第3話 半そで先生と婚約指輪



 大きくなったクーくんがそっと私を下ろす。改めて隣に並ぶと私の頭がクーくんの肩くらいの高さだった。初めて入った屋上は物凄く広い。だけど、空は青空でもなく、夕焼けでもなく、星空でもない。不気味ぶきみな紫色の雲がグルグルとペロペロキャンディーのように回っている。それを見ているだけでゾッとした。けれど、ぼうっとそれを見る暇もなく、屋上の扉がバゴン、と開いた。そこから、ゆっくり、ゆっくり、クモの足が見えてくる。モサモサした気色の悪いあし。関節がなおのこと気持ち悪い。見ているだけでいいいい、と叫びたくなる。

「き、きた……!」

「いいか、俺がアイツと戦うから、お前は後ろから指示を出してくれ」

「指示を出す!?」

「今俺たちは誰かが見てる夢の中にいるようなもんだ。その誰かを夢から覚まさせなきゃならねぇ。そのためにはアイツを倒して怖いもんはもう何もねぇって夢見てるやつに示すしかない」

「でもどうやって指示を出せばいいの?」

「これを使え」

 そう言うと、首のリボンをクーくんが解いた。その瞬間、ピカッとひかるとキラキラと赤い宝石のついたバトンが現れた。マーチングバンド? とかで先頭の人が持ってるやつだ。

「基本的に俺が一人で動くが、戦ってる間はどうしても視野が狭くなる。背中とかに攻撃が来たら対応できねぇんだ。それをそのバトンを使って教えてくれ。俺が演奏者でお前さんが指揮者みたいなもんだ」

「そんなことできるわけない! バトン回せないし!」

「おっとできるできねえは最初から決めつけちゃいけねぇぜ。回すんじゃなくて空に突き刺すだけでもいい。なんかしら合図をくれればな。自然にみえるようになるはずさ。なんだい、それとも永遠にあのクモと鬼ごっこしたいのかい」

 永遠に鬼ごっこ!? そんなの絶対嫌! クモの脚を背中からビキビキ生やした女だよ!? 気持ち悪い。クモ女は今にも屋上の入り口から体全部を出せそうな勢だ。教室の扉をこわして入ってきたときよりも手間取っている。

「クーくんあんなのとどうやって戦うの!」

「こぶしで!」

「ウソでしょ!? なんか不思議な神様パワーとかそういうのないの!?」

「ねぇよ! 俺はドイツ生まれだが、日本にいたときのほうがなげぇんだ。しっかりここに日本男児の武士道が入ってんだよ」

 トントン、と胸を叩くクーくん。武士道ってなんか武士の精神とかそういうやつだよね? そんなのあったって無理だって!

 ついにクモ女はビキビキと音を鳴らしながら関節を鳴らして、身体の全部を屋上に出した。真っ黒な空洞の目と口がニタァと笑い、フフフフフフフフフフ、と声を発した。

「な、な、なんかおっきくなってない!?」

「この学校を支配したことで力をつけたのかもしれねぇな」

 さっきまで大人の人間くらいの高さに、ながーい脚がついてる感じだったのに、今じゃぞうさんと同じくらいの高さのところに女の顔がある。2、3メートルくらい地面から高いかもしれない。さらにそのクモ女の後ろから小さい……それでも私のよく知ってるクモよりは10倍くらい大きいクモがガサガサガサガサと現れた。

 クモ女は大きく口を開けて、クモの糸がシューー、と飛び出させた。突然のことにびっくりして動けなくなる。

「ひぃいい」

 ぺたん、と尻もちをついて、もうだめ、と目をつむったその時、バチン、と糸が切れる音がした。

「あやめ!」

 クーくんがその糸を思いっきり殴ったみたいだった。殴られたことに怒ったのか、シャァ! と高い声を上げてクモ女がクーくんに襲いかかってきた。クーくんはさっき言ったとおり、クモ女の攻撃をこぶしで返している。殴って蹴って頭突きして。な、なんだか、ドラマを見てるみたい、なんて思っていると、クーくんが叫んだ。


「Show Timeだ、あやめ!」

「うう、頑張るよ!」

 大きく返事をして立ち上がる。クーくんが頑張ってるんだもん。私も久しぶりに頑張ろう、なんてがらじゃないこと思っちゃった。

「右! 左! 振り返ってパンチ!」

 バトンを右、左、と動かすと、クーくんもそれに合わせて動く。このバトンを持ったときから、攻撃するタイミングがなんとなくわかってきた。視界にコマンド? みたいなものが急に出てきて、そのタイミングに合わせてバトンを振れば、クーくんの攻撃がピッタリ当たる。

 ほら、なんかゲームセンターにある、太鼓たいこ叩くあれとかなんかよくあるリズムゲームに似てる。よし、集中しろ……!

「右左右左上下右左上!」

「いい調子だあやめ!」

 クモ女もクーくんからの攻撃を受けてだんだん弱くなっている。右から女の脚がブン、と飛んできた。私もそれに合わせてバトンを右に振る。

「そこだな!」

「なんだか本当に指揮者しきしゃになったみたい!」

 私が指揮者でクーくんは演奏者えんそうしゃ! それか歌う人? クモ女はあんなに怖いのに、なんか楽しい。学校でやる合唱のときも指揮者なんてやったことないもの。こんな気持ちなんだ。

 慣れていくと、余裕でバトンを振ることもできるようになってきた。コンボを決めてるみたい。ついにクモ女がガクリと倒れた。


「やった!」

 クーくんに抱きつきに行こうと思ったその時、クーくんが待て! と叫んだ。次の瞬間、クモ女が体中をビキビキと鳴らした。

『ギィィィィ!』

「うるさっ」

 思わず耳を塞ぐ。クモ女の身体がだんだんと白くなっていく。そして、もぞもぞ動くと、白いクモ女の中から黒い不気味な足を持ったクモ女が更に大きくなって出てきた。

「これってもしかして、脱皮!?」

「みたいだなぁ」

 クモって脱皮する生き物だよね、確か。だからあれも脱皮したんだ! ボウジャ? っていう存在も脱皮するんだね。クモ女はびょーんと高く飛んだ。その時突然、グルン、と右に回転するコマンドが出てきた。慌てて、右側にうずまきを描くとクーくんが横にごろりと転がる。

 ドスン、と物凄い音がして、クモ女がクーくんのいたところに落ちてきた。もう少し遅かったらクーくんは突き刺されてたと思う。ひぇ、と背筋が凍った。

「あやめ! まだまだ行くぞ!」

「う、うん!」

 バトンを構える。クモ女はニチャリと笑って、腕を振りかぶった。どのくらい戦ったんだろうか。クーくんも私も凄く疲れてきてしまった。ずっと振り回してたんだもん。腕が痛いよぉ。こんなことなら少しでも運動しとけばよかった! これ何回思ったんだろうな?? あーあーもう!

 こんなことを考えてる間にも、クモ女の攻撃はやってくる。クーくんも手を膝においてはーはー息をしてるし、なんか汗も見える。ぬいぐるみって汗出るの?? そんなぬいぐるみやだな? 寝て起きたらぬいぐるみが湿ってることがあるけど、あれ私のヨダレじゃなくてぬいぐるみの汗とかだったらやだなぁ。

「集中してくれ頼むから」

「もう疲れてきちゃったよ!」

 クーくん、酒ヤケした次の日のお父さんみたいな声になってる。声がガサガサだ。うぉりゃっとかどうだ! とか最初の頃かっこつけて叫んでたからだろうなぁ。必死にバトンを振るけど、手の感覚がなくなってきてしまった。

「あっ!!」

 ツルッと手汗でバトンが飛んでいってしまった。クモ女の次の攻撃が来ちゃう! クーくんはびっくりしたのか少し固まってしまった。拾いに行こうと走る。でも間に合わないかも! と振り返るとちょうどその時、クモ女の脚がクーくん目掛けて振り下ろされるのが見えた。

「クーくん!」

 脚が突き刺さっちゃう! そう思ったその瞬間、シャーッと音がして、真っ黒な糸みたいなものがクモ女の脚に巻き付いた。届け、届け届け! 転がったバトンをパシリと取る。そしてすぐに右に振る。

「おっりゃぁ!」

 クーくんの右パンチがクモ女の脚に直撃する。そのまま出てきたコマンドに合わせて、右、左、上、上とバトンを動かす。クーくんが脚の上を走って、女の顔まで近づいた。ぐるぐると回すコマンドが出てきてバトンを思いっきり回した。

「クーくんいっけぇ!」

「てやぁぁあ!!」

 ガンッ!! ついにクーくんのパンチがクモ女の顔に当たった。

『ギャァァァァァ!』

 さっきよりも大きくて高い声で紫色の煙を出しながらクモ女が消えていく。それと同時にコツン、とクモ女のいた場所に黒い箱が落ちてきた。

「なんだろうあれ」

「ボウジャの本体か?」

 その箱を拾ってかぱりと開けると中には美しい指輪が入っていた。

「代々受け継がれてきた指輪って感じだな」

「こんなきれいな指輪がどうしてあんな気持ち悪いクモ女になっていたの?」

「この夢を見ている奴のトラウマと合わさった形なんだろうよ。だけど、ただのツクモガミがここまで強くなっているのは少しおかしいな……。うーん、ひとまずちょっくら休憩だ」

 クーくんがふぅ、と座り込んだ。座るとぽっこりとお腹が膨らむ。思わずそのお腹に飛び込んだ。

「ぶわっ!? いきなり抱きつくなよ。ぎっくり腰になるだろ」

「ぬいぐるみにぎっくり腰ないでしょ」

「急に来るかもしれねぇだろ。99歳なんだから」

「てかさっきあんなにパンチしたりキックしたり回ったりしてたじゃん」

「それもそうか、おりゃ!」

 ギューッとクーくんが私を抱きしめる。まだ着ぐるみ状態のもふもふした大きな体に包まれた。小さい頃からずっと一緒のクーくんの匂いにうりうりと頭を擦りつけてやった。やっぱり汗はかいてなかったし臭くもなかった。さっきの汗なんだったんだよ。

「よぉし、最後の仕事だ!」

「え、まだあるのー? もうヘトヘトだよ」

「空はまだ晴れてないだろ?」

 上を見上げると、まだ薄暗い雲がグルグルとまわっていた。確かにクモ女は倒したのに、クモの巣はそのまんまだし、ちっちゃい子グモもうじゃうじゃしてる。

「この夢を見てる誰かさんを探すんだ」

 クーくんはあたりを見回して、あれか、とつぶやいた。その視線の先に、大きな繭みたいなものがあった。クモの糸がぐるぐると巻かれてる、人間一人が入れそうな大きさだ。ゴンゴンとたたいても返答はない。

「繭から出せば起きるんじゃないか」

「でもどうやって?」

「ナイフもないし、燃やせるものもないからな。よし、手でやぶけ」

「え、ベタベタするじゃん」

 がんばれがんばれと、お尻をフリフリしながら応援してくる。けど、おっさんの声なんだもんかわいくない。

「ううううう、ベタベタするう」

 一生懸命糸をかき分けかき分け、ついに腕が出てきた。ごつごつした腕だ。多分男の人の腕。その腕をぐん、と引っ張ると、ずるんと男の人がでてきた。

 でてきたのは私の担任の先生だった。今日はオレンジ色のTシャツを着ている。眉が太くて厳つい先生はすやすや寝ている。

「そいつが起きればもう大丈夫だろうよ」

「よし、たたき起こそ!! 先生だけすやすや寝てるのずるいもん」

「んじゃ、俺はクマに戻ろうかな」

 クーくんはくるりと回ると、ぼふんと白い煙を出して元の大きさに戻って、さらに小さいキーホルダーになった。バシバシと先生をたたくと、う、と先生がうめいた。


「先生、おはようございます」

 先生がパチパチと目を開ける。その瞬間空を覆っていた薄暗い雲もぱあっとはれて、夕焼けがまだまだ輝いていた。時間そんなにたってないのかな。あんなに時間かかったのに。クモの巣も、子グモも消えていた。

「クモ女が……」

「クモ女?」

「あ、い、いや、なんでもない」

「変な夢でも見てたんですかね? 気になるなあ」

「クモの身体に、あの子の顔が……」

「あの子?」

「俺の幼馴染なんだ……」

 幼馴染? でも何でその人が先生のトラウマに? 先生は少し顔色が悪そうだった。なんだか怖い夢を見て起きてしまった、子供みたいに見えた。

「俺ほんとにクモは無理なんだよ」

「クモはわかるけど、女のひとは?」

「……俺の大切な人なんだ。だけど、今は……」

 先生はぎゅ、と眉を寄せて下を向いた。いつも元気いっぱいなのに、なんだか泣いているように見えた。先生? と声をかけると、先生は首を横に振ったあと顔を上げていつもの顔で笑った。

「よおし、もう暗くなるし、あやめくんも帰りなさい! っていうか勝手に屋上に入っちゃだめじゃないか!!」

「だって先生、水筒私に渡すって言いながら教室にいないんだもん。心配になっちゃって」

「ハッハッハ、悪い悪い!! というより、あやめくんとこんなに話したのは初めてだな。今までで一番イキイキした顔を見た気がするよ」

 そう言われてハッと気づく。確かにいつもなら、教室の隅で一人で過ごしてるだけだもん。一緒にいてもきょうちゃんとくらい。先生と話したことなんてなかったな。だって、半そで先生、うるさいし。騒がしいし。本当は苦手。そう思っていたのに。その時、持っていた指輪に気がついた。これ先生に渡したほうがいいんだよね?

「先生、これがさっき落ちてて……」

「一体これをどこで!?」

 それを見た瞬間、先生は大きく目を見開いて、その指輪の入った箱を両手で掴んだ。クモ女から出てきたなんて言えない。クモ女のことは先生は多分夢だと思っているから。

「せ、先生のそばにあったんですよ……。多分ポッケとかに入ってたんじゃないですかね」

「ま、まさかそんな……いや、カバンの奥底に入ってた可能性はあるか」

「そうですよきっと! 先生、そんな大事な高そうできれいなもの、もう失くしちゃ駄目ですよ」

 私がそう言うと先生はぎゅ、と箱を握りしめ、太陽のような笑顔で、そうだな! と言った。校門まで送るぞ、と先生は立ち上がる。私もヘトヘトだったから、はぁいと素直に頷いて校門まで向かうのだった。

「明日もまた元気な顔見せてな」

 にかっと笑って私を撫でる先生の手は大っきくて、優しくて。私は少しだけ、この暑苦しい半そで先生のことが好きになった。


******


 紫だった空が一瞬で赤く塗りつぶされた。夕焼けなんて憎たらしい。いや、一人で見る夕焼けが憎たらしいんだ。

「お兄ちゃん、早く行こう」

 俺の手の中でツギハギだらけのクマが急かす。はいはい、と返事をして、校舎をあとにした。まさか、アイツが、モノノフになるなんて。あと少しでうまく行くところだったのに。しかも邪魔も入った。

「チッ面倒なことになったな」

「ふふふふ、でも、お兄ちゃんたのしそー!」

「楽しくなんかないさ、これっぽっちもな」

 そう言いつつも口角が上がるのを感じながら、帰り道を歩く。都会と田舎の間くらいのこの街は、住みやすいようで住みにくい。駅からは遠いくせにバスは頻繁に来る。人の数も多い。だが、見渡せば畑も見える。まぁ、あの冷たい都会よりマシだ。誰も助けてくれない、あの頃よりは。

 アイツがいたらどんな顔をして、この夕日を見たんだろう。どんなふうにこの道を走ったんだろう。まぁ叶いっこないからいいんだ。


 リン、リン。

 後ろから鈴の音が聞こえる。ぞく、と背筋に冷たいものが走った。

 リン、リン、リン。

 振り返るな、と脳が命令してくる。後ろに、何かが、いる。

 リン、リン、リン、リン。

 どんどん近づいてくる。歩みを止めるな、振り返るな。ドクドクと心臓がなって、うるさい。

 リン。

 音が止まった。


「ねぇ、あなたの大切なものはなあに?」

 耳のすぐそばで女の声がした。たらり、とその女のものであろう髪が肩にかかる。

「それともやっぱり……もうなくしちゃいました?」

 フフ、と笑う息が耳に吹きかかった。手の中で、ブルリとクマが震える。


「お前に、教えてやるつもりはない」

 ただそう答えると、ふーん、と興味なさそうな声が響いて、フッと気配が消えた。慌てて後ろを振り返るが、誰もいなかった。

「くそ、やっぱり面倒だな」

 俺はまだやられるわけにはいかないんだ。あの男を恐怖のどん底に落とすまでは。

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