二話

 今度は任木蘭が先頭になり、「火」と「水」の気息を追いながら歩を進めていく。彼女はどんどん森から離れていき、行き着いた畑を抜けて白い塀の前で足を止めた。

「ここよ」

 任木蘭は振り向きざまに入り口を手で示した。どうやらここは農村ではあるものの、外をうろつくならず者を意識してか村人が住んでいる区域を塀で囲んでいるらしい。耳をすませると、中から大勢が集まっているような賑わいが聞こえてきた。三人は無言のままに頷き合い、任木蘭を先頭に敷居をまたいで塀の向こうへと入っていった。

 ところが、楊夏珪の両足が敷居の中についた瞬間、右側から雄叫びが襲ってきた。楊夏珪は振り向きざまに腰の剣を抜いて一撃を跳ね飛ばし、相手がよろめいた隙に一気に距離を詰める。そこで初めて敵に注目した彼女の前にいたのは、槍を脇に落としたまま目を白黒させて震えている青年だった。しきりに口をぱくぱくさせて何か言おうとしているようだが、言葉にならない声ばかりを漏らしている。

「何だ。言いたいことがあるなら言え」

 楊夏珪が凄むと、青年はいよいよ何も言えなくなる。任木蘭は楊夏珪の肩に手を置いて彼女を下がらせると、槍を拾い上げて青年に差し出した。

「驚かせてごめんなさい。人を探して来たのだけれど、村の代表に会うことはできるかしら?」

 青年はしきりに頷くと、槍を受け取って脱兎のごとく駆けていった。その後ろ姿を見送りながら楊夏珪が呟く。

「もしあれで見張りだというのならとんだ笑い話だぞ。侵入者に自らの居所を教えながら襲いかかるなど、一番愚かな兵卒のやることだ」

「そう言ってやるな。もとより護身のために武術を学んでいるのだろうから、楊女侠に全く歯が立たずとも何らおかしいところはない」

 風天巧がそう言ったとき、村の中からわっと歓声が聞こえてきた。何か催しでもしているのか、三人が訝しんでいると、剣を持った壮年の男が小走りにやってきた。

「お騒がせしてすみません。私たち、人を探して来たのですが」

 きっと彼が村長だろう、そう踏んだ任木蘭は男が何か言う前に口を開いた。男は面食らったように目をしばたかせたが、すぐに

「そうでしたか」

 と答える。

 任木蘭が男と話している間、風天巧はその手に握られた剣をじっと観察していた。切っ先がわざと丸めてあり、一目見ただけで鋭利とは言い難い刃がついている。それでも、使い込まれた柄を見るに長いこと使われているらしいことは分かる。

「訓練用の剣か」

 風天巧が呟くと、男がぱっと風天巧の方を向いた。

「この剣がどうかされましたか?」

 男が丁重に、しかし怪訝そうに尋ねる。風天巧は「いや、なに」と軽く笑うと扇子を開いた。

「物作りが生業なもので、つい気になってしまうのですよ。丁寧に使われているようですが、この村の方々は皆武功ができるのですかな?」

 風天巧が聞き返すと、男はやおら胸を張って答えた。

「ええ。女子供でも自分の身を守るだけの武術は使えます。我ら護関村は武林の剣の名門、関山派の庇護を得て今日まで繁栄してきたのですよ。今も掌門とお弟子さんがお見えになっているところでして、ちょうど手ほどきをしていただいています」

「その掌門と弟子と一緒に、初めて見る顔がいたりはしないか?」

 風天巧はたまらなくなって尋ねた。男は怪訝そうに眉をひそめると、一言お会いになりますかとだけ聞き返した。



***



 曰く、関山派掌門の欧陽梁は、若かりし日にこの村に住む一人の娘を狼藉から助けた。それがきっかけで欧陽梁は村人と交友を持つようになり、護身用の武術の稽古をするようになった。やがて娘と欧陽梁の婚姻が決まり、村はそれを記念して護関村と名を改めた——欧陽梁、柳洛水の師弟とともに村にやって来た穆哨は、村人の稽古からは離れて村の中を散策していた。欧陽梁は結婚した後も変わらず村に降りて武術の稽古をつけていて、掌門となって久しい今でも訪問を絶やしたことがないのだという。今回も欧陽梁は村の様子を見ると言って立ち寄ったのだが、もしかするとつい数日前にめぐり会ったばかりの孫に、本当なら彼が見るはずだった景色を見せようとしているのかもしれない。

 それでもなお、穆哨にとっては関山も護関村も知らない場所だった。その上、欧陽梁が唯一頼れる親族と分かってはいても彼を警戒し、離れようとしている自分がいる。楊夏珪らのもとで欧陽梁は敵だと聞かされて育ったからなのか、あるいは仙境という居場所を得たあとで人界で新しいしがらみを作りたくないと無意識のうちに思っているのか――どちらでもない、と穆哨は一人ため息をついた。いくら血のつながりがある相手でも知らないものは知らない、欧陽梁を避ける気持ちはおそらくこの一点に尽きる。

 思考にふけりながら歩いていた穆哨は、家の角を曲がってきた人物と危うくぶつかりそうになった。驚いて足を止め、反射的に謝りながら後ずさった穆哨は、彼をじっと見ているその人物にあっと声を上げた。

「風天巧⁉」

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