（べんきょう）部屋（べや）といっても、彼専用（かれせんよう）の部屋（へや）ではありません。机（つくえ）の隣（とな）りには、母親（ははおや）が使（つか）う大（おお）きめのミシンが置（お）かれ、反対側（はんたいがわ）の壁際（かべぎわ）には整理（せいり）ダンス。押（お）し入（い）れには母親（ははおや）の花嫁道具（はなよめどうぐ）と思（おも）われる立派（りっぱ）な桐（きり）の衣装箪笥（いしょうだんす）が納（おさ）まっていました。押（お）し入（い）れは多分（たぶん）、オーダーだったのでしょうね。

　事件（じけん）はそこで起（お）きました。

一歩（いっぷ）の家庭（かてい）は、両親（りょうしん）と姉（あね）二人（ふたり）の五人（ごにん）家族（かぞく）。二人（ふたり）の姉（あね）は年（とし）が離（はな）れていたため、一歩（いっぷ）の役回（やくま）わりは主（おも）に、姉（あね）の“おもちゃ”であり、「使（つか）いっ走（ぱし）り」でした。一歩（いっぷ）少年（しょうねん）がそれに気（き）づくのはもっと後（あと）になってのことで、『男（おとこ）の子（こ）かだからね』とか『お姉（ねえ）ちゃんたちは忙（いそが）しいから』の言葉（ことば）を疑（うたが）うこともなく、従順（じゅうじゅん）な毎日（まいにち）を過（す）ごしていたのでしょう。

遊（あそ）びの場面（ばめん）でも可愛（かわい）がってもらいましたが、もしかしたら人数（にんずう）合（あ）わせの“便利屋（べんりや）さん”だったのかもしれません。輪（わ）ゴムをいっぱい繋（つな）げて作（つく）ったゴムを張（は）って遊（あそ）ぶゴム跳（と）びでは専（もっぱ）ら“ゴム持（も）ち係（ががり）”。彼女（かのじょ）たちが「足首（あしくび）」から「腰（こし）」、「肩（かた）」と難易度（なんいど）を上（あ）げるたびに、まだ背（せ）の低（ひく）い一歩（いっぷ）少年（しょうねん）は「肩（かた）」、「頭（あたま）」とゴムの高（たか）さが平行（へいこう）になるようにして、「裏方役（うらかたやく）」を務（つと）めたのです。相手（あいて）にしてもらうのが嬉（うれ）しくて。足（あし）を器用（きよう）に使（つか）った“秘技（ひぎ）”で難（なん）なくクリアする姿（すがた）を間近（まぢか）で観察（かんさつ）できたせいか、学校（がっこう）で同級生（どうきゅうせい）と遊（あそ）ぶ時（とき）は少々（しょうしょう）“鼻高々（はなたかだか）”でした。

こうして遊（あそ）びでは「裏方（うらかた）」を演（えん）じた一歩（いっぷ）少年（しょうねん）ですが、さすがに「お頭（つむ）」の方（ほう）は二人（ふたり）の姉（あね）に遠（とお）く及（およ）びません。頭脳（ずのう）を使（つか）うゲームでは、まさに“おもちゃ”でした。

「一歩（いっぷ）、アメリカの首都（しゅと）は？　ねぇ、ねぇ、ってば…」

ゲームでは“沈黙（ちんもく）は金（きん）なり”は許（ゆる）されず、先（さき）へ進（すす）めません。けれど、一歩（いっぷ）の知識（ちしき）の中（なか）に「ワシントン」の言葉（ことば）はインプットされているはずもありませんでした。

「ヨーロッパ」

何（なん）とか知（し）ってる言葉（ことば）を探（さが）しますが、頭（あたま）の中（なか）で言葉（ことば）と意味（いみ）がリンクしていないのでチンプンカンプンなことになります。意地悪（いじわる）な姉（あね）はこうして弟（おとうと）の無知（むち）ぶりを楽（たの）しみます。

「じゃぁ、ヨーロッパの首都（しゅと）は？　ねぇ、どこ？　どこ？」

「ん～と、ニューヨーク」

今（いま）振（ふり）り返（かえ）ると、おバカ全開（ぜんかい）ですね。『外国（がいこく）の地名（ちめい）、もっと知（し）らんのか』とツッコミたくなりますが、年端（としは）のいかない弟（おとうと）相手（あいて）に『国（くに）じゃない地域名（ちいきめい）出（だ）すか！』。女（おんな）はやっぱり“悪魔（あくま）”の一面（いちめん）を持（も）っているんですよ。ゆうこちゃんと同（おんな）じで。