第4話 モノノフと私


「さっさと起きろ!!」

 ボフン。顔に衝撃を感じて目を開ける。案の定何も見えない。手でガシッと掴んで、持ち上げると、目があった。

「おはよう、お寝坊さん」

「おはようございますってまだ六時じゃん……」

 時計を見ると数字の6を短い針が指していた。私は学校が近いから家を8時頃出ればいい。朝ごはんもそんなに食べないし、毎朝7時半に起きたって間に合うのだ。6時なんて数字、全然見たことない。二度寝しようとするとベシベシと頬を叩かれた。

「寝たらだぁめ♡」

「おっさんの声で女の人みたいな声だそうとしないで。ただのオカマみたいだよ」

「じゃあ……寝たら死ぬぞ!!」

「雪山で遭難そうなんしてるのかな私」

 雪山で迷子になって遭難したとき、身体が凍えきると眠くなるらしい。その状態で寝るのは凄く危険なんだって。寝てる間に体が凍りついちゃうの。怖いよね。ってそんなこと言っても、ここはホカホカのベッドだし、まだ早いから寝ます。私は眠いんだよ。昨日バトンを振り回したり走り回ったせいで筋肉痛なんだ。身体が起きてはだめだと叫んでるんだ。

「モノノフになってくれたんだ、いろいろ説明してぇんだよ」

「学校帰ってきてからじゃだめ?」

「また学校で襲われたらどうするんだ」

「ううぅ身体中が起きるなって叫んでるんだ……」

「叫んでない叫んでない。ただの筋肉痛だ」

「筋肉もしゃべるの……」

「筋肉はしゃべんねぇよ」

「クマはしゃべるのに」

「クマだからな」

「くぅ……」

「こらねるな! それ布団がふっとんだ!」

 結局何度も叩き起こされ、最後には布団を剥がされ、諦めて起き上がった。

「もう! わかった話聞くってば」

「よぉしきた! モノノフ、ツクモガミについてはなんとなくもうわかったよな?」

「ツクモガミと協力して、ボウジャを倒すのがモノノフっていうんでしょう?」

「そうだ。モノノフとツクモガミは主従しゅじゅうを結ぶと昨日の俺たちみたいに不思議な力を使えるようになる」

「あぁ、あのバトンか!」

 あのバトン、クーくんが元に戻ったときにぽん、と消えてしまったのだ。まぁ可愛かったけど、普段からあったら邪魔か。

「より絆が強くなると、更に強い力が使えるらしい」

「でも私昨日みたいに怖い思いするのやだ!」

「昨日のように怖い悪夢ばかりじゃないさ。人によって怖いものは違うからね」

「そうだ。昨日のあのクモ女がボウジャっていうやつ?」

「そうだぞ。ツクモガミが何か恨みや悲しみを抱えて、ボウジャになっちまうんだ。そういう奴らがあぁやって人の悪夢を呼び起こす」

 クーくんが詳しく説明してくれたことでなんとなくわかってきた。ボウジャっていうのはツクモガミの正反対の位置にいるらしい。ツクモガミが大切にされて人のことが大好きになった魂だとしたら、ボウジャは大切にされずに人のことを恨み続けている魂だ。


「以前ツクモガミは99年経たないと宿らないという話はしたな?」

「うん! だからツクモガミは九十九神って書くときもあるんでしょ」

「そうだ。だけど、あの指輪、そこまでたっていない気がするんだよな。少し古そうだったが、せいぜいあの先生の2代前くらいから受け継がれてきたものなんじゃないか」

「おじいちゃん、おばあちゃんからってこと?」

「そうだ。50年くらいしかまだたってなさそうだった」

 ツクモガミは99年経たないと物に宿らないはずなのに、50年しか経ってない指輪がボウジャになってしまった。ボウジャはツクモガミが落ちた姿だから……。

「あれ? それならあの指輪はボウジャが宿るはずはないのか」

「おう、その通りだ。だからもしかしたら、他のボウジャが力を分けたのかもしれたい」

「他のボウジャも近くにいた?」

「おそらくな。姿を見せなかったのが謎だが。それと、ボウジャにも、モノノフがいる場合がある。そうすっと、人間と協力してくるから面倒なんだよなぁ」

 人のことを恨んでるはずなのに人と協力してるなんて変なの。

「あと気になるのは、昨日俺たちを助けてくれた黒い髪の毛の正体だな」

 クーくんが刺されそうになったあのとき、突然黒い髪の毛が現れて、グルグルとクモ女の脚とかを縛って動けなくしていったんだ。確かに、その髪の毛が誰のものなのか全然わかってないや。

「おそらくツクモガミのもんだな。ありゃ強えぞ。ひょっとしたら、うまく協力しあえるかもしんねぇな」

「じゃああの髪の毛のツクモガミとモノノフを探せばいいの?」

「髪の毛はツクモガミにならねぇよ。人様がつけてるもんだからな。おそらく、人形の髪とかだと思う。人形のツクモガミとそのご主人サマを探そう」

「うん、そうだね」

 危険な目に会いたくないけど、クーくんと話せなくなるのは嫌だし。協力できそうならしたほうが多分危なくなくなる。

「がんばろうな」

「わかったよぅ……」

 何も頑張れない、頑張りたくない。そう思っていたはずなのに。昨日は凄くがんばれた。先生を助けられた。それが少しだけ嬉しかった。もう少し頑張ってみようかな、なんて思ってしまったのだ。


 クーくんと話していたらあっという間に7時半になった。着替えて準備万端にして下に降りると、おばあちゃんが目をまんまるに見開いた。

「じ、自分で起きてこられたのね!」

「そりゃあたまには……」

「嬉しいわ……!!」

 涙ぐむおばあちゃん。普段おばあちゃんに叩き起こされないと起きないからなぁ……。にしてもひどい。たまに起きたくらいで涙ぐまないでよ。

「あら、それクーくんじゃない。今日も一緒なの?」

「え、あ、うん! 久しぶりに仲良くしたいなぁなんて」

「じゃあ今日はクーくんの分もご飯よそってあげるわね!」

「いいよ、恥ずかしい」

「恥ずかしくないわ。クーくんも立派な家族の一員でしょう」 

 私が手に持っていたクーくんを見つけると、おばあちゃんが嬉しそうに笑ってクーくんの分までお茶碗にご飯を装い始めた。

 おばあちゃんは昔から物を大切にするから、クーくんのことも大事に扱う。私のお茶碗は私が幼稚園生の頃からずっと変わらないし、おばあちゃんのお茶碗は、おばあちゃんが小さい頃から使い続けてるらしい。そろそろそのお茶碗もツクモガミになるんじゃないのかな。

「それじゃあいただきます」

「いただきまーす」

 クーくんはおばあちゃんの前では動かない。というかご主人サマ以外の前では動かないんだって。あまりバラしちゃいけないらしい。変な人に悪用されないようにね。

 朝ごはんをパクパク食べて、支度を整えたあと、学校に行こうと家を出た。クーくんは小さくキーホルダーになって、私のランドセルの横にプランプランとついている。いってきまーすと叫んだあと、ガチャりとドアを開けると、隣の家の扉も開いた。中からスラリと背の高い優しい表情のれい兄が出てきた。

「れい兄だ! おはよう!」

「おはよう、あやめ。今日はいつもより元気そうだね」

 そうかなぁ。いつもと違うのはクーくんがいるとこととやらなきゃいけないことがあることくらいだけど。

 ニコニコと目を細めて笑うれい兄はやっぱりかっこいい。目が細いのにかっこいいのはずるいと思う。優しくてかっこよくて頭も良くて完璧だもん。きっとモテモテなんだろうな。

 あ、でも昨日確か小学校に入るとこみたんだ。クモ女に襲われたりしなかったのかな。

「ねえれい兄、昨日小学校にいた?」

 そう聞くとれい兄は、少しだけ目を開いて私を見た。いつもあまり見えない、れい兄の灰色がかった目が私を見つめる。それに少しだけドキッとしてしまった。

「……どうして? 行ってないけど」

「行ってないならいいんだ! 私の勘違いだったみたい」

 でもあれは、れい兄だった気がする。だけどなんだかこれ以上聞いちゃいけない気がした。

「そう? あ、そろそろ時間じゃないかな。行かなくていいの?」

 近くにある公園の時計を見るともう八時過ぎていた。慌ててれい兄にバイバイして集団登校の集合場所に向かった。


******


 学校に入ると、昨日の怖い光景を思い出して、少しビクビクしてしまった。でもあのたくさんのクモの巣も壊れたドアも全部元通りになっていた。教室もなんともない。

「おはよう、あやめ」

「きょうちゃん!」

 うーん、サラッサラの黒髪が今日も輝いてる! 伸ばせばいいのに、といつも言うんだけど、邪魔だからっていつも短く切っちゃう。美人さんだから、男の子には見えないけど。

「なんか今日元気だね?」

「そうかなぁ」

 やっぱりクーくんに会えたからだろうか。昨日から色んな人に元気だねとか楽しそうとか言われる。クーくんとおしゃべりできるようになったから嬉しいとかいったらやばいやつ認定されてしまうんだろうけど。

「そういえば昨日さ、水筒学校に忘れちゃって、取りに戻ったんだよね〜」

「一人で?」

 一人で、なんてなんで聞いてくるんだろう。クーくんと一緒だったけどそんなことは言えないのでとりあえずうん、と頷いた。

「大丈夫だった? 変な人とかに会ってないよね?」

「だ、大丈夫だよ」

 本当は大丈夫じゃなかったです。クモ女に襲われました。なんてことも言えませんです。

「気をつけてね。本当に、一人で夜遅くにでかけちゃ駄目」

 ガシッと肩をつかんで少し怖い顔をしながらそういうきょうちゃん。

「わかってるよ、心配しないで」

「だって、あやめは危機感ききかんがなさすぎるし、運動もできないし、大声も出せないでしょう。私すごく心配なの」

 昔からきょうちゃんは可愛かった。だからその分、変な大人の人に声をかけられたり、誘拐されるなんてどこぞの小学生名探偵のような事件に巻き込まれたりする。そのせいか、私や自分の周りの子達の身の安全をよく気にしてくれるのだ。本当は自分が一番怖いのに。優しいんだ、きょうちゃんは。

 帰り道、きょうちゃんは絶対一人で帰らない。登校班が隣同士なので私も用事がないとき以外は必ず一緒に帰っている。用事のあるときなんてないけどね!

「おはよう! みんな!!」

 バン! と教室に現れたのは半そで先生だ。

「今日は青かよ!!」

「やっりぃ! 当たったぜ!」

「くっそぉ! 俺の冷凍みかん!」

 どうやらアホな男子たちは今日の給食に出る冷凍みかんをかけて先生のTシャツの色当てゲームをしていたみたいだ。先生は同じデザインのTシャツを何枚も持っていて、色だけ毎日変えてくるんだよね。

 男子はなんだか盛り上がっているけどそういうのってくだらないって思ってしまう。

「さぁみんな席につけぇい! 朝の会を始めるぞ!」

 いつも通りの朝が始まった。先生もなんともなさそうだ。健康観察チェックが始まって、それぞれ名前を呼ばれる。

「石上!」

「はい」

「お、元気そうだな! よかったよかった」

 返事を普通にしただけで元気認定されるの何なの。私普段そんなに暗かったの? そんなことを思ってる間にどんどん名前は呼ばれていく。

「杉野〜、……あれ、杉野はまたいないのか!!」

「またー?」

「こないだは猫助けたってさ」

「今日はなんだろうな」

 いつも遅刻ばかりしてくる杉野はやんちゃでいつもおちゃらけてばかりだ。遅刻も本当は寝坊のくせに猫を助けた、とかお婆ちゃんを助けたーとか他にもいろいろ。

「セーフ!!!」

「アウトだ!!」

「いいやセーフだね、半そで先生! まだ次のやつに行ってないだろ!」

「はいはいそれで? 今日はどうしたんだ?」

「怪我した鳥を助けてたんだよ」

「夢の中でか?」

「そうそうって、そうじゃない!」

 ほんとだって〜! と笑う杉野。呆れた顔で見ていると、ズカズカと歩いてきた。うるさい彼は私の隣の席なのだ。冴えないやつとか、地味とか、つまんねーとかいつもいつも本当にウザい。目を合わせても面倒だから、いつも知らんぷりするのだけど、彼はピタリと止まると私のランドセルの横についているクーくんをじっと見つめた。

「な、なに」

「……いや、なんでもねぇ。可愛いなそれ」

「似合わないって?」

「そんなこと言ってねぇだろ。大事にしてんだなって思ったんだよ」

 え、と素っ頓狂すっとんきょうな声が口から出てしまった。だって、いつもニカッて口を大きく開けて笑う杉野が少しだけ微笑んでそんなことを言い出すんだもん。

「なんか悪いもんでも食べたの?」

「失礼な。ちゃんとしたもん食ってるわ。お前こそ変なもん食ったんじゃねえの。心配してくるとか珍しすぎて明日は槍が降るどころか、クマでも落ちてくんじゃね」

「はぁ? そんなわけないでしょう」

「ジョーダンだよ、相変わらずつまんねぇやつ」

 そう言ってニヤニヤ笑う杉野はいつもどおりだ。さっきのはなんなんだよ。5発くらい殴ってやろうかと思った。


「なあなあ、知ってるか? 昨日この学校にでっかいクモが出たんだってよ!」

 その言葉が聞こえた瞬間、ブッ、と私は飲んでいた飲み物を吹き出した。声のした方を見ると杉野が男子たちと集まって話しているところだった。

「なんだよ石上、きったねぇな」

「石上にも聞かせてやれよ」

「そうだな」

 杉野はわくわくした顔でこちらに近づいてくる。他の男子たちも私にも聞こえるように近づいてきて、話し始めた。昨日のクモ女が見られてたり……? クモ女とかって人に見られるの?? 夢だと思われて終わりじゃないの? 話が違うじゃん、とランドセルについたクーくんを握りしめる。

「手のひらよりもデカイ大きさのクモが、校舎の中にいて、マスターがぶっ潰したらしいぜ」

「それだけか……」

「なんだよその反応。マスターがぶっ潰すとこ見たかったな。それよかさ、そのクモが出たとき、半そで先生がアホみたいにビビりまくったらしいぜ。めっちゃ面白くね」

「熱血な半そで先生の弱点じゃん」

「今度さ、おもちゃのクモ持ってきて机においてやろうぜ」

「天才かよ」

 マスターは隣のクラスの担任の先生。英語が得意で、英語マスターだからマスター。マスターっていうのは専門家って言うこと。半そで先生はビビるどころかクモ女を見て気絶してたけどね。

「やめなよ……先生気絶しちゃうよ」

「これだから石上は……」

「つまんねぇの」

 男子のいたずら心は全く理解ができない。先生の嫌がることするなんて酷いよ。反論しようとしたけど、ちょうどその時先生が授業を始めるぞー、と入ってきたので、男子たちは席に戻ってしまった。

「なぁ、なんでクモの話で吹き出したんだ?」

 杉野にそう聞かれドキッとする。クモ女がどうとか言えるわけないもん。頭のおかしいやつだと思われる。

 どうしよ、と頭の中で必死に考える。そのとき、杉野がはっと閃いた顔をした。すごく嫌な予感がした。

「もしかしてクモが好きなのか!?」

「えっ!? いや、好きではな……」

「クモが好きなんて珍しいな」

「好きって言ってな……」

 否定しようとしても杉野はもうすでに前の席の子に、なぁ、石上ってクモが好きなんだってよ〜、と話しかけ始めてしまった。話を聞けよ! 目立たない私のそういう珍しい好みを見つけてしまったから、杉野は嬉しくなってしまったのだろう。きっと明日には私がクモ好きという話がクラス中に回って、教室にクモが出たら、退治しろだの、逃してやれだの言われるんだろう、知ってる。どんな苦行だ。そのとき、握っていたクーくんがブルブル震えた。この野郎笑ってやがる。更に強く握りしめてやった。

 五年生になったら時間割が少し増えて、6時間授業ばっかりになった。6時間目はいつもみんな疲れ切っていて、流石の半そで先生も大人しくなってくるのに、今日の先生はずっと元気だった。むしろ授業が終わるにつれ、元気になっていく。皆はその元気さにだんだんついていけなくなっているみたいだった。残り授業時間は30分。ついに我慢できなくなった男子が先生に話しかけた。

「先生ぇ、今日なんか元気ですね」

「ハッハッハ、バレたか!」

「放課後デートでもあんのー?」

 杉野がそう茶化すと先生は否定せず、へらりと口を緩めた。

「十年越しの病院デートだな」

 今までに見たことないくらい先生は幸せそうにそう言うと生徒たちがワッと盛り上がる。

「どういうことー!?」

「先生教えて!!」

 そこで先生はチョークをおいてパタリと教科書を閉じた。やれやれ、残りの30分は先生のお話で終わりそうだ。


「俺をずっと待たせたお寝坊さんのお姫様の話をしようか」

 先生がポッケから見覚えのある黒い箱を出した。その箱の中からなんだか嬉しそうな声が聞こえる気がした。

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