007 色無しの魔物使い(後編)



 マキトが振り向くと、留守番しているはずのスライムが、笑顔でポヨポヨと弾みながら向かって来るのが見える。


「あの子……抜け出してきちゃったのね」


 アリシアが呟くと同時に、スライムがマキトに勢いよく飛びつく。それをしっかりと抱きとめるようにしてキャッチすると、スライムはマキトの腕の中でプルプルと嬉しそうに震え出す。


「ポヨポヨー♪」

「お前、来ちゃったのか?」

「ポヨッ!」


 スリスリ――マキトに頬ずりするスライムの微笑ましい姿に、周りも和やかになったり呆気に取られたりしていた。


「えー、何あれ、かわいいー♪」

「普通にスライムだよな。結構懐いてるように見えるが……」

「ああしてみると魔物使いっぽい感じだな」

「やっぱり【色無し】といえど、適性は伊達じゃないってことなのかしら?」


 そんな声が次々と聞こえてくる。マキトに対する空気が変わってきており、勝ち誇っていたレスリーの表情に焦りが出てきていた。

 するとここで、冷静にスライムの様子を分析していたエルトンが口を開いた。


「テイムの印がない……どうやらあれは、まだ野生のようだな」

「へっ?」


 声を上げたのはレスリーだった。呆気にとられた表情をしていたが、すぐさま再び勝ち誇った笑みを見せる。


「な、なんだよ、脅かしやがって! いくら野生の魔物と仲良くなったところで意味なんざねぇってんだよ! そんなに懐いてるならテイムしてみろってんだ!」


 それを聞いたマキトは、レスリーに向かって目を見開く。

 言われて初めて気づいたのだ。魔物使いということは判明したのだから、テイムできるかもしれないと。

 マキトはスライムを抱え、真正面から顔を見合わせる形をとる。

 一方、ブルースは呆れた表情を浮かべ、思いっきり深いため息をついていた。


「……レスリー。お前、自分が余計なことを口走ったって気づいてるか?」

「えっ?」

「お前がテイムしてみろだなんて言わなければ、あのボウズはお前に言われっぱなしのまま、帰っていたと思うんだがな」

「え……あっ!」


 兄に指摘されて、ようやくレスリーもそれに気づいた。

 ここでマキトがスライムをテイムしてしまえば、これまで散々見下してきた評価がひっくり返ってしまう。そうなれば、自ずと自分が惨めになる――レスリーもそこはすぐに理解してしまっていた。

 現にマキトは、レスリーに言われて初めてテイムのことを思い出していた。

 どう考えてもこうなったのは、レスリーが余計な挑発を浴びせたからである。故にピンチを迎えたのも、完全なる自業自得としか言いようがない。


「……テイムってどーすりゃいいんだ?」


 しかしマキトは、肝心なところが分からないでいた。

 アリシアに借りた職業の基礎知識本にも、テイムのやり方までは書かれていなかったのである。

 とりあえず触れ合ってみよう――そう思いながらマキトは、スライムの額と自身の額をピトッと合わせてみる。

 そのまましばらく、数秒ほどジッとしていたが――


「何も……起こらないな」


 離してみても、スライムに何か変わった様子は見られなかった。

 お互い、一緒にいたいという気持ちを乗せていたことは間違いない。しかしテイムできたようには見えず、マキトとスライムは、揃って首を傾げ合っていた。


「はっ、はははっ! なーんだ、結局は失敗かよ!」


 レスリーは晴れやかな笑顔を浮かべながら、叫ぶように言う。それはピンチを乗り越えた喜びであることは、言うまでもないことだった。


「兄ちゃんも見ただろ? やっぱり【色無し】は【色無し】だったんだよ!」

「あ、あぁ、どうやらそうみたいだな」


 弟の勢いに押されなあらも、ブルースは頷いた。それを皮切りに、周囲も次々と言葉を放っていく。


「なーんだ。所詮【色無し】はテイムすらできないってことか」

「期待して損したぜ」

「最初からこうなるんじゃないかと思ってたんだよな」

「スライムと仲良くなって何になるのかしら?」

「寂しさを紛らわすだけとか?」

「何それ、超ウケるー♪」

『アハハハハッ♪』


 子供たちの笑い声が響き渡る。その大半がマキトに対する嘲笑であることは、考えるまでもなかった。

 この場には、子供たちの親も多数残っていたが、誰もが子供たちを叱るどころか止めようともしていない。ただ顔をしかめているばかりだった。

 よく見てみると、その視線はこぞってブルースに向けられている。

 仮に大事になったとしても、それは全てレスリーの兄である彼の責任になる。黙っていれば、自分たちに矛先が向けられることもない。余計なことをして責任問題を追及されるのはまっぴら御免だ。

 そんな保身に走る親たちの気持ちなど、子供たちは知ったことではない。

 親が何も言ってこないんだから自由にしていい――そう判断してしまうのも、残念ながら自然なこととなってしまうのだった。


「悔しかったら何か言い返してみろよ」

「どーせ【色無し】になったのがショックなんだろうぜ」

「弱いスライムを抱きかかえて寂しさを紛らわせてるってところか」

「ダッセーなぁ。それでも男かよ」

「仮に言い返したとしても、【色無し】が何言ったところでダサいけどな」

「全くだぜ」

『アハハハハッ……ハーッハッハッハッハッハッ♪』


 もはや言いたい放題であり、笑いたい放題にもなっている。しかしマキトは、それに対して自然な無表情を貫き通していた。

 すると――


「ポヨォー……」


 マキトの腕の中で、スライムの唸り声が聞こえてくる。マキトを馬鹿にする声が許せないのだ。

 子供たちがそれに気づき、冷や汗を流したり戦おうと構えを取ったりする。

 まさに一触即発。そうなるかと思ったそのとき――


「気にするなよ」

「ポヨ?」


 マキトがスライムを優しく制した。そしてニッコリと笑い、呆然としているアリシアにも視線を向ける。


「そんなことより早く帰ろうぜ。俺が魔物使いってことは分かったんだ。今はそれだけでいいよ」

「……マキトがそれでいいんなら、ねぇ」

「ポヨッ」


 どこ吹く風なマキトに毒素を抜かれたのか、アリシアもスライムも、いつの間にか己の中から苛立ちが消えていた。

 そして何事もなかったかのように、マキトたちは帰路につく。


「やーいやーい! 負け犬の【色無し】ヤロウが逃げていくぞーっ!」


 レスリーが指をさしながら、マキトたちの後ろ姿に向かって、嘲笑と挑発を投げかける。しかしマキトたちはそれに反応することなく、そのまま森の広場を後にするのだった。

 ブルースたちがそれを神妙な表情で見送っていたことに、レスリーは最後まで気づくことはなかった。


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