洞にて、 3

「いない! いない、いなぃ……。なんで……なんで。どこにいったの……――」


 目が回るほどの勢いで右に左にと辺りを見回すが、いくら探してもエスペラの姿は見当たらない。


 目で見ているだけでは埒があかないと思い、上下左右手当たり次第に腕を振り回しながら洞中を探し回る。


 しかし、いくら必死に探し回ろうとエスペラはどこにも見当たらなかった。


 考えていたことが砂のように崩れサラサラとこぼれ落ちていく。血の気が引いて、頭の温度が下がってくような感覚がした。考える力がどんどん落ちていく。


 近くにいるはずなのになぜか遠くからルイスの声がした。


「お嬢様、いきましょう。こんな……、こんな危険な場所でお嬢様を暮らさせるわけにはいきません。それもあんな危険な生物と一緒だなんて……そんなこと、認められるはずがありません――」


 なんで、なんでそんなこと……。ルイスはいつだって私の味方で、私のこと守ってくれていたはずなのに、なのになんで……。それにエスペラのことあんなって、危険な生物って、ルイスはそんな酷いこと言わないのに。ねぇ、なんで、なんでそんなこと言うの。ねぇルイス、なんで……。


 言いたいことはいっぱいあるはずなのに、言葉たちが浮かんだ側から崩れていく。それにやけに口が重い。もうなにも言える気がしなかった。


 ルイスが腰を浮かせて、いまにも立ち上がろうとしているのが見えた。


「さぁ、お嬢様。帰りましょう」


 いやだ、行きたくない。ルイスのいない家になんていたくない。それにエスペラだってここに戻ってくるかもしれないのに。いやだ、絶対に離れたくない。いやだ。


 ルイスの手が私の方へと伸びた。


 いやだ、帰ったら一人になっちゃう。帰りたくなんてない。いやだ、いやだ、いやだ、いやだ――――。  


 私は可能な限り膝を寄せ、内側にギュッと抱え込んだ。


 私の方へと向かうルイスの手が途中で止まった。ルイスの手が空掴むようにグッと握られる。


 一瞬だけルイスの手が震えた。握られていた手が開き、ストンと下へと落ちる。


「お嬢様。ルイスからの、最後の、お願いです。どうか聞き入れてくださいませんか……」


 もうなにも聞きたくない、そう思った。私は、顔を膝に埋めて丸くなった。


 絶対にここを離れない。一生このまま、ここにいてやる。そう覚悟を決めた。


 しばらく塞ぎ込んでいるとルイスの声が聞こえてきた。


「わかりました、お嬢さま」


 わかった、ってなにがわかったのだろう。私がここを離れる気がないのが、今になってやっとわかったとでも言うつもりか。だから、無理矢理にでも連れて帰ると言うつもりか。でももう遅い、私の覚悟は決まっている。もしルイスが私に少しでも触れたのならその瞬間、おもいっきり噛みついてやる。


 私は少しだけ顔を上げ、ルイスの顔を覗いた。


「三人で、暮らしましょう」


「え?」


 砂粒ほども予想していなかった言葉に思わず声がでてしまう。


 まるで理解が追いつかない。


 そんな私を置き去りにルイスは言い続ける。


「ですが、残念なことにいまこの場には全員が揃ってはおりません。せっかくみんなで暮らそうというのに、これじゃいけませんね。ですからお嬢さま、探しにいきましょう」


 え? ほんとに? ほんとにいいの?


 膝に埋めていた顔が、まるでそうするのが当たり前とでもいうように自然と上がっていく。


 絶対にいいと言われないだろうと思っていた。良くてゴネにゴネた末に、ほんの少しだけ時間が稼げるぐらいだと考えていたし、最悪の場合無理矢理にでも連れ返される、そう思っていた。なのにまさか……。こんなこと、思ってもみなかった。


 あまりのことに、次の言葉が浮かばない。もはや自分がいま、どういう感情なのかすらもわからない。


 状況を整理しようと、頭の中で起こったことを順に並べているとルイスの声がした。


「お嬢さま、行かないのですか?」


「え、えっと、いやあの……」


 行くってどこに? まさか家、じゃないよね?


「まさか、探しにいかないのですか?」


 家ではなかった、探しにってことは間違いなくエスペラのことだろう。


 私は慌てて返事をする。


「い、いや、行く! 行くわ!」


 ルイスの気持ちが変わらないうちに急いで行動しなければ!


 私は勢いよく立ち上がった。膝が伸びきったところで洞の天井に頭をぶつけてしまった。


 痛みのあまり、私は頭を抱えてその場にうずくまってしまう。


「お、お嬢さま! 大丈夫ですか!?」


「だ、大丈、夫……!」


 ルイスに大したことではないと伝えるために、私は歯を食いしばりながらもすぐさまなんとか立ち上がった。


 目の前が少し滲んでいる。きっと大泣きした時の涙が残っているのだろう。そうに違いない。


「わ、私はいいから、大丈夫……」


 と、言いつつまだ痛みはある。もしかしたらコブができているかもしれない。けど決してそれを悟られるわけにはいかない。


 私は、無理矢理にでも口角を吊り上げ笑顔を作ってみせた。


「ほ、本当に大丈夫なのですね……」


 頭を確認したいのだろう、ルイスは顔を近づけてきた。


 それはまずい……。


 心配性のルイスのことだ。怪我を理由にエスペラを探すのを中止にするか、また家に帰ろうと言い出すかもしれない。


 私はぶつけたところがルイスに見えないよう、ルイスの視線から顔を逸らした。合わせてルイスの視線も動く。


 これは良くない。とにかくなんでもいいから、話を次に持っていって注意を逸らさないと!


「い、いいから。行くわよ!」


 私は、勢いよく前を向いた。


 しかし相変わらず、ルイスの注意は私の頭の方に向いているようだった。


「ほら、早く!」


 私は、出口を指差しながら続ける。


「え、ええ……。行きましょうか」


 ルイスが出口の方に体を向け、歩き出した。


 ん? 今のルイスは、いつものルイスと比べてやけに聞き分けがいいような気がする……。そういえば、頭をぶつけた時に怪我をしてないか確かめてこなかったな。いつもなら、痛くないかと聞きながら怪我をしたかもしれないに触れてくるはずなのに……。


 なにかがおかしい。小さな違和感を覚えずにはいられない。


「お嬢さま?」


 出口の方からルイスの声がした。私が気が付かない間に、いつの間にかルイスは外に出ていたようだった。


 いけない、ルイスの気が変わらないうちに急がなくちゃ――!


 私は、少し早足気味に出口へと向かっていった。

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