四話

 楊夏珪はこちらに向かって歩いてくる部下の全てを顔色ひとつ変えずに斬っていった。その動作には風天巧が半ば呆れるほどに躊躇いがなく、命の消えた顔にはどれも戸惑いと驚愕が浮かんでいる。楊夏珪は武器庫の守衛をも一太刀のもとに斬り伏せると悠々と中に踏み入って、最奥に眠る皇麟剣へと風天巧を案内した。

 皇麟剣は五行の土に属し、鮮やかな黄色の鞘と柄を持つ大ぶりの剣だ。何十年かぶりに見た皇麟剣の姿に風天巧は思わず息を飲んだ――長い間しまい込まれていたというのに、往時と変わらぬ風格と威厳を備えている。台座の四方から伸びて剣に絡みついている鎖と、周囲を覆う防護の陣が実に邪魔だった。

 風天巧のはやる気持ちを見て取ったのだろう、楊夏珪は「待っていろ」と風天巧に告げると陣の中央に繋がれている皇麟剣を一瞥した。

「この陣を抜けられるのは私と孔麗鱗のみだ」

 風天巧は頷くと、陣の中へと歩いていく楊夏珪を見守った。

 玉染の砦には鳳炎剣を守るための仕掛けが設置されていたが、孔麗鱗は陣と鎖以外の対策を講じてはいないらしい。楊夏珪は何事もなく鎖を払い、剣を取り上げて陣の外に出てきた。風天巧は胸の高鳴りを抑えつつ皇麟剣を受け取ると、鞘を地面に突き立てて柄を両手で掴み、勢いよく抜き払った。黄金の剣身が松明の灯りを反射し、武器庫の床や天井に金色の光を投げかける。風天巧は剣を鞘に戻すと、楊夏珪に差し出した。

「今の私は功力が低すぎて持っていられない。皇麟剣は楊殿が保管していてくれ。どのみち私と共に逃げるのだろう?」

 楊夏珪は小さく頷くと、受け取った皇麟剣を背中に渡した。

「だが、私がお前を守りきれる保証もないぞ」

「心配は無用だ。自分の身を守るだけの力はあるよ」

 そう言葉を交わすと、二人は武器庫の入り口に向き直った。この武器庫に追手が迫りつつあることは考えるまでもなく、殺気立った集団が詰めかけている気配を二人は実際に感じ取っていた。出入口がひとつしかない以上、袋のねずみであることもまた明白だ。風天巧は印を結んで内功を集め、楊夏珪と視線を交わすと、鋭く息を吐いて武器庫の扉を吹き飛ばした。

 剣鋒が閃き、まずは楊夏珪が包囲の真ん中に躍り出る。風天巧も後を追って飛び出したが、五人と対峙しないうちに一筋の閃光が飛んできた。風天巧と楊夏珪が身を翻す間にも反応の悪い者が立て続けに貫かれて絶命し、その上閃光は壊された扉の脇にぶつかって岩壁を抉るまで全く勢いが衰えなかった。そこに追い打ちをかけるように、混乱する邪眼幇の兵士たちを小柄な影が切り裂いていく。隻腕を覆う手甲から刃を生やしたその人影は楊夏珪を目指して一直線に戦場を横断し、彼女と数手斬り結んだ。

 相手の正体に気づいた瞬間、楊夏珪は濁った右目までをも見開いて大声を上げた。

「魏凰⁉」

 その声に風天巧は弾かれたように顔を上げ、次いで愕然とした。楊夏珪を睨みつけているその人物は紛れもなく、玉染襲撃の夜に行方をくらませたままの魏龍影の娘、魏凰だったのだ。

 しかし、呆気に取られている暇はなかった。隙を突くように飛んできた閃光を風天巧は再び身を翻して避けた――攻勢も放たれた方向も先の閃光と全く同じだ。風天巧は素早く印を結ぶと、そちらに向けて飛び出した。蛇眼幇の兵士が群がる真ん中をめがけて飛びかかり、数人を打ち倒してから中央の人物に向けて掌を繰り出す。

 それは一人の女人だった。白い衣に身を包み、緑がかった刃の長剣を持っている。驚くべきことに、彼女が風天巧らをめがけて放った二度目の攻撃は、蛇眼幇の者たちに囲まれながらものだったのだ。すらりと長身の彼女は風天巧を認めるやいなや狙いを彼に定め、手の中で長剣をしならせた。

「待て!」

 風天巧が呼びかけるが、女人は止まることなく刃を風天巧の首に突き付ける。刺し貫くことこそしなかったものの、切っ先が肌に食い込んで白い肌を血が伝った。

「奇遇ね。天玦神巧」

 女人が口を開く。二人はじっと見つめ合ったまま、一方は相手を刺さないぎりぎりの力加減を保ち、もう一方は窮地にもかかわらず微笑を浮かべていた。

「本当に。久方ぶりだ、剣仙任木蘭じんもくらん

「こんなところで何をしているの?」

「野暮用だよ。君がその花踊刹かようせつを下ろしてくれたらすぐにでも終わるのだがね」

 任木蘭を囲んでいた蛇眼幇の兵士たちは恐れをなして皆退いている。一方の楊夏珪は魏凰と刃を交えていたが、「花踊刹」という名を聞くや戦いの手を止めて風天巧たちに詰め寄った。

「待て。今、何と――」

「聞いたとおりだ」

 答えたのは任木蘭でも風天巧でもなく、楊夏珪を追ってきた魏凰だった。

「木蘭姐の剣は花踊刹、五行神剣の『木』の剣だ」

 その言葉には楊夏珪のみならず、その場にいた全員が驚きに目を見開いた。

 五行神剣は所有権をめぐる争いの中でどれも持ち主が交代していたが、「木」の花踊刹だけは一番最初に「剣仙」の異名を持つ女剣客、任木蘭が受け取ったきり誰の手にも渡っていなかった。任木蘭が一連の争いから距離を取っていたということもあるが、何よりも、彼女は花踊刹を狙った襲撃を全て退けていたのだ。数多の先例をふまえ、それでも果敢に襲撃を企てた者が彼女の不敗神話に新たな章として加わる中、花踊刹を無闇に奪い取ろうとする者は目に見えて数が減っていった。

 しかし今、任木蘭その人が花踊刹を持って皆の前に立っている――それもかつての東鼎会の令嬢を連れて蠱洞居を襲撃している最中ときた。

 任木蘭は魏凰を一瞥し、続いて風天巧と楊夏珪を順に見た。

「それにしても、全ての原因となった鍛冶師がなぜこんなところにいるのかしら。それも五行神剣を狙う悪逆非道の輩と徒党を組んで」

「彼女が手伝いを申し出てくれただけだよ。共通の知人が面倒ごとに巻き込まれてしまってね、解決するためには五行神剣を集めないといけないのだ。だが、君の方こそ珍しいではないか? たしか五行神剣にまつわる戦いからは手を引いていたと聞いていたが、一体どういう風の吹き回しなのかね?」

 風天巧が問い返すと任木蘭は「話すと長いわ」と答え、なんと花踊刹をすんなり下ろしてしまった。

「今言えるのは、私の狙いも皇麟剣だということ。理由は……今の話を聞く限りでは、あなたのお知り合いということになるわね」

 折しも、遠くの方から激しく打ち合う音が聞こえてきた。剣戟の音に混じって高らかに響いてくるのは軟鞭が空を切り裂き、地面を叩く音に他ならない。

「木蘭姐。早くここを出た方が良いのでは?」

 魏凰の言葉に頷くと、任木蘭は花踊刹を腰の鞘に戻して通路を歩き出した。魏凰もそのあとを追って走りかけ、渋々というふうに振り返って風天巧たちに手招きした。

「一体何がどうなっている」

 楊夏珪の呟きに、風天巧は笑って一言だけ答えた。

「厄介事が減ったのさ」

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