第31話 お姫様

二月一日に、俺は正式に店長になった。

数日前から全時間帯に顔を出し、全ての従業員に挨拶をした。

感触としては、おおむね好意的に受け入れてもらえたような気がする。

年明けから取り組んだ花壇づくりも終え、今は寒さに強いパンジーの品種が駐車場横を彩っている。

夜だとあまり気付いてもらえないが、日中は人目を引く華やかさで、多くのお客さんに喜んでもらえた。

ポイ捨ても幾らか減ったようで、従業員からも好評だ。

ひとまずは無難にスタートを切ったが、店長としてのプレッシャーみたいなものは小さくない。

「しゅんぺー」

特に昼間のシフトに入っているおばちゃん達が曲者くせもので、みんな個性は強いし、従業員同士の衝突があったりする。

仕事の指示や頼みごとをするにも、言い方次第で簡単にヘソを曲げられてしまうのだ。

「しゅんぺー」

一緒に仕事をさせるのはNGという組み合わせもあって、何かと気を使わなければならない。

「ぺーぺー」

「ぺーぺーじゃねえ! 店長だ!」

「おりょ?」

いかん、考えに夢中で咄嗟とっさにムキになってしまった。

「有希、どうした?」

「あのね、しゅんぺーが店長になったら、お姉ちゃんを永久就職させるって言ったのー?」

「言ってないが!?」

「高校に受かったら、俺のところへ来いって」

「ちょっと、いや、だいぶニュアンスが違うが!?」

「お金も食事も面倒見てやるってドヤ顔で」

「ドヤ顔じゃねー!」

「スケベ顔?」

「それも違う!」

「アヘ顔?」

「高校に受かったら俺のところへ来い、なんてことをアヘ顔で言うヤツいたら怖すぎるわ!」

「じゃあエビス顔?」

「それならまあ……って、顔の問題じゃなくてだな……総合すると、高校に受かったら俺の働いてる店でバイトして、廃棄の食べ物は持って帰っていい、ってことを言ったんだ」

「なーんだ。またお姉ちゃんの誇大妄想かぁ」

アイツはいったい、普段からどんな妄想を繰り広げているのか。

「で、クリスマスイブから亜希を見てないけど、勉強を頑張ってるのか?」

「お姉ちゃん、ああ見えて頭いいのよ?」

いや、別に頭が悪いなんて思ってないが。

「最近、お父さんとも喧嘩してないし、順調みたい」

「そうか、良かった」

問題は解決したのだろうか。

この店で週に三回働いたとして給料は五万円くらい。

廃棄の弁当などで浮く食費を考慮すれば、六万は家計の足しになるだろう。

六万は決して小さくはない。

少なくとも亜希が住んでいるアパートの家賃分は浮くはずだ。

「ところでしゅんぺー」

「なんだ?」

「お姉ちゃんには言ってないけど、詩音ちゃんと付き合ってるってほんとー?」

……どこからそんな情報を。

「この間、駅の近くで詩音ちゃんを見かけて、ハンバーガーおごってもらっちゃったー」

どうやら本人からバラしたらしい。

「でもしゅんぺー」

「ん?」

「ホントにそれでいいの?」

小学生に心配されてしまう俺の恋愛事情とは?

「いくら仮とはいえ、私が成長するまでの繋ぎなんて詩音ちゃんが可哀想よ?」

思いも寄らない心配が来た!

「私だっていい気はしないし」

「姉妹そろって妄想癖かよ!」

「おりょ?」

コイツ、俺をからかってるのか本気で言ってるのか。

でも詩音のやつ、仮であることもちゃんと言ったんだな。

それに関しては、からかっているわけでは無いにしても、何がどこまで本気なのかつかみ切れない。

「私、疑問なんだけどー」

有希が真面目な顔をして、俺の腕を引っ張る。

今から訊くことに、ちゃんと答えなさいと言いたいみたいだ。

「クリスマスの日に、葉菜ちゃんが遊んでくれたでしょー?」

「ん? あー、トランプとかしてたな」

「しゅんぺーが寝てる間に、しゅんぺーの話をいっぱい聞かせてくれたの」

「……」

「しゅんぺーが、いかにドジで不器用で嘘が下手で泣き虫で──」

「おい!」

「それでいて小さい頃から何があっても、ずーっとしゅんぺーが守ってくれたんだって」

「……」

守るなんてカッコいいものじゃなくて、時に暴走したり、時に邪魔をしていただけのような気がする。

いま思えば俺がそばにいない方が、何だかんだありながらも葉菜の交友範囲は広がって、素敵な人と出会えていたのではなかろうか。

例えば、葉菜をからかったりいじめたりした男子も、あれは好意の裏返しであって、俺が排除しなければ、いずれは判り合えた可能性だってある。

「葉菜ちゃんはしゅんぺーのお姫様なのー?」

それが真面目な疑問であるのなら、はたから見れば滑稽こっけいに思えるかも知れない。

お姫様ってなんだよ? 夢見がちな子供のメルヘンかよ。

でも──

「うん、そうかも知れない」

俺にとって葉菜は、我儘わがままで好き嫌いが激しくて、自分勝手で頑固で気分屋で、負けず嫌いで努力をおこたらず、誰より綺麗で気高いお姫様だ。

「だったらどうして迎えに行かないの?」

「んー、何て言えばいいかなぁ。俺は……そうだ、俺は騎士ナイトなんだよ」

「ないと?」

「そう。お姫様を守る騎士だ」

「騎士じゃダメなの?」

「ああ。騎士は王子様にはなれないんだよ」

「しゅんぺー」

「ん?」

「騎士なら、ずっとそばにいなきゃダメなんでしょー?」

「うーん、遠くから見守る騎士もいるんじゃないかな」

「どうして遠くからなの?」

「ずっとお姫様の傍にいたら、王子様の邪魔になっちゃうだろ?」

「私は、自分を守ってくれる人の方がいいなぁ」

「大丈夫。王子様には王子様の役目があるんだ」

「役目ー?」

「そう。幸せにするっていう一番大事な役目を王子様が果たすんだよ」

「……」

珍しく、有希が不機嫌そうな顔をした。

「有希?」

「詩音ちゃんが仮の彼女なら、私もお姉ちゃんも仮の彼女になるー」

「は!?」

「これで最初と何も変わらないんだからー」

「え? いや、何を言って──」

「しゅんぺーの周りには三人の女の子がいてー、そして元カノさんがいるのー」

「いや、それはそうだけど、だからって、何が?」

「しゅんぺーのバーカ」

「ちょっと、おい!」

……駆け足で、有希は帰ってしまった。

アイツ、いったいどういうつもりなんだ。

子供の考えることはさっぱり判らん……いや、相対的に仮カノの比重を下げて、元カノの立場を守ろうとしているのか?

だとしたら何のために?

……もしかしたら有希も、葉菜を好きになってくれたのだろうか。

それは嬉しいことだけど、でも、だからどうしろと?

戸惑いながら俺は、何かに腹を立て、何かに喜び、何かを噛み締めていた。

整理しきれず途方に暮れて、路地の奥のアパートをずっと眺めていた。

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