森の死闘

宮杜 有天

森の死闘

「この森を抜けるが、一番目立たぬが……さて」


 薄暗い森の入り口に男が一人、立っていた。

 男は胴深笠どうぶかがさを被り、紺色の羽織を着ている。下は袖口を絞った灰色の筒袴を履いており、腰には刀を一本差していた。

 男は森へと続く小道へと入って行く。足早だが慌ただしさはなく、淡々と足を運ぶそのさまはまるでからくり人形のようだ。

 森に入ってから半刻ほど過ぎた頃だろうか。まもなく抜けようと見えてきた出口──その外から差し込む光の中に人影がひとつ現れた。


王生いくるみ一塁いちるい殿とお見受けする」


 若い男の声に胴深笠の男――一塁いちるいは足を止める。それを見て男が森の中へと入ってきた。二間の距離を置いて、男は止まった。

 羽織に袴。腰には大小の二本差し。銀杏髷いちょうまげをした顔立ちはまだ若い。


「いかにも。して其処許そこもとは?」


 一塁は胴深笠をとって顔をさらした。蓬髪を後ろで束ねた、壮年の男の顔が現れる。太い眉の下、目は大きく黒目がちだ。強く引き締められた厚い唇の口元には、意志の強さが見て取れた。


失礼仕しつれいつかまつりました。拙者、佐川さがわ伝右衛門でんえもんと申します。八久やきゅう一刀流居神いがみ道場の師範代をしております」

「ほう。若いのにたいしたものだ」


 伝右衛門の言った肩書きを聞いて、一塁はどこか懐かしそうに言う。


「その師範代が私に何用か?」

「失礼ながら王生いくるみ殿は召放めしはなちを受けられた身。入藩はお断りせよとの藩命を受けております」

「はて。これは異なことを。私は領分払りょうぶんばらいを受けたわけではない。どこに行こうが私の勝手だと思うのだが?」

「それは拙者には存知かねます」

「街道筋ではなく、この森を抜けることを見越して張っておったと言うことは……老中酒井殿の差し金か?」

「それもお答え出来かねます」


 一塁は右手を顎に当て「ふむ」と独りごちた。


叔父貴おじきが病に伏したので、見舞いに帰ってきた……と申しても通してはくれぬか?」

「藩命でござりますゆえ」

「それは誠に藩命か? 酒井殿、直々の命ではないのか?」

「ですから、それはお答えできかねます」

「そうか。では諦めよう……とうても良いのだが、その前に一つ聞かせてくれぬか?」

「なんでございましょう?」

「何故、そなたは最初から殺気を放っておる?」


 その言葉を聞いた伝右衛門の表情が、僅かに揺れた。


「酒井殿は余程、私が叔父貴に会うのがおいやらしいな。狙うのは私の命か……いや、叔父貴からの手紙かな?」


 今度こそはっきりと、伝右衛門の顔に動揺が走った。


「図星か」


 その言葉に応えるように伝右衛門が腰の刀を抜いた。


居神いがみ道場元師範代、王生一塁殿。当代随一と言われたその腕前、一度稽古をつけていただきたいとねごうておりました」

「通す気も帰す気もない……ということだな」


 胴深笠を投げ捨て、一塁も腰の刀を抜いて正眼に構える。伝右衛門がそれに合わせて正眼に構えた。


「もう一つ聞かせてくれ。何故、そなた一人で来た? 確実に私を殺したいのなら、多勢で来るべきであろう。それともよほど腕に覚えがあるのか?」


 一塁が伝右衛門をひと睨みする。場の空気が一瞬震えた。伝右衛門の額から汗が一筋、流れた。


「酒井様からお話があった折り、師匠せんせいが拙者に仰いました」

「おいおい。今まで隠しておったのに、酒井殿の名をうて良いのか?」

「ここまでくれば構いませぬ。生き残るのはいずれか一人ですから。それよりも師匠せんせいがなんと仰ったか、知りとうはないですか?」


 熱に浮かれたような伝右衛門の声。一塁は表情を変えることなく、目で言葉を促した。


「王生殿を斬ることができれば、拙者に秘剣〝案山子〟を授けてくださると」

「ほう。秘剣など、そんなに欲しいか?」

「はい」

「命をかけてでも?」

八久やきゅう一刀流の中でも一子相伝の秘剣。それを授かるということは跡目あとめと認めてくださったということ」


 双方、じりじりと間合いを詰める。二人の間合いは一間。刀の切っ先がふれ合いそうなほど近づいていた。


「跡目を継ぐのを自ら断られた王生殿には、分かりますまい!」


 伝右衛門が踏み込んで突きを放った。

 一塁は僅かに退いて、しのぎを使って左下に抑え込む。そのまま返す刀で伝右衛門の首を狙う。

 伝右衛門は咄嗟に右足を引き、左半身ひだりはんみになり間合いを外した。同時に刀は右腰に引いておく。そして間髪入れずに、再び突きを放った。


 切っ先が一塁の喉元へと迫る。今度は大きく後退しながら間合いを外す。その時に上段に構え、すかさず袈裟切りからの切り上げ。そして真っ向からの切り落としの三連撃を繰り出した。

 最初の袈裟切りと切り上げを後退して躱し、伝右衛門は最後の真っ向切り落としをしのぎで受ける。そして相手の刀身を滑らせて、鍔迫り合いへと持ち込んだ。

 しばし互いに睨み合い、同時に離れる。


「なるほど。自惚れるだけのことはある」


 一塁の言葉に、伝右衛門が不敵な笑みを浮かべた。


「お褒めに預かり、恐悦至極」

「そなたの忠継ただつぐ殿か?」

「質問がおおございますね。まぁよいでしょう。拙者の師匠せんせいは確かに八久やきゅう一刀流八代宗家、居神いがみ忠継ただつぐ様にございます」

「道理で素直な剣筋をしておる。それに居神……ということは、養子になったのだな」

「当然でございましょう。跡目を継がれるわけですから」

「そうか」一塁がにやりと笑った。「佐川伝右衛門とやら。秘剣〝案山子〟が知りたいのであったな」

「それはもう」

「ならば見せて進ぜよう。秘剣〝案山子〟を」


 そう言って一塁は左半身ひだりはんみになり、刀を垂直に立て左腕を水平に構えた。そしてそのまま後ろになった右脚に体重を乗せ、左膝を大きく上げる。右脚一本で立ち刀を構えた一塁の姿は、案山子が立っているように見えた。


「な、なにを?」


 一塁の異様な構えに、伝右衛門が動揺する。〝案山子〟は一子相伝の秘剣だ。授かったのは現宗家のはず。

 しかしこの異様な構えが虚仮威こけおどしとは思えない。刀の構え方そのものは陰と呼ばれる八久やきゅう一刀流にある構えだ。左脚を上げているのと剣先がゆらゆらと揺れているのが違うが、それが余計に不気味に思えた。


「どうした? 見たくはないのか?」


 一塁の体は微動だにしなかった。まるで杭でも打ち付けたように、その場から動かない。片足で立っている以上、一塁が自由に動くことはかなわないのだ。ならば〝案山子〟は後の先の剣なのか。そんな思いが伝右衛門の心の中に浮かんでくる。

 しかし――


「そ、そのような構え、だ、騙されませぬぞ」


 一塁が自由に動けないということは、間合いの主導権は自分にあるのだ。それにあのように体を固めて構えてしまっては、咄嗟の対応は難しいだろう。そんなものが秘剣であるはずはない。

 伝右衛門はそこまで考えると、じりじりと間合いを計り始めた。


 この時代の刀は二尺三寸から二尺三寸五分が定尺だ。伝右衛門の持つ刀もそうだし、一塁の持つ刀も長さは変わらない。それは先ほど切り結んだ時に確認できている。


 刀の位置からして上からの切り落としを狙うはずだ。更に本来の陰の構えでならば後ろに引いた右足を大きく踏み出すことで間合いを詰めることができる。しかし、右脚のみで立つあの構えでは左足で踏み込むことしかできない。

 それなら間合いは決して長くない。


「ままよ!」


 伝右衛門が動いた。左肘を切りつけると見せかけ、相手の切り込みを誘う。一塁が左足で踏み込んで来る。それを見越して一度間合いを外してから、上段からの真っ向切りで勝負はつく……はずだった。


「なっ!?」


 確かに一塁は誘いに乗って踏み込んで来た。しかし刃は上からではなく横から伝右衛門を襲ってきた。それも予想していた間合いを遙かに超えて。

 一塁は踏み込んだ際、右手を放し左手のみで刀を水平に振った。左手は柄の先を持っている。そして右手を添えない分、腕が伸びる。


 刃は大上段に振りかぶった伝右衛門の腹部へと切り込まれた。

 そして刃が食い込んだ刹那、一塁は体を反転させて右半身みぎはんみで踏み込んだ。右手がみねの部分に当てられる。そのまま刃ごと押し込むと、今度は右脚を軸に左回転をしながら引き切った。


「ぐふっ」


 刀を上段に構えたまま、伝右衛門の動きが止まる。

 伝右衛門に背を向けた状態で、一塁は右逆手に刀を持ち替えた。そして自分の右脇腹を掠めるように後ろへ向けて刃を突き入れる。

 刀身は見事に伝右衛門の腹部へと突き込まれた。


「これが秘剣〝案山子〟よ」


 そう言って一塁は刀を引き抜く。


「ばかな」

「〝案山子〟は確かに一子相伝だが、跡目の条件ではない。忠継あいつは知らぬよ」


 伝右衛門はその場に倒れた。一塁は刀を血振りし、懐から懐紙を出すと残った血と脂をぬぐった。懐紙をその場でばらまいた後、刀を鞘に戻す。

 そしてしゃがんで伝右衛門の顔に手を当て、見開いたままの目を閉じさせた。


「すまぬな」


 片合掌をしてすぐに立ち上がる。一塁は胴深笠を被り治すと、そのまま森を出て行った。

 美濃国みののくにのさる小藩に剣鬼と呼ばれた男有り。八久やきゅう一刀流を修め、生涯に於いて八百六十八度の勝負を繰り広げど負けは無し。濡れ衣により藩を召放めしはなちされたが、その後はどこにも士官することなく諸国を渡り歩き数々の名勝負を繰り広げた。

 その男の名を、王生いくるみ一塁いちるい貞治さだはると言った。


        <了>

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