第5話…父の想い、母の愛…

 オブリヴィオン公爵家は、クレイペウス城以外にも多くの居城を所有している。それは、もちろん王都にも。普段、オブリヴィオン公爵と公爵夫、継子であるフルーティマは、王都にあるタウンハウスで生活しているが、フラウの誕生日を祝うためと、フラウとの“最後の7日間”を過ごすために、三人は、フラウが暮らしている領地のクレイペウス城へ来ていたのだ。(フラウは次期王配という身分であるがゆえに、身を守るため、なるべく表に出ないよう暮らしてきた)

 それが、フラウの記憶障害が起きたことで、最後の7日間が少しよそよそしいものとなってはしまったが……。

 フラウと、父であるエスト公爵夫の二人は、他の家族よりは少しだけ“仲良く”なることができていた。エスト公爵夫は、もちろん子どもを平等に愛しているが、自分と同じ“運命”を持っているフラウのことは、やはり、特別気にかけてしまっていた。

 そして、心のどこかで、息子をその運命から逃がしてやりたい……そう、思っていた。フラウが、国王との結婚に困惑していることを知ってからは、その気持ちがより一層、強くなっていた。

 エストは、フラウのために何もかもを失う覚悟ができていた。だが、フラウは……。

「だめです、父さん……あなたの人生を、こんなところで終わらせるわけにはいかない」

 父が本気であることが分かるからこそ、フラウも、本気で、決意した。

「終わりはしない。新しく始まるだけだ」

 どうということはない!と、楽観的な響きのエストの声に、フラウも笑顔を返した。頬を包んでくれている父の両手を、フラウは、そ……と撫でる。指の先まで繊細さと愛情に満ちたその手は、かすかに震えていた。

 エストの肩越しに、母であるオブリヴィオン公爵の姿が見える。公爵は先ほどの厳しい表情から、とても不安げな様子に変わっていた。

 夫であるエストの考えていることなんて、彼女にはお見通しなのかもしれない。葉子だって、そうだった。慎吾が隠したいと強く思う事柄ほど、彼女にはお見通しだった。

 それでも黙ってそこに立ち、見守っているのは……公爵自身にも、ほんの少しでも“迷い”があるから、なのだろうか?

 フラウは、父を安心させるような笑みを浮かべ、はっきりと告げた。

「父さん、愛しているよ……。僕は大丈夫だ……でも、レティにはまだ、父親が必要だよ。それに、母上……母上は、父さんがいないと、だめな人だ」

 成長した息子からの思わぬ言葉に、エストは目を見開く。振り返る……と、妻である公爵と、シアラレネーと、目が合った。


〇 〇


「お坊ちゃま、大丈夫ですか?」

 走る自動車の中。フラウの隣に座っているフィデリスが、声をかける。窓の外をぼんやりと眺めていたフラウは、ふと車内に向きなおった。

 フィデリスだけでなく、向かいの席に座っている二名の従僕も、どこか不安そうな顔をしていた。

「空が、とても晴れやかだね」

 三人を安心させようと、フラウは精一杯の笑顔でそう言った。おかげで、少しだけ車内の空気が和やかになったが、フィデリスだけは、それがフラウの強がりだということを気づいた。が、何も言わない。何も言わず、慰めるように微笑むだけ。そのフィデリスの対応が、フラウには救いだった。

 逃れることはできない……この運命からは。

 フラウは、これから死ぬまで、好いてもいない人に夫として仕えるのだ。これは、貴族の令息として生まれたものの運命……父と同じように。

 車は走る、のどかな田園風景を。公爵家の車だということは、すぐに判る。ボンネットに公爵家の紋章が飾られているから。車を見かけた領地の民たちは、多くの者が作業の手をいったん止めて、車へ一礼をし、または手を振ってくれた。

 大人も子どもも、女も男も、若者も老人も、ほとんどの者は笑顔だったが、なかには、悲しげな者、泣いている者もいた。

 フラウは、思う……思い出す……ああ、フラウ・カースタは領民に愛される、善き若君だったのだ、と。まさか、フラウが結婚を拒んでいるなどと露ほども思わない民は笑顔で送り出し、思うところのある民は複雑な顔をしていた。

 だからなのか……笑顔ではない領民は、男のほうが多いように見えた。

 フラウは精一杯の笑顔で、見送ってくれる領民へ手を振り返した。フィデリスから“窓は開けるな”と言われたため、向こうからはフラウの顔はよく見えないかもしれない。それでも、人の姿が見えるうちは、フラウは応えつづけた。

 一緒に逃げよう……父の姿が、脳裏に浮かぶ。拒んだことで、父を、ある種失望させてはいないだろうか?そのことが、フラウには気がかりだった。そして、そのように思っているのは、エストも同様で……。


〇 〇


 クレイペウス城の庭園にある、お気に入りのガゼボにて、エストは呆然とした顔をして座っていた。その横には、相変わらずエストの忠実な侍従であるリングアもいる。普段は少し離れた位置に黙って立っていることが多いリングアだが、今はガゼボの中に入っており、エストの向かいのベンチに腰かけていた。

 エストは、妻である公爵を裏切ろうとした自分に、息子が失望したのではないか……と、危惧していた。そして、自分の提案を拒み、家族の幸せを優先した息子を誇りにも、憐れにも思った。

 テーブルの上には、給仕の用意したティーセットが並べられているが、エストは手をつけていない。リングアが、無言でティーポットを持ち上げる。カップに注がれた紅茶は、美しい湯気を立てていた。

 エストは手をつけない……ただ、ぼーっと湯気を見つめていた。庭木に留まる小鳥たちのさえずりだけが響くなか、先に口を開いたのはリングアのほうだった。

「わたしは……どこまでも、あなたにお供いたします、エスト様」

 本来、高貴な者の名前を使用人が呼ぶのは、非常に無礼なことである。しかし、フラウがフィデリスにそれを許しているように、エストもまた、このリングアにだけは、自分の名前を呼ぶことを許していた。

 許した……というと、語弊がある。そうではなく、エストがリングアに名前で呼ぶよう願ったのだ。そして、リングアは“二人きりのときならば”という条件で、エストの名前を呼ぶようになった。

 リングアは忠誠心の塊のような男で、例え友人と呼べるほど親しくなったとしても、長い付き合いであったとしても、立場を弁えようとする男だ。エストが“そんな必要はない”と、どれほど懇願したとしても、リングアは首を縦には振らない。それは、侍従としてのリングアの矜持だった。

 たとえ、どれほど親しくなったとしても……。

 エストはリングアの言葉を受け、顔を上げた。揺るぎない強い意志の宿る黒い瞳には、いつだって勇気づけられてきた。

「リー……きみ、あっての、わたしだ」

 テーブルの上に置かれていたリングアの手に、エストは自らの手を、そっ……と重ねた。普段から表情の変化が乏しい男であるリングアだが、今は……滅多にないほど、表情が綻ぶ。ガゼボの中に、二人の男のため息が浮かんだ。

 そして、二人は何も言わずに、紅茶を飲み始めた。


〇 〇


 一方、城の中では、フルーティマが母である公爵の膝に顔をうずめて泣いていた。

 娘の頭を、オブリヴィオン公爵は何も言わずに撫で続ける。そして、窓の外に広がる庭を物憂げな表情で眺めた。

 窓際に公爵は腰かけているが、ここからではガゼボは見えない。夫と侍従が二人でいるであろうガゼボは見えずとも、公爵は庭を眺めていた。

「レティ……どうして、それほど泣くの?」

 窓の外を眺めたまま、オブリヴィオン公爵は娘に静かな声で尋ねる。すすり泣いていたフルーティマは顔を上げずに、途切れ途切れに答えた。

「だって……兄上様が、かわいそうで……」

 理解できない、といったふうに、公爵は首をかしげ、肩をすくめた。

「何を言うの?この国で最も権威あるお方に配するのよ?こんな名誉なこと、他にはないわ」

「名誉が何です!結婚は名誉ではなく、愛のためにするものでしょう⁉」

 母の膝から勢いよく顔を上げ、フルーティマは叫ぶように言った。

「幼稚なことを言わないで、フルーティマ。男じゃあるまいし……」

 呆れた声で言う公爵に、即座にフルーティマは、それは男性蔑視です、母上……と、囁くように言い、再び母の膝に突っ伏して泣きだした。

 別に、これは男性蔑視とかじゃ……と、公爵は誰に聴かせるでもない声音で独り言つる。公爵は跡取り娘であるフルーティマが、今の若い世代の子に多くみられる“女男平等主義”であることは、良いことだと思っていた。が、その気持ちが行き過ぎて、過激な思想になりはしないかと案じてもいた。

 女男平等は正しいこと、それは公爵にも分かっている。そして、この国はその方向へ進んでいると思っている。しかし、物事には適材適所というものがあり、限度というものがあるのだ。男は、女性より力が強く体も大きい場合が多いが、一方で知能が低く、女性のように物事を感じること、時に論理的に考えることもできず、幼稚で精神的にひどく脆い……。

 そんな男たちに、女性と同じように働くのだ、振舞うのだ、というのは、あまりにも酷だと、公爵は思っていた。そんな難しいことは女性に任せて、男には、もっと楽に、穏やかに生きてほしい、と。決して男性蔑視などではなく、公爵は、女男は平等であると思っているからこそ、男のことを労わる気持ちでそう思っていた。

 その、“女性はこうあるべき”、“男はこうあるべき”という考え方が、すでに性差別であることに、公爵は気づかないのだった。


〇 〇


 王都・モールテム──────。

 ケレプスクルムア王国の中心に位置するこの街は、とても古い歴史を有している。2階建ての路面電車が都内を縦横無尽に走り、石畳の道、レンガ造りの家々が放射線状に広がっており、中心を大きな運河が貫いている……かつては、この運河を挟んで西側が上流階級から中流階級までが住む街で、東側が、いわゆる下流階級、下層階級、貧民の住む街になっていた。

 が、100年前の国王が、運河にいくつもの立派な橋をかけさせたことで、西と東の交流が容易かつ盛んになり、今では西と東の経済格差は“それほど”ではなくなった。

 ちなみに、王都名物である2階建て路面電車のために、いくつかの陸橋が建っており、路面電車がそれらの陸橋を通る際の、窓から見える運河と街、大自然の眺めは、モールテムの観光名所の1つにもなっていた。

 そんなモールテムは、ケレプスクルムア王国の、経済、政治、文化、その全てが集まった最重要都市であり、王国1の観光都市でもある。とりわけ、今は街全体がお祭り騒ぎになっていた。

 西も東も関係なく、街は花やリボンで飾りつけられ、国中から人が集まってきている。目当てはもちろん、2日後に迫った、200年ぶりに出現した“先祖返り”である卵種同体の王、ペルフェクトゥス7世と、王室と同格の権威と勢力を誇る大貴族、オブリヴィオン公爵家令息、フラウ・カースタ・オブリヴィオンとの、世紀のご成婚パレードだ。

 二人の成婚を祝う祭は3日間つづき、この3日間を国民の祝日とすることが、すでに決定している。王都の盛況ぶりは、前国王アライックス3世の成婚時の比ではない。もちろん、前国王が不人気だったわけではなく、ペルフェクトゥスとフラウが“特別”なのだ。

 ペルフェクトゥスは、ただ先祖返りというだけでなく、近隣諸国から『創造神・シドゥズ・デエイの生まれ変わり』と称えられるほど、人気と実力を兼ね備えた国王で、一方の王配となるフラウもまた、“謎の美公子”として人々の耳目を集める存在だった。

 生まれた時から、ペルフェクトゥスの配偶者になることが決まっている、麗しの公子……。しかし、その姿はあまり知られていない。新聞や、テレビにはほとんど登場せず、生まれてからずっと領地でのみ暮らしてきた、貴族としては異色の生い立ちだ。

 噂では、ペルフェクトゥス自身が是非とも王配に、と、望んだという……。さらに、あの有名な『社交界の華』である、オブリヴィオン公爵夫の息子が、どれほどの美人なのか、その姿を目にするのを、王都に集まった人々は心から楽しみにしていた。

 そして、そんなふうに楽しみにして、ドキドキ、ワクワクしているのは、何も王都に集まった人々だけでなく……。

 サンクトゥス・ヌーバス宮殿は、街のお祭り騒ぎとは違い、普段どおりの穏やかで厳かな空気が満ちており、宮殿に仕える数万人の使用人、数千人の官僚たちは、自分たちの仕事を滞りなく行っていた。

 ただ一人、国王であるペルフェクトゥス7世を除いては……。


〇 〇


つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

フェミニス~転生したら王の夫⁉~ 坂口和実 @sakaguchi1203

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ