龍を追って

「お嬢さま、こっちです。ついてきてください」


 地面を注意深く見つめながら、私の少し前をルイスが歩いている。


「こんな暗いのに、よく足跡なんて見つけられるわね」


 私はルイスの真似をして地面に顔を近づけ注意深く観察してみた。


「だめ、全然なにも見えない……。けどルイスには見えているのよね」


「ええ、ちゃんと見えていますよ」


 発言を裏付けるかのように、時折地面を確認しながらもルイスは迷いなく着実に前へと進んでいく。


「さすがルイスね!」


「ありがとうございます、お嬢さま」


 一瞬だけこちらを向き一度礼を済ますと、ルイスは再び前を向き地面を確認しながらゆっくりと歩を進めていく。


「それにしてもエスペラってば、ずいぶん遠くまで行ったのね。ねぇルイスどれぐらい離れているかとかもわかったりするの?」


「そう、ですね……――」


 ルイスは一度足を止め、より地面に顔を近づけた。


「――確認する限り、深めに足跡がついています。相当力強く地面を蹴ったのでしょう。ということは走って移動している、それも全速力で」


「すごい! そこまでわかるの?!」


 ルイスのまるで探偵かのような的確な分析に自然と称賛の言葉が出てしまう。


「そうですね。詳しい体重が分かりませんので確実にそうとは言えませんが、想定通り全速力で移動しているとしたら、追いつくまでもう少しかかるかもしれません」


「でも、追いつけるんでしょ?」


 ルイスの動きがピタリと止まった。何かわかったのだろうか。


「――……ええ、そうです、ね」


 地面を確認していたルイスの顔が上がった。


「ん? なんだか歯切れが悪いわね。もしかして自信ないの?」


 ルイスが顔をこちらに振り向け口を開いた。


「――はは……バレてしまいましたか」


 ルイスは目を細め、目尻が垂れ下がった情けない表情をしていた。


「そうですね、正確な足の形を覚えていなかったものですから、実の所一番新しい物を追っていまして。もしかしたら見当違いの足跡を辿っているかもと……。お嬢さま申し訳ございません」


 ルイスは申し訳なさそうに肩を丸めている。


「なに言ってるの! まだ間違っていると決まっているわけじゃないんでしょ、きっと大丈夫よ。ルイスが間違えるわけないもの」


 ルイスは少しだけ顔を伏せ、私から視線を外すような素振りを見せ、答えた。


「ありがとう、ございます……」


「本当にどうしたの? ずいぶん歯切れが悪いじゃない。そんなことで私が怒るとでも思った? だったら心外だわ」


 腕を組み、少しだけ顔を背け、そっぽを向きながら答えた。


「い、いえ、そうではなく……。そこまで、信頼、されている、とは思わず……」


 所々つっかかりながら、やけにおどおどとした態度でルイスが答える。


「ねぇ、本当にどうしたの。ちょっとおかしいわよ。不安なことでもあるの?」


 ルイスの顔を覗きながら私は言う。


「い、いえ、そういうわけではないのですが……」


 ルイスはバツが悪そうにしてより深く顔を伏せてしまった。


「もう、本当にどうしたの? 大丈夫よ! だってルイスだもの!」


 私は、表情を確認しようとして横からルイスの顔を覗く。しかし思ったよりも深く顔を伏せているせいかよく見えず表情を確認することはできなかった。


「もう、なにを恥ずかしがっているの! そんなに自信ないの?」


 ルイスはゆっくりと顔を上げ口を開いた。


「実は、ですね、足跡以外にももう一つ不安なことがありまして……」


「なに、まだ何かあるの?」


「ええ、その、匂いを確認できていなくて、ですね……。なので一番確実な、匂いを追う方法が取れておらず……」


 ルイスの手は力なくだらっと垂れ下がり、背中と肩はダンゴムシのように丸っていた。その姿はまるで御伽噺に出てくる小狡い悪党のようだった。唯一、ニヤニヤとした薄ら笑いを浮かべているのではなく、目尻は垂れ下がり少し俯いているというところは御伽噺の悪党たちとは違っていたが。


「お嬢さま、申し訳ございません……」


 ルイスは本当に、本当に申し訳なさそうに呟いた。


「そ、そうだったのね。……だ、大丈夫よ、それくらい! ちょっとの失敗ぐらい誰にだってあるもの。たまたま今日がそういう日だっただけよ」


 ルイスのあまりに覇気の無い姿を見て、私はすかさず励ましの言葉を投げかける。だがルイスは背中を丸めたまま俯くばかりだ。


 においさえわかれば、ルイスなら絶対に見つけられるはず……。それに、きっと自信だって取り戻してくれる――。


「そうだ、卵! 戻って卵の殻のにおいを嗅げばいいじゃない! そんなに遠くないし、私とってくる!」


 非常に良い案が浮かんだと思った私は、すぐさま実行に移すためにもクルッと体を半回転させ思いっきり地面を蹴り走り出した。


「お、お嬢様! お待ちください! 一人で行っては――」


 そのまま全速力で洞に向かおうとしていた私だったが、目の前の光景に思わず足を止めてしまう。


「ねぇルイス、あれ、煙よね? 煙が上がってる!」


 私は確認を取るみたいにルイスに顔を向けた。


「――……珍しい、ですね。このあたりに火を起こす生き物はいなかったはずですが……。自然発火、人為的なものの可能性も……――」


 ルイスは顎に手を当て後ろに引き、少し考えるようなそぶりをして直後ハッとし口を開いた。


「煙を吸うといけません! 下がってください、お嬢様!」


 ルイスは大声で私に呼びかける。


「え、でも結構離れているし、大丈――」


「お嬢様! 火が上がっているんですよ! ここに居続けるのは危険です。それに煙が上がっている方向と足跡の続く方向は真逆です。すぐにでもここを離れましょう」


 臭いがここまで届いているわけでもないのに、流石に焦りすぎじゃないか。多分、煙が上がっている場所からは相当離れているはずなのに、すぐにでもここから離れようだなんて、心配しすぎじゃ、……煙? そうだ、煙が上がっているということは火が起きているってことだ。ルイスは言っていた、人為的あるいは自然発火だと、もしかして火を起こしたのは……――。


「エスペラかも……」


「お、お嬢様、なにを言っているのですか! 足跡とは反対方向なのですよ。それはあり得ません!」


 ただ思い浮かんだことが口に出てしまっただけだったのに、予想以上に強めの否定が返ってきた。


「あり得ないって。ねぇ、ルイス決めつけることはないんじゃないの?」


 特徴から考えるに、おそらくエスペラは炎龍フレアドラゴンだ、ありえないことではない。もちろん勘違いということもあるだろう。だが私には確信のようなものがあった。


「いえ、お嬢様足跡は煙が上がった方向に向いていないのですよ。絶対にあり得ません。それよりもお嬢様、火の手が広がるかもしれません。危険ですから早くここから離れてエスペラを追いましょう」


 さっきまでの口調とは打って変わって落ち着いた口調で、ここから離れるべきだとルイスは言う。しかしそこにはいつものような私を納得させるような理由はなく、ただただ危険と続けるのみだった。


 おかしい、今のルイスの発言はいつもと比べてあまりにも不自然だ。今までルイスが決めつけて話を進めたことなんてない。良くも悪くも、ルイスは常にいろんな可能性を考えた上で物事を決めている。それなのに何故か今は、一つに決めこんで無理矢理にでも話を進めようとしているような節を感じる。私を今すぐにでも、ここから離れさせたいみたいだ。煙が危険だから離れさせたいにしたって相当距離はあるし、いまだに臭いもしてこないのにも関わらずだ。明らかにおかしい。


 それにだ、エスペラが火を起こしたという選択肢をルイスが見落とす? ありえない。


 この森にいる生物で自分で火を起こせるものはとても少ないし、ルイスが聞きたがるからドラゴンについても何度も説明している。


 そもそも私に、家の裏の森に生息している生物について教えてくれたのはルイスだ。数少ない火が起こる原因の中にエスペラが入ってもなにもおかしくない、むしろ筆頭なんじゃ……? なのに選択肢に上がらないなんてことが、いやでも声をあげて驚いていたし、本当に思い浮かばなかったのかも、いやでも……――。


「さぁ、お嬢様。早く帰りましょう!」


 思考に耽っていると非常に気になる内容とともにルイスの声が聞こえてきた。


 帰りましょう……、いったいどういうことだ?


 ルイスを見ると体の方向が、エスペラの足跡が続いていると言っていた方を向いていた。


「ねぇ、ルイス、帰りましょうって……。エスペラは?」


 ルイスの肩がほんの少しだけだがピクリと跳ねたように見えた。


「も、もちろん、みんなで帰りましょうと言うことです……!」


 焦ったような素振りでルイスが返事をしてきた。


 この感じ、私がエスペラかもって言ったと同じだ。


 そっか、あれは驚いたんじゃなくて焦っていたんだ。


 じゃあ、なんでさっきも含めて、ルイスは焦っていたんだろう。


 そんなの決まっている。


「ねぇ、ルイス。なんで……嘘、ついたの?」


 こんなこと、言いたくなかった。それどころか考えたくもなかった。でもそれしか考えられなかった。


「お、お嬢様、なにをおっしゃているんですか?!」


 目に見えてルイスが狼狽え出した。


 確定だ、決してそうであって欲しくはなかったが……。


 ルイスは私に、嘘をついていたんだ。


 一瞬、体全体の力が抜けグズグズに溶けていくような感覚がした。しかし直後、心臓にグツグツとにえたくるような熱さを感じ、再び体全体にグッと力が入る。熱を持ったグチャグチャの塊のような何かが心臓から喉元まで競り上がってくる。口を開き競り上がってきた何かを思いっきり吐き出した。


「なにって! なんで! 嘘! ついたのって聞いてるの!!」


 思っていた以上に大きな声が出た。


「お、お嬢様、嘘だなんてそんな。私がお嬢様に嘘をつくなんて、そんなこと……。ぜ、絶対にありえません!」


 嘘だ、ルイスはまた嘘をついている。


 続けてルイスが言葉を発した。


「信じてください、お嬢様。危険ですから早く離れて、みんなで一緒に帰りましょう!」


 必死に訴えかけるようにしてルイスが声をかけてくる。


「ルイス。そっちに足跡が続いているのよね」


「え、ええ、そうです。ですからお嬢様早くここから離れましょう」


「わかった、けど。ねぇルイス、一つだけ教えて」


「お嬢様……! 危ないですから! 今はまずここから離れましょう……!」


「ルイス、さっきから危ないって言っているけど私には煙の臭いすらしないわ。なのになんでそんなに急いでいるの」


「お嬢様! 火が広がるのは一瞬です! こんな悠長に喋っている場合ではないのですよ! 早く離れましょう! こっちに来て下さい!」


 ルイスは、体全体で手招きをしながら必死に私を呼んでいる。


「ねぇ、ルイス。私の見間違いじゃなければだけど、さっきより煙収まっているように見えるけど。火が広がっているなら煙は強くなるはずよね。なのになんで収まっているの?」


「そ、そんなはずはありません! 収まっているなんて、そんなこと」


 ルイスの語気が目に見えてどんどん弱くなる。


「げ、幻覚! そう、お嬢様! お嬢様はいま幻覚を見せられているかもしれません! だったら尚更ここは危険です! お嬢様早くここから離れましょう!!」


 幻覚を見せられているだなんてそんな、そんな支離滅裂なことをルイスが言い出すなんて思わなかった。


 いつものルイスならこんな妄想みたいなこと絶対に言うわけがないのに、なのにこんなこと言い出すなんて。私が幻覚を見ているだなんてあまりにも破綻している。


 だめだ、どんな言葉を交わそうと、いまのルイスとはまともに会話することは絶対に無理だろう。私がなにを言うとルイスは私をここから離れさせようとするだけだろう。


「ルイス、私はそっちには行かない」


「お嬢様!! 幻覚を見ていると言うことは一度、専門家にも見てもらわないと! お嬢様一度、屋敷まで帰りましょう!!」


「やっぱり、そうよね。ルイス、あなた屋敷の方に向かっていたんでしょ」


 私は、ルイスが向かっていた場所とは反対方向へ体を向けた。


「やっぱり全部嘘だったのね」


 そう一言呟き、私はエスペラを探すため煙の上がっていた場所へと走り出す。


 後ろからは私を止めるルイスの声がしていた。

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