第38話 遥が、空がはいってきたらとかいったから、雷がきたじゃない

 八月に突入した。

 わたしは、本番の作品を完成させた。あとは写真を撮って美術展に応募するだけだ。だけなんだけど、できあがった作品を前にしても、なにか物足りない気がする。考え込んでしまう。

 空が手伝ってくれた爆発な背景。大人でもない、子供でもない、男ではないけど、女になりきれない、そんな人物。宙に浮いてしまって、いろんな角度から見ることを学んだ。そんなものを全部詰めこんだ。でも、なにかが足りない。

「ねえ、遥。この絵ってさ、なにか足りない気がしない?」

「うーん。雰囲気かな」

「雰囲気かー。どういうこと?」

「あっけらかんとしすぎてるという印象」

「あっけらかんかー。わたしらしい気もする」

「物足りない女、曽根茜」

「ひどい」

 雰囲気。わたしの雰囲気。やっぱり物足りない女なのかな、わたし。

 やっぱりまだ完成じゃない。なにか物足りない作品を美術展に応募なんてできない。

 離れて絵を眺めてみる。

 うーん、わからない。

 どんどん離れる。美術室の壁まできてしまった。

 うーん。

 床を蹴る。

 あっと、もう宙に浮けないんだった。

 しかたない。壁に向かって逆立ちする。

「うおっ、真っ暗だ」

「茜、それはなに?かなりシュールなんだけど。絵にしてくれってこと?」

「なに?いまどうなってるの?」

「足もパンツも丸見え、スカートから手がでてる。ちょっと足開いてみたら?それで股間にサッカーボールでも置いたら面白いかも」

 足を床に戻して四つん這い状態になる。スカートをおろす。はあ、大変だった。

「なにがしたかったの?」

「なんか、逆さ向きに見たらアイデアが見えてくるかと思ったんだけど、真っ暗でなにもわからなかった」

「でしょうね」

 遥がキャンバスを上下ひっくりかえす。

「こうするだけでよかったんじゃない?」

 言われてみればそうなんだけど、そうじゃないんだな。自分が逆さになって見たかったんだな。この気持ち、遥に言ってもわかってもらえないんだろうけど。宙に浮いて過ごしたことのあるわたしにしかわからないだろう。

「まだやる気なのか?」

 わたしはスカートを脱ごうとしていた。

「だってさ、自分が逆さになるとちがうものが見えてくる気がするんだよ」

「じゃあ、ブラウスも脱いだ方がいいぞ。また裾が顔にかかって何も見えなくなるから」

「なるほど」

 スカートを床に落として、ブラウスのボタンに手をかける。

「嘘だよ。へそが見えるくらいで顔まで隠さない」

 げっ、そりゃそうか。ちっ、だまされた。

「わかってるよ、でも、暑いから」

「くだらないことで負けず嫌いだよな。それで失敗に失敗を重ねる。クーラーつけているから、ブラウスは脱ぐな」

「へーい」

 上は脱がなくて済んじゃった。

 あらためて壁に向かって逆立ちする。ブラウスがあがってくる。いや、さがっている。襟がさがってきたのが一番邪魔だった。この角度からはキャンバスが照明で光ってよくみえない。意味がなかった。宙に浮いていた時とちがって頭に血がのぼってくるし。

 ちぇっ。

「ちなみに今三浦がはいってきたらカオスだな」

「ちょっとやめてよ、そんなこというと本当にきちゃうんだから」

「言霊ってやつだな」

 ガタッと音がして、あわてて逆立ちをやめる。しゃがみ込んで床に落としたスカートを引き寄せる。

「あ、ごめん」

 遥がイーゼルを動かしただけだった。誰かきたかと思ったじゃない。

「わざとでしょ」

「まあね」

「遥って、性格いいよね。わたしと友達になれるくらい」

「お褒めにあずかりまして、光栄です」

「褒めてないつもりだけど」

「それは自分もけなしているということになるけど」

「やむをえん」

「すごい。身を切ってわたしを貶めようなんて。政治家に見習ってもらいたいくらいだ」

「ふっ」

「いまのは大いに褒めたつもり」

「どこが!」

 ピカッと一瞬光った。つづいて世界を引き裂かんばかりの轟音がやってくる。

「おう。これは、雷か」

 窓によって空を見上げる。黒い。また光った。

 あ。

 美術室の照明が消えた。

「やだ、停電?」

「みたいだな」

「遥が、空がはいってきたらとかいったから、雷がきたじゃない」

「関係ないだろ」

「そうかな」

 つぎつぎに雷が光っては空間をバリバリと引き裂くような雷鳴が轟く。

 暗い美術室。

 なんか、これはすごいんじゃないかと思う。

 キャンバスの真ん中を残して両側に黒い幕を引いたように絵の具を薄くかさねる。稲光を表現する白と黄色の線をするどく描きこむ。雷の中で、興奮に包まれる。そのうち雨の音がし出す。それにあわせて、黒い幕の上に雨も表現する。雷は遠のいてゆく。

 照明が瞬いて復活した。

 ありゃ?

「遥、どうしよう」

「なに?」

 メンドクサそうな声。それでもキャンバスをのぞいてくれる。

「これは、これで完成なのか?」

「それもだけど、どうしよう上下が」

 遥がさっきキャンバスを上下逆さにイーゼルに置いていたのを忘れて雷と雨を描きこんでしまった。

「どうするんだ、やり直すのか?」

「ううん。どっちを上にしたらいいと思う?」

「そこで悩むんだ」

「やっぱり雷と雨は上から下だよね。うん、これでいいや」

「いいんだ」

「偶然や失敗も含めて作品なんだよ」

「さいですか」

 戦隊もので地面に仕込んだ火薬が爆発したみたいな爆発になったけど、しかたない。人間の部分はもともとどっちが上かわからないようなものだったし。意図したものとは上下逆さなんだけど。背景も、夕方の茜色のはずが、朝焼けになっちゃった。でも、そのほうが景気がいいかもしれない。

「いやー、すげー雷と雨だな」

 空が美術室にはいってきた。瞬間で固まる。

「茜はなんでそんな格好してるんだ?なんかあったのか?」

 わたしはまだ下半身パンツ姿でキャンバスの前に立っていた。

「待て、椅子は投げつけるなよ?いま出てくからな」

 空が廊下に出てドアを閉めた。

 まったく。いや、空だったからよしとしよう。ほかの人じゃなくて幸いだった。

 わたしは、スカートを拾ってはいた。

「空、濡れた?」

 廊下に顔をだす。廊下は窓が開けっぱなしで雨の音が大きい。少し吹き込んでいるみたい。

「いや、雷がきてすぐ引き上げたからほとんど濡れてない」

 窓を閉める。空も手伝ってくれた。

「はいっていいよ」

「おう、いつもありがとな」

 どういう意味のお礼なんだろうか。いつかお返しをくれるんだろうか。

「絵はこれで完成なのか?」

「うん。たぶん」

「たぶんか」

「お盆休みのあと見直してみて完成かどうか決める」

「これ以上手をいれてもわけわからなくなりそうだけどな」

「たしかに」

 遥も同意らしい。わたしもちょっとやりすぎたかなって気はしてるけど。

「一目見ていい絵だとか、きれいだとかってわけじゃないよな。考え込んで共感できるかどうかみたいな」

「へー。空にそんなことがわかるんだ」

「茜のことわかってるからな。というか、まえ説明してただろ」

「そうだっけ」

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