第20話 誘い

(……何か、聞こえる気がする……誰かの、話し声?)


 朧気おぼろげな意識の中、青年はうっすらと目を開けた。


「お、気がついたか!」


 耳に飛び込んできたのは、聞いたことのある男の声。そして近づいてくる複数の足音。

 昼間の部屋のまぶしさに目が慣れると、メラニー・司祭・エマの三人に加え、街道で助けてくれた御者ぎょしゃが彼のすぐそばにいるのが見えた。


「あの……ときの? ――っ!」


 身体を動かすと、全身を駆け巡る鋭い痛み。ショーンはそれに耐えながら上半身を起こそうとした。


「ああっ、まだ動くな! そのままでいい。お前さんはあれから七日も眠っていたんだ。無理するな」


 そんなショーンを慌てて制して、アレンはベッドの傍の椅子に腰かけた。


「驚いたぜ。ここに戻ってきたら、出会ったときよりひでぇ傷のお前さんが女性陣に囲まれて倒れてて……って、そういやぁお前さんには自己紹介がまだだったな。俺はアレンという。話は全部聞いた。ショーン、お前さん俺の仕事を手伝ってみる気はねえか?」


 矢継ぎ早に繰り出される話。あまりに唐突な話に、ショーンは何が起こっているのかわからず目をしばたたいた。


「お前さんは腕が立つ。ここまで旅をしながら生き抜いてきたんだろ? そのための知識も経験もそこらの人間よりずっとあるはずだ。けれど、金を稼ぐすべを知らねえだろう。この世界で生き抜くには、物々交換だけじゃ難しくなってきた。多少なりとも金があったほうがいい。今までは一人だったからなんとかなっていただろうが、連れができたらそうもいくまい」


 アレンはショーンをまっすぐに見て続けた。


おりゃ便利屋稼業だ。買い物や掃除洗濯、何かの修理といった日常の細々こまごまとしたものから、用心棒や魔物退治といった物騒なものまで、ありがたいことに様々な仕事の依頼が来る。できるだけ断らないようにしちゃいるんだが、俺一人じゃ手に負えねえものもたまに出てくる。そんなとき、お前さんの知識や力を借りたいんだ。特に物騒な依頼は……俺もいろんな武器を扱えるが、器用貧乏ってやつでな。とてもお前さんの剣には敵わねえ……って、ああ誤解しないでくれよ! お前さんにそういう危険な仕事ばかりを任せたい訳じゃねえからな」


 アレンは慌てた様子で言った。ショーンはどう返してよいものかわからず、じっと話を聞き続ける。


「もちろん、その傷がえて身体が万全になってからでいい。当然メラニーちゃんも一緒だ。まあ考えておいてくれ」


 ポンとショーンの肩に触れて、アレンは立ち上がった。きびすを返したアレンの背中を、ショーンはじっと見た。


「何故、そこまで俺を……」


 アレンは立ち止まり、振り返らずに言った。


「だってお前、放っておけねえだろ……」


 ぽつりと言うと、アレンは再びベッドの傍の椅子に戻って腰かけた。


「……お前さん、もう何年も一人で旅をしてきたんだろ」

「ああ」

「……お前さんを探している奴に見つからないよう、人とできるだけ関わらず、人里には最小限しか近づかなかった……違うか?」

「いや、その通りだ」


「やはりそうか……」


 アレンは額に軽く手をやってから、何かを決心したように顔を上げた。


「ショーン、お前さんは強い。けどな、人の心ってやつを考えたことはあるか?」


 アレンの真剣な瞳がまっすぐにショーンを見つめる。


「お前さんはその身を危険にさらしすぎる。お前さんはいいかもしれねえが、自分たちを守るために盾となり、ボロボロに傷ついて倒れたお前さんを見た彼女らの心の痛み、わかるか? 並々ならぬものだったと俺は思うぞ。特にメラニーちゃんはお前さんが自分をかばって死ぬのを数日前に見たばかりだったと聞いた。俺があの場に辿たどり着いたのは、お前さんが意識を失ったあとだったんだが、メラニーちゃんのあの青ざめた姿……気丈に振る舞ってはいたが、痛々しくて俺は見ていられなかった……」


 アレンの顔が曇る。


「かく言う俺も、血まみれで倒れているお前さんが見えたとき、お前さんが死んだと思って正直落ち込んだ。俺がもっと早くここに戻れば、こんなことにはならなかったんじゃねえかと本気で後悔した。……出会って間もない俺が言うのも何だが、お前さんという存在は、俺たちにとってそれだけ大きなものなんだ。わかるか?」


 ショーンは目を見開いた。


「もっとお前さんに関わる人々の気持ちを考えて行動しろ! 自分の身体をもっと大事にしてやれ!」

「………すまない」


 ショーンは伏し目がちに、消え入りそうな声で言った。アレンはまぶたを閉じて大きくひとつ息を吐き、表情をゆるめた。


「……安心した。そんな顔ができるんだな。お前さんの心は死んじゃいねえ。なら大丈夫だ。お前さんは変われる。……俺のほうこそ、こんな言い方をして悪かった。お前さんが守ってくれなければ、俺たちは全員どうなっていたか……本当にありがとうな」

「いや、すべて俺が皆を巻き込んだことだ。礼を言われると困る……」


 一呼吸置いて、アレンは続ける。


「そうかもしれねえが、お前さんが望んで起こしたことじゃねえだろう。それに、ここにいる俺たち全員がお前さんに生命を救われたのは、まぎれもねえ事実だ。……人との関わり方がわからなけりゃ、俺が教えてやる。人一倍強くて優しいお前さんだ、絶対に変われるさ。そうなりゃお前さんは、人として今よりずっと高い次元にいける」


 アレンは微笑み、優しい眼差しでショーンを見た。


「俺はお前さんがどう変わるかを見てみたい。そして、できることなら、お前さんの求める答えとやらを俺も一緒に探してみたいんだ。……無理にとは言わねえが、さっきの仕事の話、考えといてくれよ」


 踵を返したアレンの広い背中に、ショーンはあたたかな光を感じた。


「……手伝わせてほしい」

「ん?」


 アレンは立ち止まって振り返った。


「俺で役に立てるのなら⋯⋯仕事、手伝わせてくれないか」


 ショーンのまっすぐな視線が、驚いた顔のアレンに向けられる。


「本当にいいのか?」

「断る理由がない。いや……それでも、また腕輪を狙うものとの厄介事に巻き込むかもしれないという躊躇ためらいはあるんだが。……手伝ってほしくないのか?」


 アレンの顔が、みるみるうちに笑顔に変わる。


「いや、こんなにすんなり受けてくれると思わなかったんでな。ありがたい! 巻き込まれるのは覚悟の上だ。そこは気にすんな」


 三度みたびアレンはショーンの傍の椅子に戻り、彼の肩にポンと手を乗せた。


「それじゃ、お前さんの最初の仕事は、身体を万全にすることだ。この際、徹底的に治しておけ。お嬢さん方、申し訳ないが、こいつをしばらく預かってくれ」

「預かってくれって……アレンさん、どこかに行かれるんですか?」


 エマが驚いた顔でたずねる。


「ああ。俺は溜まった仕事を片付けてくる。しばらく留守にするが、こいつの治療にはちょうどいいだろう。傷が癒えて動けるようになってきたら、雑用をさせてもらって構わない。もちろん、かかった費用は請求してくれよ。金でも物でも、言ってくれれば用意する」

「いや、でもそれは――」


 ショーンが口を挟もうとしたが、アレンはニッと笑ってそれをさえぎる。


「お前さんにはその分、元気になってから返してもらうから心配すんな」

「私も、ここでお手伝いをしながら、治療のことをいろいろ教えてもらえることになったんだよ。私も何かお仕事を手伝いたいから」


 メラニーが笑顔で言うと、エマと司祭が顔を見合わせ、微笑みながら頷いた。


「さあ、そろそろショーンさんを休ませないと。目覚めてすぐこんなにいろいろ起こっては、気疲れしてしまうでしょうし」


 司祭が言うと、エマは廊下に出ていき、すぐに戻ってきた。ベッドサイドのテーブルにカップと水、それから薬を用意する。


「ショーン、起きられる? さっきすごく痛そうだったから……私、手伝うね」

「ありがとう。助かる」


 メラニーがショーンの上半身を起こすのを助け、寄りかかれるようにと準備していた枕を彼の背中の後ろにいくつか重ねてくれる。先ほど自分で起きようとしたときよりも、不思議と痛みはずっと弱く感じた。


 鼻をくすぐる甘酸っぱい香り。サイドテーブルを見ると、カップに見覚えのあるトロリとした液体が入っている。


「少ないですが、あの日召し上がっていただいたのと同じ、桃の甘露煮を裏漉うらごししたものです。といっても昨日穫れた桃を使って、メラニーさんと一緒に作ったんですよ。ショーンさんがそろそろ目を覚まされるんじゃないかって」

「……ありがとう」


 エマの言葉を聞いて、ショーンはカップを手に取った。包帯を巻かれた腕。この七日間で筋力が落ちたようだ。カップが重く感じる。


「それを飲んだら、お薬を飲んでゆっくり休もうね。私もショーンを支えられるように、いっぱい勉強するから。今はとにかく、身体を休めてあげてね」


 そう言いながら、背中を支えてくれるメラニー。やわらかな彼女の体温が、心までをもあたためてくれているのだろうか。ショーンは言葉にならない想いで胸が熱くなるのを感じていた。


 カップを唇に当て、桃の甘露煮を一口含む。香りと同じ、甘酸っぱい味が口いっぱいに広がり、全身に染み込んでくる。先日よりも美味しく感じる。

 瞼を閉じ、ゆっくりと飲み込んだ。食道を通って胃に向かう桃を感じる。生きていることを、そして生かされていることを実感する。

 一口、また一口、じっくり味わう。

 熱い想いがこみ上げた。皆への感謝で胸がいっぱいになる。あたたかい気持ちで身体じゅうが満たされていく。


「それじゃ、俺はそろそろ行くわ。くれぐれも、無理すんじゃねえぞ」


 そう言ってアレンは退室した。振り返らず、去り際に片手を上げて。それに続いて、司祭とエマもアレンを見送りに部屋を出ていった。



 ショーンは桃の甘露煮を飲み終え、カップをサイドテーブルに戻す。

 二人だけが残った部屋。メラニーが彼の背中から手を離し、申し訳なさそうな顔でベッドのかたわらの椅子に腰かけた。


「……ごめんなさい。あの日のこと、全部話しちゃった」

「いや、それは問題ない。俺のほうこそ、君には苦労のかけ通しで……すまなかった」


 ショーンはメラニーをまっすぐに見た。メラニーは微笑んで首を横に振った。


「ううん、大丈夫だよ。全然苦労だとは思ってないもん」


 微笑むメラニーの頬を涙が一粒、ほろりと落ちる。


「あれ?」


 せきを切ったようにあふれてくる涙。


「おかしいな。泣かないって決めてたのに⋯⋯」


 涙をポロポロとこぼし続けるメラニーを、たまらずショーンは静かに抱き寄せた。傷の痛みよりも強く、胸の……心の痛みを感じる。胸の奥に深く深く突き刺さるような、強い痛み――。


我慢がまんしなくていい。気が済むまで泣け。俺が、受け止める」


 胸をく熱い感情をなんとか抑え込み、ショーンは静かに言った。こぼれそうなほど湧き出してくる熱い感情。しかしそれが何と呼ぶべきものなのか、彼自身にはわからない。


「ずるいな、ショーン――何も言えなくなっちゃうよ……」


 メラニーは言葉を失い、ショーンの胸に顔をうずめて静かに泣き続けた。



(この子が笑顔でいられる世界を守りたい。そのために、俺には何ができるだろうか――)


 メラニーを強く抱きしめながら、ショーンはそれを考え続けていた。

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