第9話 真実の在りか

 アスの傷が癒えるより早くハンターの仕事に復帰したシシャモは妙に意気込んでいた。


 回りの蟻達は、大丈夫だろうかと心配そうに見守っているが、アスは「シシャモなら大丈夫だよ」と言って見送った。


 そして、ハリアリの襲撃しゅうげきについては、アスを襲った1匹以外は誰も見ていないと言っていた。


 アロンの見解はこうだ。


 確かに3匹の蟻が侵入して来たが、2匹は匂いを撒散まきちらして巣の中の撹乱かくらん、又はおとり。役割が済むと直ぐに引いた。そして1匹がチョコファミリーの卵を潰す。巣の中の作りについては去年巣の中で暴れたザンギャによって伝わったのでは無いか…と。


 確かに利にかなっている為、皆それで納得した。そして、ハリアリは本気であるという事を見せ付けられた。


「ガードが必要だな」


 誰かがそう呟いた。


 ✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 意気込んで外へ飛び出したシシャモの見た外の世界は前よりもっと明るく見えた。物理的に変わった訳では無く気持ちの問題だろう。


「元気なのは良いんだけど、慎重にねー」


 ゴマに言われて、ちょっと照れ臭そうに頭をかいたシシャモ。


 以前はコソコソと種子の運搬ばかりしていた。今日は肉を取るんだ! そう思うと餌を求めてさまよった。


 辺りを警戒しつつ餌を探すシシャモは、ふと見つけた生物に体を震わせた。すぐ目の前にのびる名も知れぬ花。その茎の色と同化する様に張り付いた緑色のカマキリは、以前見たカマキリの半分程の大きさだった。


 しかし、シシャモの体をゆうに越えるカマをぶら下げた生物に、顔を横に降ると全力で逆方向へと駆け出した。心臓の音を強く感じるシシャモは少し涙ぐんでいる。


(無理!)


 そう心の中で強く思うと、再び辺りを見回した。すると少し離れた場所に餌で見慣れたダンゴムシを見つけた。これならと走り、飛び掛かる。それに気付いたダンゴムシはゆっくりと体を丸めて守りの体勢をとった。飛び付いたシシャモは牙を立てるが、全く歯が立たない。


 持ち上げてみたり、転がしてみたりと試行錯誤しこうさくごを繰り返すが……。


「ハァッ! ハァッ! 無理」


 そう言うと、いつもの種子を探して駆けて行った。


 ✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


「何遊んでんだあいつ」


 何枚もの花びらを真っ白に輝かせたボタンの花。その上から見下ろしたオテモは、ダンゴムシを転がしているシシャモを見つけた。


 しかし、今はシシャモを見ている場合では無かった。オテモの見下ろしている場所から見て、チョコファミリーやシシャモの居る場所の反対側。花畑エリアの北の大地で、とある生物の咆哮ほうこうが響く。


 そこはエリアこそ『花畑』の名が有るが、付近に花を置かない開けた大地。ぼこぼことした赤褐色(あかかっしょくいろ)の地面が広がる中、時折生えた雑草に人の手が入っていないのが判る。


 そんな殺伐さつばつした場所…オテモの見つめる先で、緑色をした巨大な生物が咆哮ほうこうを上げ激しく暴れていた。そして、その体には3匹の蟻が張り付いていて、周辺には数匹の蟻が取り囲んでいた。


「あれは……あの時のバッタだな」

「わ! ビックリした!」


 いつの間にボタンの花を登ったのだろうか、オテモの背後から現れたケマもまた、バッタの居る方向を見つめていた。よく見ると、そのバッタの左目は真っ赤に腫れ上がっていた。それは以前ケマの蟻酸によって付けられたものだ。そして、オテモ達がバッタ以上に注目していたのは、戦っている蟻達…ハリアリだ。


「10匹位かなぁ。ハリアリの奴らあんなに居るのかよ」

「あそこに居るハリアリは正確には13匹だ。それと、見ろザンギャの奴も居る」

「え? どこどこ?」


 ボタンの花からバッタ達の居る場所までの距離はそこそこ有る。しかもハリアリ達は動き回っている為に数を数えるのは容易では無いはず。そう思ったオテモはケマに感心した。


「オテモ。この戦い、目をそらすなよ」


 ケマがそう言った瞬間、バッタの背中に付けられた4枚の羽が大きく振り回されると、張り付いていたハリアリ達は勢いよく宙を舞った。


「あははっ。ハリアリの奴らいいざまだな」


 触角を振り子の様に揺らし、楽しそうに言ったオテモ。その横でケマはただじっと見つめていた。吹き飛ばされた蟻の1匹が地面にたたき付けられると同時に、とあるハリアリがバッタへ向かって駆け出した。すると、回りを取り囲んでいたハリアリ達も流れに乗る様に一斉にバッタ目掛けて駆け出した。


「あれ? ハリアリじゃ無い奴が混じってる?」


 そう言ったオテモの目は、最初に群れから飛び出したハリアリに向けられていた。横広のアゴに大きな牙、体そのものの大きさも他のハリアリの1.5倍程にもなった。


「違う。あいつはハリアリのリーダー。『兵隊アリ』のマッドだ」

「『兵隊アリ』!? ハリアリの奴ら、ただでさえ強いのに、そんなのまで居るのかよ」

「『兵隊アリ』は、産むにも、育てるにも、かなりの栄養が必要になるからな。

 本来働きアリのそろったファミリーしか産まないんだが。

 ファミリーが20匹程の奴らが産めたって事は、よほど略奪を繰り返し、豊かな食料が有ると見える」


 冷静に話すケマの言葉に、オテモはマサキの苦労を思い浮かべた。


 円を描いていた小さな黒点はやがて小さくなって、中央の緑色をしたかたまりに重なろうとしていた。先陣をきったマッドは迫る大口を避け、バッタの顔へと取り付いた。そして、次々と迫った黒点達はそれぞれよじ登り、噛み付き、毒針を立て、相手の体力を奪っていった。


「離れろチビスケども!」


 憤怒ふんぬの形相で叫んだバッタ、しかしハリアリ達の猛攻もうこうは止まない。そして、晴れ上がった左目がズキズキと痛むと、蟻を甘く見ていた自分を呪った。


 自分より小さい者が多いこの世界で、戦いに敗れる事など考えもしなかった。自分は食べる者で蟻や小さな虫達は食べられる者。それだけだった。


 みるみる痛みと不自由の広がる己の体に見出だした、たった一つの選択肢…撤退。


「くそぉ!」


 そう鳴いたバッタは自尊心じそんしんをかなぐり捨て、大きく羽根を広げた。


 しかし、その行動は既に予測されていた。

 あらかじめ右羽根の根本へと移動していたマッドは、鋭く大きなアゴをバッタの体へと食い込ませた。ブチブチと音を立てて引き裂かれていく右羽根。それでも構わす羽ばたいたバッタ。しかし、もがれた羽根は動きを見せず、左の羽根だけがむなしく振られていた。もはやあらがう力も残らず、只眠りにつく事しか許され無い。


 ハリアリ達が歓喜の雄叫おたけびを上げると、皆の注目を浴びる様にマッドは自分の10倍程の大きさをした羽根を高らかに上げた。その姿は何処か神々しさとカリスマをただよわせていた。


「あいつ、すげえな」


 マッドの強さと元々備わったオーラの様なものを感じながらオテモが言うと、ケマは目を細めた。


「ザンギャ程度なら負ける気はしないが…あいつは、別格だな」


 始めて聞いた少しだけ弱気なケマの言葉に、マッドの強さを再確認したオテモ。2匹はしばらくそうして、ハリアリ達を見つめていた。バッタの体はハリアリの牙によって細かく分解され、運ばれていく。何度も何度も巣と往復しながら。


「何か、バッタが可哀相に見えて来た」


 そう呟いたオテモ。弱肉強食の世界において、甘いと思わせる言葉だ。しかし…。


「どんな命で有っても、他者をかてにした上でしか生をつかむ事は出来ない。

 この世界に生きる者達に、そんな連鎖れんさから逃れる術も無く、躊躇ちゅうちょした者が負ける。

 だが、誰しも背負わなくてはならないこの罪を感じられる者こそ本当の強さを持っていると私は思う」


 前を向いたまま言い放ったケマの言葉。オテモには理解出来ず、首をかしげた。


「今判らなくても、いずれ身に染みて判るよ」


 そう言うと、ケマはボタンの花を降りていった。


 ✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ずるずると体の痛みをこらえて暗い通路を歩く蟻が一匹。


 全身に残る痛みもそのままにアスは、ゆっくりとゴミ捨て部屋へと向かっていた。その目的は中断を余儀よぎ無くされた穴掘りの再開の為だ。大広間を通過する所で、外から吹き込む風に触角を揺らすと、外への好奇心に巣の入口を見つめた。


(もう少しだ)


 と心の中で言い聞かせたアスは重い体を再び動かした。ゆっくりと時間をかけてゴミ捨て部屋へと到着したアスは、触角の先でかすかに違和感の様な匂いを感じた。


(この匂いはハリアリ……)


 アスの背筋がブルリと震え、緊張が走る。この部屋の何処かにハリアリが潜んでいるのではと考えると、すぐに部屋中を見渡した。しかし、辺りはシンと静まり返り、変化は無い。恐る恐るゴミの裏側に回ってみても、有るのはアスがこっそり掘った小さな穴だけだ。


 アスは静かに目を閉じると、触角の先へと神経を集中させ、匂いの元を探った。一歩、また一歩と、少しづつアスの足が動く。そしてゴミ山の側面まで歩くとゆっくりと目を開いた。


「うわぁぁ!」


 アスの目が大きく見開くと、思わず後ろへと跳びはねた。その、余りの勢いに仰向けに倒れてしまった。ジタバタと空を切るアスの足。しばらくそうして慌てながら再びゴミ山へと目を向けた。アスが驚いたのも無理も無く、ゴミ山から蟻の顔が飛び出している。目も、口も、大きく開けたまま動かない。それはまるで断末魔の叫びをあげているかのようだ。


「い…生きて…無いよね?」


 自分へ確認する様に口に出したアスは、強い鼓動こどうを感じながらもゆっくりと体を起こした。アスの見覚えの有る顔とも少し違う……。しかし、そこから感じた匂いは明らかにハリアリのもので有った。そして、触角がピクリと反応を示すと、アスは右斜め上を見た。そこへ感じた更なるハリアリの匂い。積まれた食べカスと石の山の隙間から蟻の体が見えた。亡くなってあまり時間が経過していないのだろうか、まだ形状を留めている。そして確信に近い思いを抱いた。


(この蟻はあの時襲って来たハリアリ……? でも確か2匹は誰も見ていないと言っていた。一体……)


 考え込むアスだが、再び目の前の壮絶な形相をしたハリアリを見ると、恐くなり、回りのゴミで2匹のハリアリを隠した。何時から有ったのか、誰が倒したのか、何も判らない謎のハリアリの亡きがらだが、アスは亡くなっていれば害は無いと考え、詮索せんさくはしない事にした。


 頭を切り替え再開される穴掘り。今だ体中の怪我から力は殆ど入らない。当然、掘る足にスピードもなく、休み休み、しかし確実に掘り進んだ。上へとかく前足が、土のかたまりを落とすと、今まで茶色かった土が赤褐色あかかっしょくに映った。それは土の色が変わった訳では無く、土そのものが変わった訳でも無い。その土の向こう側に光が有るのだ。その意味に気付いたアスは暖かい土を今まで以上に力を込めてかいた。


 そして、真っ黒な体に少しづつ降り注ぐ光の雨。アスの体は内側からも外側からも暖かく、熱くなっていった。蟻が一匹通れる程の穴が開くと、武者震むしゃぶるいを抑える様に強く足を踏み出した。


 その直後、アスの蒼い瞳に映ったのは、気の遠くなる程広大な――青、青、青。

 思わず、くらりときた。


 その、初めて見た空は雲一つ無い晴天。遥か彼方には空の主導権を握る様に輝く光の塊が見えた。見渡す限りに色が有る。大地が有る。未知が広がる。周りで揺れる、花と草。そしてそれに合わせる様にアスの触角、心が揺れる。目から零れる滴も揺れていた。


 感動、興奮、衝撃。アスの胸は高鳴った。


 いくつかの呼吸、その場で立ちすくむと、いたる所から聞こえて来る虫達の声と物音に今更ながらに気付いた。そして、様々な匂いが触角をくすぐった。


 ふと、近くに感じたファミリーの匂い。ずっとそうして光と風に触れて居たかったのだが、スイーパーで有るアスが勝手に外へ出たという事実。知られてはならない。さとられてはならない。


 直ぐさま体を穴に隠し、回りの土で光を塞いだ。


 以前掲げた3つの目的の2つ目、自分の足で外の世界を見る。は、こうして達成されたのだ。そして、そこから生まれたのは、更なる外への好奇心。何時までも止まない鼓動に、しばらく酔いしれていた。


 ✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 翌日からアスは仕事に復帰した。まだ痛みは有るものの体は軽い。


 真面目に巣の中での仕事をこなし、合間を見計らっては隠し通路から外へと顔を覗かせた。


 そして、アスが穴掘りに見出した3つ目の目的。それを叶える為には、その日が来るのをただ待つ事しか出来なかった。


「アスの奴どうしたんだ?」


 これから仕事に出ようとしていたオテモがそう言うと、モグは首をかしげた。2匹の目の先にいるのはアス。真面目に働きつつも、時折遠くを見つめエヘエヘと薄笑うすわらいを浮かべていた。


「……ス……アス!」


 我に反ると同時にビクリと揺れるアスの背中。キョロキョロと大袈裟(おおげさ)に首を振るとモグを見つけた。


「んもう。何、ニヤニヤしてるのよ?」

「え……あぁ、何の事……?」


 慌てながらも平静を装うアスだったが、モグが怪訝けげんな表情を浮かべ顔を覗き込むと、アスは思わず目を背け、ゴミ拾いをするそぶりを見せながら卵部屋へと消えて行った。


「怪しい……」


 そう口にしたモグは、アスの後を追う様に卵部屋への通路へと入って行った。アスに気付かれ無い様、通路をゆっくりと歩くと、卵部屋へと到着した。恐る恐る部屋を覗いたモグは、4つの卵の傍らでニヤニヤしながら眠るアスを見つけた。


「気持ち良さそうに眠ってる……。眠くてボーとしてただけか……」


 軽くめ息をつきながら言うと、来た道を引き返して行った。外の世界を見てからの数日、アスは仕事の合間を見ては、こっそりと昼寝をしていた。


 ✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 ――夜。


 ファミリーの皆が眠りに入ると、大広間の隅で眠らずに時を過ごす蟻が居た。眠っているふりをする為、目をつぶり、しかし、触角の先には神経を集中させていた。


 同じく大広間で眠るアロンの触角が動くと同時に、寝たふりをしていたアスの触角もピクピクと反応を示した。


(ついに来た!)


 そう心の中で強く叫んだアスは、目をつぶったまま触角の先でアロンの動きを探った。アスの気持ちの高鳴りとは関係無く、ゆっくりと起き上がったアロンは外の通路へと消えて行った。それを感じとると、閉じていた目が見開き、青い目が表れた。眠気を感じない体で、とある通路へと走る。数日の間、仕事の合間にこっそり昼寝をしていたのは、今日この日を間違い無く迎える為。緊張の為か、走る足に力が入らない。そんなアスの目前に部屋が見えた。


 だだっ広い部屋の中心に詰まれたゴミの山。迷う事無く最短距離で裏手に回ると、蟻が一匹だけ通れる穴を駆け登った。闇の広がる外の世界へ顔を覗かせたアスは、昼間の太陽の光りより遥かに弱い少し離れた外灯の光を僅かに感じた。


 昼間よりも少しばかり温い風を体に触れつつキョロキョロと辺りを見渡したアス。巣の入口の方角をおおよそで見当をつけ、触角をのばした。そして、感じたのは知らない蟻の匂い。


 知る。と決めた事に迷いは無く、高鳴る鼓動を抑え、匂いを辿って歩く。


 徐々に広がる好奇心と不安。匂いの元がすぐそこという所まで来ると、目の前に生えた草に身を潜(ひそ)めつつ様子を伺(うかが)った。


「良いからアスを引き渡すッスー!!」


 チョコファミリーの穴に向かって叫ぶ蟻。その姿は幼いアスよりは少しばかり大きく、体中についた汚れが何処かみずぼらしい。


「全く融通のきかない奴ッスね!」


 穴に向かって何度も同じような言葉を繰り返す蟻を、アスは草の陰からじっと見つめていた。


(あれが…母さん…?)


 女王蟻にしては体が小さく、粗悪(そあく)な印象が有る。しかし、話しの内容を聞くと母で有る可能性が高い。


 アスの3つの目的の最後。それは新たに掘った穴から一目、母の姿を見る事。仲間に知られ、家族という絆から離される事を恐れた為、これ以上は踏み込め無い。

 しかし、目の当たりにしたアスの心はらいでいた。何故、自分はこうなったのか。何故、アロンは隠し続けるのか。目の前の蟻は本当に母で有るのか。疑問だらけが頭の中で錯綜さくそう)する。


 すると、穴の前の蟻は急に静かになり振り返ると、トボトボと歩き出した。今日の所は諦めたのだろうか。アスの高鳴る胸は激しさを増した。後を付けようか6本の足が前へ後ろへ戸惑い動く。


 少しづつ小さくなってゆく蟻の背中を見つめ続けるアスだが、やはり足は動かない。口から小さな溜め息をはくと諦め振り返った。


「ふざけんなッスーー!!」


 突然の叫び声が闇に響くと、アスは再び巣穴へと目を向けた。すると、先程諦めて帰ったと思われた蟻が、勢いよく巣穴へと駆けてくる。その顔は、みっともない位にぐちゃぐちゃだ。

 その暴挙ぼうきょの様な行動を、アスはただ呆気にとられて見つめていた。巣穴の少し手前まで走ったその蟻は、巣穴目掛けて勢いよく跳躍した。


「アロン! くたばるッスー!!」


 叫び声が巣穴の真上でとどろいた。アスは、あんぐりと口を開けたままその様子を見届けた。そして……、巣穴を大きく飛び越え、地面に落下すると、その勢いからゴロゴロと転がってアスの目の前へと倒れ込んだ。


「痛いッスー!! 飛びすぎたッスー!!」


 目の前で泣きながら騒ぐその蟻に、アスは開いた口がふさがらない。そして、ジタバタともがいた蟻は、ふと目の前のアスに気付いた。


「なんスか! そんなに口を開けて! 何処のアリンコッスか!?」


 倒れたままアスを見上げた蟻は、微かにれる外灯の光に照らされた青い目を見た。そして目を見開いたまま固まった。2匹の間に沈黙が流れる。少しして……。


「…アス? アスッスか!?」


 突然呼ばれた自分の名前に、戸惑いと確信を得たアスは、フルフルと震えながら、目の前の蟻を見つめ、口を開いた。


「お…お母さん…?」


 言うと同時に目の前の蟻は目を見開いて驚き、そしてニヤつきだした。そして少し考えて、見つめるアスに答えた。


「もう一度、言ってくれッス」


 言いながらニヤつき、モジモジと足踏みをし始めた。


「母さん!」


 力強く答えたアスの目には涙が零(こぼ)れゆっくりと目の前の蟻に歩み寄って行った。


「残念だけど違うッス」

「え?」


 ニヤけたまま、ばっさりと否定をしたその蟻にアスは足を止めた。

 からかわれた様な反応に体をプルプルと震わせたアス。


「オイラの名前はハナッス! アスはオイラの息子だけどアスは違うッス」


 ハナと名乗った蟻の言った矛盾に混乱しつつ、やはりからかわれているのではと警戒した。


「んー、言葉って難しいッス! まぁそんな事は良いッス。アス、オイラに着いて来るッス。オイラがアスを立派に育ててあげるッス」


 訳が判らず考え込むアス。目の前の蟻は悪い奴では無さそうだと思ったが、謎は深まるばかりだ。そして、そんなアスの心境を察する事も無く、ハナはこっちだと言わんばかりに前足で招いて見せた。


「ちょ、ちょっと待って。何で僕を…? 母さんじゃ無いんでしょ?

 教えて! 僕は、僕は…、チョコファミリーの蟻じゃ無いの!?」


 涙で瞳を潤ませて、疑問を強く訴えたアス。それを見てハナは少し驚いて見せると、突然穴を掘り始めた。早く答えの知りたいアスからしたら、余計に疑問を駆(か)り立てる行為だが、アスはハナの行動の意味を理解し、一緒になって穴を掘った。少しして、細い通路の先に丸い部屋の有るフラスコの様な穴が出来た。

 これは、見通しの悪い夜間に身動きをとらず、長く話していては外敵に襲われる危険が有る為に、一時的に作ったものだ。


 それを見てアスは、ハナの話は長くなるなと理解した。


「まず、オイラの昔話しをさせて貰うッス」


 コクリと頷いたアスを見届けると、ハナは静かに口を開いた。


「オイラは、一年位前に北西に有る丘エリアの隅っこで、クロヤマアリのファミリーとして産まれたッス。産まれたファミリーは500匹にもなる大家族なんス」


「500匹!? そんなに?」


 予想通りのアスの大きな反応が嬉しく、自慢げにほくそ笑んだハナ。


「クロヤマアリはクロナガアリと違って、一杯産めるし、羽化するのも早いんス」


 早く結論が聞きたいアスだが、真剣に話すハナを見て、出そうとした言葉を飲み込んだ。


「ファミリーでオイラに与えられた仕事は、どんどん生まれてくる弟と妹達の餌をつまみぐ…子育てッス!」


 真剣に話していたハナの表情は次第に崩れ、楽しそうに話していた。


「生まれたばっかの子供って小さくてコロコロしてて凄く可愛いんス!

 だけど、ある程度育った子供達は仕事を教える為に別の部屋に移されちゃって、別れが寂しいんス」


 楽しそうに話していたかと思えば、悲しそうに声のトーンを落としたハナ。そんな様子を見て面白い蟻だなと考えるアスに、今度は飛び出しそうな程に目を見開いて話しを続けた。


「ある日の事、同じく育児係のナナってアリンコに凄い事を聞いたんス!」

「凄い事?」

「そう! 凄い事ッス!!

 アスは女王蟻が何故子供を産めるか知ってるッスか?」


 突然のハナの変な質問に首を傾げつつも、アスは少し考えて口を開いた。


「女王様だけに与えられた特別な能力なんだよね?」


 誰からそう聞いたのか、それを当たり前の様にしか考えずアスは思うままに答えた。


「違うっス」


 ため息混じりに、そう答えたハナは、けだるそうに話しを続ける。


「凄い話しの前にアスにはお勉強が必要ッスね!

 えーと、どのファミリーも、ある程度巣が大きくなると、女王蟻候補って呼ばれる蟻が産まれるんス。そのアリンコは成長すると羽が生えて、時期が来ると巣から離れて結婚飛行をするんス」

「蟻に羽が生えるの!? 結婚飛行? なにそれ?」

「まぁ、慌てないで聞いて欲しいっス。

 結婚飛行っていうのは、寒い冬を越えて、暖かくなった頃…調度、今位の時期になると、女王蟻候補達は一斉に外へと飛び出すんス。

 外の世界に出た女王蟻候補は牡蟻おすありと出会い交配こうはいして、子供を産むための種を体にたくわえるんス」


「冬って何? 交配? 種って花についてるあの固い奴? 女王様に羽は生えてないけど……」


 アスの口から出る好奇心の嵐は止まらない。初めて聞く事だらけで、青い目が一層輝いた。


「だーー! うるさいアリンコっスね!良いから大人しく聞くっス!!」


 言いながら、バタバタと足踏みをして暴れ出したハナは、勢い余って天井に頭をぶつけてしまった。


「いったー!!」

「ご……ごめんなさい……。大丈夫……?」

「くそぅ天井め! 土のくせに!」


 前足で自分の頭をさすりつつ目には涙を浮かべ文句を言うハナの姿に、アスは思わず笑いが漏(も)れた。


「……話を続けるっスよ。

 女王蟻に羽が無い理由は簡単なんス。

 結婚飛行を終えた女王蟻候補は住み易そうな土を見つけると羽を自分でむしり取るんス」

「えええぇ!! 何でそんな事!?」


 そう言うと、アスはまるで自分の事の様にブルリと背中を震わせた。


「これから、その土地に定住する女王蟻候補にとって羽は意味の無い邪魔なものなんス。羽をちぎってようやく『女王蟻』になるんスね。」

「へー、女王様ってそんなに大変な事をしてきたんだ」

「でも本当に大変なのはこの後っス。何せ広い世界で一匹からのスタートになるんスから。

 穴を掘った女王蟻は卵を生むと、それが羽化するまでの約1ヶ月殆ど何も飲まず食わずで卵の世話をするんス」


 ハナの話を聞きながら目には涙を浮かべて感動を覚えるアス。だが、ふと自分の聞きたい話とは関係無いのではと気付き、前足で涙を拭った。


「あの……僕が聞きたいのはそういう事じゃ無くて、僕の母さ……」

「あぁ! そうっスよ! 女王蟻の話はこのへんにして、ナナから聞いた凄い話っス!!」


 再び飛び出しそうな程に両目を見開くと、早口で喋り出した。


「子供を産めるのは何も女王蟻だけじゃなかったんス。

 牝の働き蟻の体にも同じ様に子供を産む為の機能は備わっていたんス。ただし、結婚飛行が出来ない働き蟻には何故か、牡しか産めないんス。でも、それを聞いたオイラの胸は高鳴ったっス!」


 力強く言い放ったハナの言葉。しかし、その瞳に映された何処か悲しげな瞳をアスは見逃さなかった。


「それで、ハナさんは子供を産んだの?」


 話の流れから、そうなのではと思い疑問をそのまま口にしたアス。ハナはそれに優しく微笑んで見せた。


「子供は好きだし、自分で産んでみたい気持ちは有ったっス。だけどそれは、してはいけない事。女王様が元気で子供を産めるのにそんな事をしたら巣から追い出されちゃうんス」


 そう言い終えると深呼吸をしてアスを見た。まるで気持ちの整理をする様に。


「だけど…。結局、自分の気持ちを抑えられなくなって。産んだっス。誰にも気付かれ無い様に、他の卵に紛れ込ませて……」

「でも他の卵と混じって、どれが自分の子か判らなくなっちゃうんじゃ無い?」

「それは無いっス。女王様の産んだ卵とオイラが産んだ卵とでは、匂いが違うっスから。

 でも、それが裏目に出て、違う卵が混(ま)じってるってバレちゃったんス。そしてオイラの産んだ卵は何処かへ捨てられ、卵を探そうとしたオイラもバレて追い出されたんス」


 そう言うと、深くため息をはいた。そんなハナにアスは強く眼差しを向ける。


「その卵が、僕……?」

「だから違うっス!産んだ卵にはアスって名前を付けようとしてたけど、今目の前に居るアスでは無いっス!」

「外の世界に放り出されたオイラは、餌の取り方も判らず放浪(ほうろう)したっス。

 そして、見たことも無い様な怪物達に襲われてる所を、同じくクロヤマアリのチータのアニキに救われたんス」

「チータ?」


 アスが疑問を口にすると、ハナは顔を真っ赤にしながらクネクネと気持ち悪い動きをしはじめた。


「そんで、アニキのファミリーに無理矢理加えて貰ったのが2ヶ月位前の事っス。そんなオイラに与えられた最初の仕事は、アニキと2匹でとある『石』の捜索だったっス。」


 『石』という単語にピクリと反応を示したアス。前にマサキの口から聞いた事は有るものの、その意味すらまだ知らない。


「その石について僕も知りたいんだ。一体どんな秘密が!?」

「知らないっス。オイラも初めて聞いたし、何で皆そんなに必死で探すのか訳が判らないっス」


 ハナの言葉に肩を落としたアスは、『石』についての興味をより強くした。しかし今は優先すべき事が有る。再び黙ってハナに目を向けた。それを察して再び話を続け様とするハナだが、何処まで話したか頭を抱えていた。


「ええっと…そう、そうっス。アニキと2匹っきりで任務を…えっ、いや2匹っきりって言っても変な意味じゃ無いんスけど」


 赤くなったアリはそう言いながら、その場でジタバタと足踏みをしはじめた。

 暴れながらもアスの視線を感じると慌てて仕切直した。そしてわざとらしく何事も無かった様に話を続ける。



「……ゴホン。

 今から2ヶ月位前、此処(ここ)から遥(はる)か北に広がる草の生い茂るエリアに『石』を隠したファミリーが居るかもしれないと、頭……仲間に聞いたんス。早速、アニキとオイラはそれらしい巣に潜入したっス。そしたらアニキってば『石』と間違えて蟻の卵を盗み出しちゃって」


 ハナの話にまさかと心を泳がせたアスは、言葉を発せようとするが、止めてはならないという思いから、ただただハナを見つめた。そんな様子に気付く素振りも見せず、ハナはすらすらと説明を続けた。


「アニキってば、卵を盗んだ上に捨てろって言うから、オイラが可哀相だって言いくるめたんス」


 自分に都合のいい様に置き換えて楽しそうに話すハナ。アスは無言で震えていた。


「盗んだ巣に戻るのも怖かったし、仕方無く、その巣と同じクロナガアリの巣に卵を預けたっス。そして、預けた蟻に頼んだんス。自分の子と同じ『アス』って名前をつけて欲しいって。

 その名前のせいなんスかね、預けたものの、やっぱり忘れられなくて自分で育てたいと思って…」


 アスからしたら家族を引き裂いた犯人であり、しかも自分勝手な解釈で罪悪感も無く振り回しているのだ。ふつふつとした怒りがアスの中に込み上げてきた。

 怒りの言葉を発せ要とするアス。そこへ、まばゆいばかりの光が差し込んだ。

 何だろうと言葉を止めたアスは、光を見続けて硬直こうちょくしたハナを見た。少しばかりの沈黙を、小鳥のさえずりがさえぎるとハナは慌てて跳びはねた。


「朝じゃ無いっスかー!!」


 狭い部屋に何度も反射する声にパラパラと壁の砂が落ちた。次の瞬間、崩れる砂も構わず器用によじ登ったハナは


かしらにバレちゃうっスー!」


 と、叫びながら朝日とは逆の方角に駆けて行った。


 やり場の無い怒りと、重過ぎる真実。しかし、その境遇で今のファミリーに居られるという思いを複雑に絡み合わせ、生まれて何度目かの涙を拭った。そして、頭に積もった砂もそのままに、ゆっくりと巣へ帰って行った。

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