第8話 評価

夕方になって、深夜のバイトメンバーからメッセージが入った。

深夜では最年長の五十代のおじさんで、入ってまだ三ヶ月ほどしか経っていない人だがよく休む。

届いたメッセージも、熱が出たので代わりに出勤してほしいというものだった。

俺のスマホを覗き込んでいた葉菜が舌打ちをする。

「彼女が家に来ているので無理です、って断るべきだわ」

そう言いながらも俺が引き受けるのは判っているのだろう、わざとらしく溜め息をいた。

彼女が家に来ているという理由で断るのもどうかと思うし、そもそもお前は彼女では無い。

「と言うわけで、葉菜はそろそろ帰れ」

「今日は泊まっていくつもりだったんだけど?」

「仕事があろうが無かろうが、彼女でもないのに泊まらせるか!」

「いつの間にか彼女から許嫁いいなずけに昇格して──」

「ないからな」

また溜め息。

今度はわざとじゃないのだろう、目を伏せて少しだけ唇をとがらせた。

「どうせ仕事でいないんだから、私が泊まっても問題無いじゃない」

「どうせ仕事でいないんだから、ここに泊まっても意味が無いだろ」

「……以前はベッドの上で、天国に連れて行ってやるぜ、とか言ってくれたのに」

「言ったことねー!」

「不言実行、連れて行ってくれたわ」

……くそ。

コイツは憎まれ口を叩いたり、甘えたり誘ったりして、俺にしか見せない態度で俺を魅了する。

俺が溜め息を吐く番だ。

でもそれは、仕方ないなというポーズに過ぎない。

「……朝飯はパンとコーヒーでいい」

葉菜の表情がパッと輝く。

子供の頃と変わらない笑顔と、右の頬にだけ出る笑窪えくぼ

大人になって色んな経験を経ても俺達の根幹は変わらないんだと、そう思わせてくれる。

葉菜は無垢むくな表情で、無邪気な声で言った。

「キスで起こして」

「やかましいわ!」


出勤すると、珍しくオーナーが残っていた。

いつも昼頃に店に来て夜の八時くらいには帰ってしまうのだが、何か言いたいことでもあるのだろうか。

「お疲れさん」

オーナーは俺に声を掛けると、何故か俺をじっと見てきた。

「お疲れ様です。どうかしましたか?」

普段、あまり会うことは無いし、会っても会話は少ない。

何を考えているのか判りにくい人だが、真面目で誠実な人だと思う。

「今度、もうひとつ店舗を開くことになってね」

「あ、そうなんですか。大変ですね? おめでとうございます?」

どう答えればいいのか判らない。

「うん、それで田中君にお願いがあって」

まさか、新しい店舗に移動させられるのだろうか?

亜希達に会えなくなるのは寂しいな。

詩音は、新しい店舗の場所にもよるが、自転車で通ってくれそうな気はする。

でも、それ以外にも沢山の常連さんと離れるのは、ちょっと嫌だな。

「僕は新店舗に注力することになるので、この店は君に任せようと思うんだが」

「は?」

「給料は、今は月によって変動があるけど十八万前後だよね?」

「あ、はい」

「引き受けてくれるなら、固定給で二十五万を考えているんだ」

実家への仕送りが、五万は増やせる。

魅力的な提案ではあるが……。

「あの、どうして俺なんですか?」

「三年半、無遅刻無欠勤でしょ?」

「いや、勤怠面だけで店を任せていいんですか?」

俺より長く勤めている店員は、他に何人もいる。

「物覚えはいいし、要領もいい。後輩の指導もちゃんとしてるし、今日みたいに休んだ人の代わりにもよく出てくれる。何より、世間話をする常連さんが圧倒的に多い」

他の時間帯の人が、どれだけ常連さんと親しくしているのか知らないが、それって俺にとっては息抜きみたいなもので、評価されることなのだろうか?

「深夜に訪れる姉妹に、廃棄のサラダとかあげてるよね?」

「っ!?」

バレてた!

店を任せると決める前に、もう一度、俺の仕事ぶりを防犯カメラで確認したのかも知れない。

引き受けるにしても断るにしても、もうアイツらにサービスは出来ないな……。

「あの子達、父子家庭だし、お父さんは夜勤みたいだから大変だよね」

「ええ……?」

とがめられるわけでは無いのだろうか?

いや、そんなことより、アイツらはそういう家庭環境だったのか。

有希からお父さんの話は聞いたことがあるが、亜希の方は家のことをあまり話したがらない。

少し危惧していた育児放棄とかじゃないなら、とても嬉しいことだ。

「そういったことも、君の権限になるから」

「え?」

そういったこと?

「店長になるんだから、廃棄の商品をどうしようが、君の判断に任せる」

俺の判断?

そうか、店を任せられるということは、店長になるということなんだ。

そしてそれは、好きにしていいということじゃない。

ちゃんと店の利益を確保した上で、良かれと思うことを見極めて、その結果に対して責任を持つということだ。

俺に出来るだろうか。

不安は少なからずあったけれど、何か少しだけ前に進めるような気もした。

何故か、アイツらも喜んでくれるような気がした。

やってみよう。

何事に対しても、あまり熱意を持って取り組むことなんて無かったけれど、自分が評価されたことに喜びを感じた。

「よろしくお願いします」

俺は大きな声でそう言って、オーナーに頭を下げた。

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