雨をもたらす少女


 かつて、オルカンデはよく栄えた街だった。乾燥地帯において、街が有する大規模なオアシスは、それだけで黄金に勝る財産と言える。


 ラウラスは、代々衛兵を務める家の五男として生を受けた。豊かな水を狙う不届き者は後をたたない。街は常に勇兵を求め、父親や兄たちに続き当然の流れとして、ラウラスも衛兵となった。

 ラウラスが十九の時に父親が死んだ。家督を継ぎ、母親の面倒をみるのは末子のラウラスの役目である。母親と二人きりの生活は穏やかであったが、長くは続かなかった。

 母親の死後、ラウラスは衛兵の職務に明け暮れた。人並み以上に働き、人並み以上の功績をあげた。結婚の話もあったが全て断り、仕事のみに没頭した。兄たちはそれを咎めたが、ラウラスにしてみれば、衛兵の家系に生まれ家督を相続した以上、己のすべきことは衛兵の仕事それのみである。跡取りが必要ならば、兄たちの子をあてがえばよい。

 特別な功労者へ贈られるバッジがいくつ胸に煌めいても、誇らしいとも思わなかった。栄誉など必要ない。美しい水の街オルカンデを護るために生まれてきた。それだけがラウラスの誇りだった。


 彼女に出会ったのは、誰もラウラスに結婚を勧めなくなった頃だ。赤毛に金の瞳。この辺りでは珍しい風貌は、流れの行商人の血が入っているのだと彼女は語った。

 ラウラスは領主の身辺警護を任されるほどに出世しており、一端の衛兵とは異なる職務に就くようになっていた。当時はオルカンデを離れた諜報活動が主で、数人の仲間たちと「雨を降らせる娘」を追っていた。

 雨を降らせる娘――彼女の行く先々では必ず恵みの雨が降るのだという。噂の真偽を確かめるためあちこちを歩き回り、ようやく見付けたのが彼女だった。


 燃えるような赤毛が太陽に眩しく、およそ雨というイメージからは掛け離れた陽気な娘。クユーシャというその娘は、腕に半透明のミトラを抱いていた。

「死にかけていたのを助けたの。そうしたら、私のために雨を降らせてくれるようになって」

 ミトラには、超自然的な力を行使するものがいる。そのミトラは相当な力を持っていた。水を喰い、喰った以上の水を雨として排泄する能力。人か動物にさらわれたのか、乾きにあえいでいたところをクユーシャが拾い上げた。干からびかけているミトラを憐れに思い、貴重な水を分け与えた日、クユーシャの住む村に雨が降ったのだという。

 水をそのまま固めたような身体。大きな頭の下に目玉がひとつ付いていて、身体の下部には触手がいくつも蠢いている。

 クユーシャは、このミトラをシロジムと呼んだ。


「シロジムは、雨の量を制御できるのか?」

「もちろん。もういいわ、シロジム。って私が言ったら、雨を止めてくれるの。お利口さんなのよ」

 褒められたことが分かったのか、シロジムは目を細めて嬉しそうに身体をうねらせた。

「それで……じゃあ、なぜきみは色んな街を訪れるんだ? 村に留まれば、村は水に困ることもなく、水を売って暮らすこともできるだろうに」

 クユーシャは無垢な笑みを浮かべたまま、なぜそんな当然のことを訊くのだろうとでも言いたげに、不思議そうにラウラスを見た。

「だって、雨はみんなが望んでいるでしょう。独り占めしては悪いわ」


 その時、ラウラスは混沌とした感情群に襲われた。好意でもあり、度の過ぎた清純さへの苛立ちでもあった。雨を降らせることができる能力が、乾燥地帯においてどれほどの富を生み出すと思っているのだろう。だが彼女には、そもそも利益を独占するという発想がないのだ。

 何度か会って話をするうちに、その性質は浮き彫りになっていった。育った環境のためか、本来持つ性質のためか……あまりにも純真な娘だった。


 だから――この時系の前後を「だから」という言葉で繋いでもよいものかは分からない。だが――だから、どんな手段を使ってでもクユーシャと雨のミトラを奪取せよとの命令が下っても、ラウラスはどこか非情な冷静さをもって受け入れることができた。オルカンデ領主がクユーシャをめとりたいと申し出たとき――そして、クユーシャが嫌悪をもって求婚を断ったとき、既にこの未来の予測は出来ていた。

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