第2話 事の発端

 弘幸の住んでいる家から道を挟んで向かい側に、閑静な住宅に囲まれた緑の多い公園が有った。公園の隅には一本の桜の木が立ち、夕焼けを浴びた鮮やかなピンクの花びらがそよそよと揺れる。すると、花びらの一枚がぷつりと枝を離れ、音もなく落ち四角い箱の上に重なった。その箱は、たたき付けられた衝撃によってボコボコになっていた。中にいる女王蟻も同様に体中に怪我を負ってしまっていた。


「卵を守らないと…」


 そう言った女王蟻は卵を2つ口にくわえると、重たい足に力を込め、箱の隙間から体を引きずり出した。スペインで捕獲ほかくされてからずっと容器に閉じ込められていた女王蟻に夕焼けが差し込むと、久しぶりの外の世界に少しばかりの感動を覚えた。しかし、今はそれどころでは無い。早く巣を作り卵を隠さなくては外敵に狙われる危険が高い。


「ここが良いわ。巣を作らないと」


 前足を器用に動かし、土を掻き分ける女王蟻。

しかし、体に負った傷は重く、一掻きごとにつらそうな表情を浮かべた。だが、止めるわけにはいかない為、歯を食いしばり痛みに耐え掘り続けていく。


 …どれくらいの時間がっただろうか、日が沈み奇麗に映(は)えていたピンクの花びらも闇に紛れ色を失った頃、女王蟻の巣作りもようやく終わろうとしていた。地上から10センチほど斜めに掘り進み、奥に広めの部屋を作っただけの簡素(かんそ)な作り。本来ならもっと早く作れた所だが、全身に怪我を負っている為、かなりの時間と体力を要してしまった。


 巣が完成して安心したのだろうか、ずっと口にくわえていた2つの卵をそっと部屋の中心に置くと、体を沈め倒れるように眠りに入っていった…。


✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝✝


 宵闇よいやみの静かな公園に足音が2つ。

 ザザザザッ…という音と共に2匹の蟻が軽快けいかいけていた。

 その2匹の蟻は普通の蟻より一回り小さい、クロヤマアリと呼ばれる種族だ。その多くは山に深い巣を作って群れで暮らしている。しばらくすると後方の蟻の走りがゆっくりになった。


「ゼエッゼエッ!チータのアニキー!!待ってくれっスよ!」


 息を切らせながら前方の蟻を呼び止めると、チータと呼ばれた蟻は振り返り答える。


「だらし無いぞハナ、それでもオスか?」


 チータも疲れてはいたが、強気な性格からか顔には出さず平気な素振りを見せた。


「オイラメスだって何度言ったら…」


「ん?ハナ何か言ったか?」


「うぅん、何でもないっスよ」


 ハナはため息をつくと、何かを思い出した様に言葉を続ける。


「でもホントに『あの石』が有るんスかね?オイラまだ信じられないっスよ」


かしらが言うんだ、間違いないだろ。ほら行くぞ」


「オイラはいつまでもアニキに着いて行くっスよ」


 ハナは少し顔を赤らめて言うが、チータは苦い顔をしていた。そして2匹はまた走り出す。前方には桜の木が見えていた。しばらく走ると、2匹の蟻は桜の木の下で走りを止めた。


「ハナ!この辺りに巣が有るハズだ。巧妙こうみょうに隠してるハズだからよく探せ」


チータが意気込んでそう言うと、横にいたハナが申し訳なさそうに口を開いた。


「あのアニキ?そこ…」


チータがハナの言った方を見ると、すぐ目の前の土に直径8ミリほどの小さな穴を見つけた。


「あれ?確か頭の情報だと桜の木の辺りに、巧妙に…こうみょうに…えとそこの蟻達が『あの石』のうちの一つを隠し持ってて…えと…えと…」


 確かに目の前には蟻の巣が一つ有る。しかし巧妙に隠してあるとは言えない。


「アニキー、何ぶつぶつ言っているんスか?混乱してるアニキ凄いアホづらっスよ」


 ハナの一言にチータは我にかえると、ムッとした表情を作り言い返した。


「誰がアホ面だ!?きっとここで間違い無い!行くぞ」


 チータは周りを警戒しつつ巣の中へと足を踏み入れた。そしてハナもそれに続いた。


 2匹が恐る恐る巣に入ると、すぐに通路が切れて部屋が見えた。


「アニキー、何か変じゃ無いっスか?」


「…そうだな」


本来なら、外部の匂いを嗅ぎ付けた蟻が襲って来てもおかしくない。しかし、見張りが1匹もいない上に、あまりにも静かなのだ。何か裏があるのかもと、ゴクリと唾液を飲み込むチータ。


「…ハナちょっと部屋の様子を見てこいよ」


「えー、いっつも嫌な枠割はオイラなんスから!」


 言われてハナは渋々と覗(のぞ)くと、部屋の中心で大きな女王蟻が1匹眠っていた。


「クロナガアリの女王…?つかデカッ!オオクロアリ並みスね」


 ハナが驚いたのも無理も無く、普通クロナガアリの女王は1.2cm前後、だが目の前に居る女王蟻は日本で一番大きいオオクロアリの女王と同じく2cm前後の大きさだ。


「おや?」


 ハナの瞳に2ミリほどの小さな白い玉が映った。はやる気持ちを抑え、女王蟻を起こさないように、そーっと近いた。ビクビクしながら女王蟻の顔を何度も見るが、深く眠っていて起きそうに無い。


 ハナは白い玉を口にくわえると、一目散にその場を逃げ出した。女王蟻のお腹の下にも白い玉が有るのだがハナは気付かない。


「ファフィヒー!ふぃふへはっふよー(アニキー!見つけたっスよー)」


口に白い玉をくわえているので上手く喋れない。ハナが通路に向かって叫ぶと、部屋で眠っていた女王蟻が僅かにと動いた。


「おー!!よくやったぞハナ!」


「ファニヒー!(アニキー)」


 ハナはここぞとばかりにチータに抱き着こうとするが、チータは軽やかに避けた。するとハナは地面から滑り込み、口から白い玉が落ちた。


「アハハハ、なにやってんだハナ」


「アニキー痛いっス!」


「馬鹿やってないで行くぞ、…ん?どうしたハナ?」


 ハナは慌てて白い玉を拾うと、チータに背を向けて無言で外へと飛び出していった。


「おい!ハナ!お宝を独り占めしようったって、そうは…」


 言いかけると後方から悲鳴にも似た雄たけびが狭い通路に響いた。振り向いたチータが見たのは、黒い壁と思ってしまいそうな程の巨大な蟻。上を見上げると怒りの形相(ぎょうそう)に青い瞳。思うと同時に硬そうな顎がチータに迫った。慌てて逃げ出そうとするが、鋭い牙はチータのお知りに食い込んだ。痛みに顔を歪(ゆが)ませるチータは、巨大な蟻の攻撃を無理やり振りほどくと、痛みを堪(こら)えて一目散(いちもくさん)に逃げ出した。


 チータが巣穴から飛び出すと、遥(はる)か遠くで泣きながら逃げ回るハナを見つけた。


「あのバカ…!おい待てよハナ!」


 ハナを追いかける様に逃げるチータがふと振り返ると、後方から迫る巨大蟻の異変に気付いた。よく見ると体がふらつき、いまにも倒れそうだ。チータは余裕で逃げられると悟(さと)ると、ふぅと一息つき走り出した。チータは足には自信が有る、ハナにも直ぐに追いつけるだろう。しばらく走ると巨大蟻の姿は無い。もう撒(ま)いた様だ。


「おーい!ハナー!」


 チータの声にハナが振り向くと、ハナは目を見開き。


「ギャーーー!追ってきたー!」


 逃げ出す。


「泣きたいのは、こっちだ!ケツ痛いし!!」


 チータのお尻は少しちぎられ少量では有るが出血していた。


「ハナー!俺だよー!間違えるな!!!」


 小一時間ほど追いかけ回し、息を切らせながらもようやくハナに追いついた。


「アニキのバカ―!!」


「ハアッハアッ、バ…バカはお前だ!…マ盗賊団の、い、一員なら、もうちょ…りしろ!」


その言葉に、しょんぼりとうなだれ、触角をダラリと下げるハナ。


「ところでよ」


チータの態度がコロリと変わり、ハナの持っている白い玉を見て目を輝かせる。


「俺にも見せてくれよ」


「ア…アニキそんなに見つめられると…」


 チータはハナを無言で無言で殴った。


「い、痛っ!じ…冗談っすよ」


 ハナは持っていた白い玉を差し出すと、それを見つめていたチータの動きが止まった。


「アニキどうしたんスかー?」


 チータはハナを再び殴った。


「痛いっスー」


 チータは、はあっと深いため息を吐くと。


「アホか!?どう見ても蟻の卵じゃねーか!」


「え?…えええぇー!!」


ハナは言われて卵を見る。そしてチータの方を向いて笑顔を作ると。


「アハ」


 もちろん殴った。


「3回もぶったー」


「また探し直しか…、ハナこの卵どっか捨ててこいよ」


「捨てちゃうんスか!?可哀かわいそうっスよ!元の場所に戻して来るっス」


「そっか、勝手にしな。ただお前があの巣に戻ったら巨大蟻…いや、あの女王蟻に殺されるぞ」


 チータの言葉にさっきの女王蟻を思い浮かべて、思わず固まるハナ。


「それに可哀相って、盗賊の癖に変な奴だな」


「じゃー近くにクロナガアリの巣が有るから、そこに置いて来るっス」


 その後、ハナは桜の木から遠く離れたクロナガアリの巣に卵を置きに行った。

そして数日後…。

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