エピローグ~プロポーズは突然に~

「ですからダンケルク様。読まない本は魔術省の図書室に寄付してくださいとあれほど申し上げていますでしょう」


 モナード邸の居間は、本の群れに侵食されていました。

 床はほとんど本に埋め尽くされ、壁一面の本棚に収納するのも追いつかないほどです。


 ソファに寝転がって、報告書を読んでいるダンケルク様は、紙面から顔も上げずに


「いや、いつか読むし使うから、本棚にしまっといてくれ」

「いつかをいつになさるかはダンケルク様の自由ですが、本棚がもういっぱいなのです。不要な本を選んで下さいませんと、マットレスの代わりに本を積み上げて眠らなくてはならなくなりますよ」

「それは嫌だな」


 通り道を作りながら、私はため息をつきました。


 ――龍を食べたキャンベル家の五人姉妹を消滅させてから、二週間。

 世間は龍退治の成果に沸き、どこかお祭り騒ぎです。

 私は前と同じく、ダンケルク様の家のメイドとして働かせて頂いております。

 <秩序>魔術専門の魔術師として、魔術省で働く道もあったようなのですが、お断わりしました。

 龍が消えた今となっては、<秩序>魔術はそこまで重要ではありませんし、私もメイドの方が気が楽です。


 若旦那の家に戻っても良かったのですが――。まあ、いずれセラさんがいらっしゃるでしょうし、野暮なことは言いっこなしです。


(セラ様、ではなくセラさんとお呼びするのも、なんだかまだ照れくさいですが……。でもきっと慣れますね)


 もっとも、セラさんはまだそのことに気づいていらっしゃらないようなので、気づかれる日が楽しみです。


 さて、報告書からちらりと顔を上げたダンケルク様は、


「なんで魔術を使わない?」

「このところ<秩序>魔術に頼りきりでしたから。たまには手も動かさないとなまってしまいます」

「そりゃそうか。でも、こういう散らかった部屋は好きだろ、お前」

「好きですけれど、それは収納場所がしっかり確保されている場合です。しまう場所がないのはストレスです」

「なるほど」


 そう呟いて、ダンケルク様はむくりと起き上がります。

 やけに深刻な顔をしていらっしゃいます。龍退治の後始末に追われて働きづめだったところに、やっともらえたお休みなのに、とても楽しんでいるようには見えません。


「リリス。ここ座れ」

「はあ」


 言われるがままソファに腰かけると、ダンケルク様はこほんと咳ばらいを一つしました。


「最初にお前を雇ったとき、雇用期間は半年という約束だったな? いつ転勤になるか分からないから、と」

「はい、そうでしたね。……あ、もしかして」

「そうだ。転勤が決まった。一か月後に国境付近のノヴゴロドという街に向かう」


 ノヴゴロド。聞いたことはあります。

 隣接する国の文化とうちの文化が入り混じった、住む人の少ない寒冷地帯。森が広がっていて、魔獣も棲息しているのだとか。


「で……、だな。今回の件があったから、俺も昇格して、ここよりずっと広い家に住めるようになる。本棚もいくらだって置けるし何冊でも詰め込める。確かにド田舎だが、空気はうまいし、自然もあるし、まあ、うん、悪くない場所だと思うんだが」

「昇格なさったのですね! おめでとうございます。ああ、だからこんなに本を買いこまれたのですか?」

「ああ、あっちの地方の勉強もしないといけないし、そもそも言葉がな……って、ああもう、そういうことが言いたいんじゃなくって」


 少しずつ心臓がどきどきしてくるのが分かります。ダンケルク様の緊張が移ったみたいです。

 もぞもぞと手を組み合わせ、言葉を選んでいたダンケルク様は、あーもう! と叫んで、背筋を伸ばして私に向き直りました。


「まどろっこしいのはやめだやめ! 根性出すぞ!」

「は、はい!」

「リリス・フィラデルフィア! 俺と! 結婚して! ノヴゴロドについてきてくれ!」


 シンプルなそれは、恐らくプロポーズ、というやつなのでしょう。なんだか決闘の申し込みのようでしたが。

 ダンケルク様もそのことにお気づきだったのでしょう。

 うぐ、と唸りながら、ソファの背もたれにぐったりと体を預けます。


「くそう……。もっとこう、しゃれていて、雰囲気がある所で言いたかったんだが……」

「綺麗なレストランで、花火なんかを見ながら?」

「そうそう、それで抱えきれないほどの花束なんかを贈って。――現実はこの通り、本の山の中だが」

「ふふ。私もメイドの正式衣装(ユニフォーム)ですしね」


 ダンケルク様はぎこちなく笑いました。そのお顔を見て、初めて私は、返事をしなければならないということに気づきました。


(でももう返事なんて、分かり切っているような気もしますけれど)


 ぎゅうっと拳を握りしめ、私の一挙手一投足も見逃さないように、じっとこちらを見つめてくるダンケルク様。

 銀髪で、綺麗な翡翠色の目をしていて、背が高くて、大きな狼と渡り合えるほど強い軍人で。

 でもどこか大きな犬のような愛嬌があって、弱ったところがかわいくて。


 怒った私も、泣いた私も知っているひと。私の星ごと、私を愛してくれるひと。


「……ですがダンケルク様。いくら次のお家が広いと言っても、引っ越し作業というものがありますから、本の選別は必要ですよ」

「ええー……今その話、必要か……?」

「そうですよ。それに、私も一緒に住むお家ですもの、本棚だらけのお家にされても困ります」


 ぽかんとした表情になったダンケルク様は、一瞬、私の言葉が分かっていないようでした。


「ちょっと待て、待て待て待て。それはあの、メイドとしてついてくる、とかではなく?」

「ええ。――だって私を、ダンケルク様のお嫁さんにして下さるんでしょう?」

「なって、くれるのか」

「はい。ダンケルク様こそ、ほんとうに私で良いんですか? どこの馬の骨とも分からな――……」


 全てを言い切るより早く、ぎゅうっときつく抱きしめられました。

 そのまま立ち上がったダンケルク様にたやすく持ち上げられてしまい、足が宙に浮いてしまいます。


「良いに決まってる! お前じゃなきゃだめだ、お前が良いんだから!」

「わっ、だ、ダンケルク様……!」

「お前を愛してる、リリス!」

「わた、私も……きゃあっ」


 そのままばかみたいにぐるぐる回転され、キスされたり抱きしめられたり、嵐のような愛情表現にもみくちゃにされました。

 ダンケルク様の気が済んだころには、お互い髪は乱れ、息が上がり、どういうわけかダンケルク様の靴が片方遠くに吹っ飛んでいました。

 それを取りに行くダンケルク様の後姿がおかしくて、クスクス笑っていたら、また抱きしめられて、キスの雨を降らせられます。


(若旦那が結婚されると聞いてショックを受けていたのが、遠い昔のようですね)


 リリスさん。セラさん。若旦那に、ダンケルク様。

 あの頃は、大切な人がこんなに増えるとは、思ってもみませんでした。


(若旦那を好きでいて良かった。ダンケルク様を好きになって――ほんとうに良かった)


 私は新しいパートナーにキスの雨を降り返しながら、その喜びを噛み締めました。

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「失恋メイドは美形軍人の婚約者で、最強の<秩序>魔術の使い手です」 雨宮いろり・浅木伊都 @uroku_M

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