四話
その夜、穆哨は再び夢の中で呂啼舟に会った。
二人は昼間の夢の続きを見ていた。穆哨は再び例の森に呂啼舟と立っており、森の奥からは楓児という娘が泣きながら森を走ってくる。
森は出口に近いらしく、木々もまばらで開けた空間がすぐそこに見えている。楓児はそれを見て緊張の糸が切れたのか、血を滴らせる蒼天斬を取り落とした。楓児は男の子を両手で抱きしめると、ついに慟哭して崩れ落ちた。
「おかしゃん」
幼い阿哨はまだ舌足らずで、「
「哀れな子よ」
ふと、傍らの呂啼舟が口を開いた。聞こえているはずもないのに、楓児はその声につられたかのようにはっと顔を上げて今来た道を振り返った。
その理由は穆哨にもすぐに分かった——木々の暗がりの中から、殺気立った男たちが走ってくる気配がする。楓児は阿哨を地面に下ろすと、その目を真っ直ぐ見つめた。
「阿哨、あなたはこの道をまっすぐ走りなさい。それから一番最初に見えたおうちに行って、
幼い阿哨は丸い目を不安げに上げて母親を見た。
「おかしゃんは?」
「阿娘は悪いやつらをやっつけるわ。大丈夫、悪いやつらをみんなやっつけたら私も同じおうちに行くから」
「おとしゃんは?」
「阿爹もすぐ来るわ」
半泣きの阿哨の頬を楓児はそっと撫でた。男たちの声はすぐそこまで迫っている。
「阿哨、早く行って」
楓児は声をひそめて阿哨の背中をぽんと押した。阿哨は泣きそうな目で母親をちらりと見たものの、踵を返すと言われたとおりに走り出した。
楓児はその背中をじっと見守っていたが、やがて涙を拭うと、蒼天斬を拾い上げて森の出口と幼い息子に背を向けた。
穆哨は親子の別れを無言のまま見つめていた。夫婦が命と引き換えに生かした子どもがその後たどった道が、彼らを死に至らしめ、一家を離散させたそれであることを知ったら、冥府の——死境の彼らは何を思うのだろうか。楓児の命運もこの場で尽きてしまうことは火を見るよりも明らかだった。
彼女は蒼天斬を一振りして刃に残る血を払うと、やって来た東鼎会の男たちと対峙した。
「子どもがいねえぞ」
黒服の一人があたりを見回して呟く。先頭の男は楓児に一歩近づくと、
「ガキをどこにやった」
と尋ねた。
「いないわ」
「そんなはずがあるか。ガキをどこにやった?」
「いないものはいないわ。あなたたちに見つけられるものですか」
そう言い放った楓児に黒服の男たちがざわめく。後方に立っていた一人が前に進み出ると、彼女を突き飛ばそうと手を伸ばした――その瞬間、蒼天斬がぎらりと光り、男の腕を斬り落とした。痛みに叫び、逆上して襲いかかった男を楓児は難なく避け、背中から蒼天斬で一突きにする。ゆっくりと倒れ伏す仲間に先頭の男が怒号を発し、後ろに控えている他の男たちが一斉に武器を抜いた。楓児は蒼天斬を肩の高さに構え、ぐっと足を引いて男たちを迎え撃つ。双方が衝突しようとしたまさにそのとき、夜空に赤い狼煙が上がった。
男たちが動きを止め、楓児も空に目線を向ける。しかし、次に視線を戻した彼女が見たのは男たちの下劣な笑みだった。
「残念な知らせだ。あんたの旦那が死んだぜ」
その瞬間、楓児の目が揺らいだ。男たちは互いに顔を見合わせ、勝ち誇ったように笑っている。彼女が神剣を持っており、仲間の一人を早くも手にかけたことはもはや何の関係もないと言わんばかりだ。
「……嘘。嘘よ」
「林大人が俺たちに嘘なんかついてどうなる? あんたの旦那は死んだ。おまけにガキもいねえ。その剣を大人しくこちらに渡せば、あんただけは生かしてやってもいいぜ。少なくとも殺しはしねえ」
先頭の男が笑いながら楓児に近付く。楓児は明らかに狼狽えて後ずさった。居たたまれなくなった穆哨はちらりと呂啼舟を盗み見たが、呂啼舟は顔色一つ変えずに成り行きをじっと注視している。
楓児は剣を持ったままじりじりと後退していたが、不意に右手をひねったかと思うと蒼天斬を先頭の男の腹に突き込んだ。男がくぐもった声で呻き、誰もが反応できずに固まる中、楓児は右手にぐっと力を込めて剣をへし折ってしまった。
「この
楓児こと欧陽楓は一声叫ぶと、手元に残った刃を自らの心窩に深々と突き立てた。鮮血を吐いて崩れ落ち、絶命する彼女を、東鼎会の男たちは成すすべもなく見守ることしかできなかった。
「……続きが見たいか」
呆然と死体の周りに群がる男たちを見ながら呂啼舟が言った。
「断ったらどうするつもりだ」
穆哨が聞き返すと、呂啼舟は
「そのときはお前を目覚めさせよう」
と答える。その顔は満面の憂いを一切崩すことはなく、口調も平坦だ。
「お前、一体何がしたい? 邱明憐が来たときには隠れていたくせに、なぜ俺が一人になると俺の記憶をかき回す?」
穆哨が尋ねても、呂啼舟は黙ったまま答えない。
「お前が恨んでいるのは風天巧なのだろう。お前たちの間に何があったか知らないが、俺は関係ないはずだ」
穆哨がそう言った途端、呂啼舟が初めて眉を吊り上げた。
「関係はある」
怒りの滲んだ声で呂啼舟が唸るように言う。
「お前は私だ。百年もの間探し続けた我が魂の器だ。おまけに何の因果か奴に気に入られている」
呂啼舟は印を結んだ右手を掲げ、穆哨の額に押し当てた。目がくらむほどの頭痛に穆哨は叫び、呂啼舟の右腕を掴んで引き剥がそうとした。しかし呂啼舟の腕はびくともせず、頭の中に暗く重苦しいもやが流れ込んでくる――
穆哨は暗闇の中、すっと目を開いた。頭の中で呂啼舟の声が耳障りに響く。
――答えよ。誰のせいでお前は毒蛇の巣に連れ込まれた。
穆哨の頭にはいくつかの名前が浮かんだ。ひとつはもちろん、穆鋭と欧陽楓を襲い、彼らの命を奪った林氷伶だ。追撃の命令を出した魏龍影もまた間接的とはいえ因果の渦中にはいるだろう。そしてもうひとつは——これは違う。因果を語るにはあまりに間接的すぎると、穆哨は自らの考えを否定した。
だが、名前が思い浮かんだときにはすでに手遅れだった。穆哨の思考は再びもやに覆われ、今度こそ何も分からなくなった。
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