△06▽ オレより兄さんの方が好きなんですか

「……まったく、まさか誠実にまで、お姫様抱っこされるとは思わなかったよ……」


 洗面台に着いた途端、思わずそう漏らすと、


「え……。それって、どういう意味ですか?」

 

 少し、驚いたような顔で誠実に尋ねられた。


「へっ⁉ あ、それは……」

「まさか、兄さんにも……」


「あ……。うん。実は昨日、たまたま灰時にも同じようなことをされたというか……」


「へぇ……」


(あれ……。ひょっとして、誠実怒ってる、のか……?)


 心なしか、声のトーンが下がった気がする。


 誠実は何も言わず、くららを抱えながら器用に化粧台の椅子を洗面台の前に持ってきて、そっとくららを椅子に座らせた。


 そして、真剣な顔でくららに視線を合わせ、見つめる。


「……前から、聞きたかったんですが……。姉さんはやっぱり、オレより兄さんの方が好きなんですか?」


「へっ?」


 予想もしていなかった言葉に、思わず、間の抜けた声が出る。


「……だって、オレは基本的にいつも寮にいるから、こうゆう土日とかじゃないと、家に帰れないし……。でも、兄さんはいつも家で姉さんと一緒にいられるし、しかも同じ大学で、同じバンドで活動もしているから、外でも一緒にいることが多いだろうし……。どう考えたって、オレの方が不利でしょう……?」


 言いながら、誠実は暗い顔で俯く。


「せ、誠実……」


「……オレのことは、本当は同情で付き合ってるだけなんじゃ――」


「違うっ‼」


 くららは、反射的に叫んでいた。


(何を言っているんだ、こいつは……!)


「同情で、半分とはいえ血の繋がった弟と、あんなことできるかっ‼」


 自分なりに、誠実の想いに応えていたつもりだったのに、そんな風に言われると腹が立つ。


「本気で、好きに決まってるだろッ! ただ……おれは、二人とも本気で好きなんだ……。どっちかとか選べないし、同じくらい本当に好きなんだよ……」


 言いながら、少し落ち込んでくる。


(おれ、今、都合のいいことを言っているよな……)


 そうだ。本気で好きといいながら、他の奴も好きだなんてやっぱり間違っている。……こんなことなら、やはり最初から想いに応えるべきではなかったのだ。何度も何度も自分に問いかけていた問題が、再び頭をもたげ始める。


「……ごめん。自分でも最低なこと言ってるって、自覚はあるんだけど……。……やっぱり、ああゆうことは、もうしない方がいいかもしれないな。……二人とは昔みたいに、ただの兄弟きょうだいに――」


「戻れる訳ないじゃないですかっ……! そんなこと、言わないでください……!」


 泣きそうな顔で誠実が叫けぶ。


「でも……」


 言い返そうとしたくららを、誠実がぎゅっと抱きしめた。


「っ……! 誠実……」


「ごめんなさい……。オレは臆病だから、すぐ不安になるんです。でも、ちゃんとオレのこと好きでいてくれるなら、今のままでいいですから……」


「い、いや、でも……」


 言葉を続けようとするが、誠実がくららの言葉を遮る。


「だから……。姉さんがオレのことを好きだっていう、あかしをくれませんか……?」


 そう言って、熱く、揺れるような瞳で見つめられた。


「あ、証? それって、どういう……」


「……その、姉さんから、キス……して欲しいんです……。そしたらオレ、もう不安になったりしないと思いますから……」


 顔を赤くしながら、たどたどしくつぶやく。


「……えぇっ⁉ キ、キスっ……⁉」


「はい……。姉さんがオレのこと、本当に好きだと思ってくれているなら、姉さんからキスして欲しい……」


 誠実の顔は至って真剣だ。そういうことなら、答えは一つに決まっている。


「……分かった。いいよ」

「姉さんっ……!」


 その瞬間、誠実の輝くような笑顔が弾けた。その笑顔に癒されていると、ふと重大なことをくららは思い出した。


「あっ……‼ ちょっ、待って……‼ その前にうがいさせて! あと、顔も洗わせてっ! なっ? おれ寝起きだからさ!」


 完全に忘れていたが、今起きたばかりだった。せめて、うがいと洗顔だけでもしたい。


「オレは別に気にしませんけど……」


「おれが気するんだよ……! いいから、ちょっと待ってろ!」

「はい……」


 誠実はなにか言いたげだったが、とりあえず無視してうがいをし、顔を洗い始める。しばらくして――、


「よ、よしっ! いいぞ! 準備オッケーだ!」


 一通りの作業を終えたくららは、再び誠実の方に顔を向けた。


「は、はい! それじゃあ、お願いします……」


 そう言って、誠実はゆっくりと眼鏡を外し、くららを見つめる。


 その、真っ直ぐで綺麗な瞳に思わずドキッとした。誠実の瞳は、その純粋な心をそのまま映しているようで、本当に綺麗だった。灰時とは対照的なツリ目で大きな瞳は、冷静そうに見えてその実、激しい情熱を秘めている。まだ、幼さの残る顔立ちのはずなのに、最近は大人の男の色気まで出てきたような気がして、正直気が気じゃない。


 そんな瞳に吸い込まれるように、軽く触れるだけのキスをする。


「んっ……」


 しばらくして唇を離すと、誠実は少し不満そうな顔をしていた。


「…………。姉さん……。これだけですか?」


「へっ⁉ これだけって、ちゃんとしただろ……!」


(い、いや、だって、ちゃんと唇にしたし、問題ないだろっ⁉)


 確かに、軽く触れるくらいのキスだったが、誠実を好きだという気持ちは込めたつもりだ。


「……もっと、深いのが欲しい……」


「なっ……⁉」


 ぼそり、とつぶやかれた一言に思わず耳を疑う。


「だめ……ですか……?」


 そんな潤んだ瞳で、しかも上目遣いで見つめられたら……。


(……どうしよう。断れない)


「~~っ! じゃ、じゃあ……、誠実もおれのこと……、くららって名前で呼んで……?」


「……えっ⁉」


 今度は、誠実が驚いた顔でくららを見返す。


 実はこの件に関しては、前々から考えていたことだった。なかなか言う機会がなかったため、先延ばしにしていたのだが……。


「だって、『姉さん』なんて呼ばれてると、本当にいけないことしてる気分になるというか……。いや、してるんだけれどもっ……! えっと、それ以前に……、恋人同士だから……単純に名前で呼んでほしいというか……。あぁ、もう、これ以上言わせるなよっ……!」


(あぁ、やっぱり恥ずかしい‼ 言うんじゃなかったかも……!)


 くららが羞恥しゅうちに震えていると、


「ッ……! う、嬉しいです……。そんなこと言われたらオレ……!」


 誠実が感激したように声を震わせる。そして、


「……っ、く、くらら……! もっと、オレにキスしてください……!」


 たどたどしかったが、初めて名前で呼んでくれた。

 それが、嬉しくて、でも恥ずかしくて。何とも言えない気分になる。


「せ、誠実……! わ、分かったよ……」


 キスして欲しいという誠実の願いを受け入れるのは少し恥ずかしかったが、今は誠実の想いに応えてやりたいと思う気持ちの方がまさっていた。


 だから思い切って、さっきよりもだいぶ深く、誠実に口づける。


「ぅ、んっ……。ふ、はぁ……。んんっ……!」


 誠実も負けじと、深く舌を絡めてきた。こっちも負けまいと応戦するうちに、激しく呼吸が乱れてくる。


「はぁっ、あっ……く、らら……。んっ、す、き……! 好きすぎて、変になりそう……!」


 キスの合間からこぼれる言葉に、体が熱く震える。


「はぁっ……! おれも、好き……。誠実……! ふぁっ、あぁっ……!」


 自分だって気持ちは負けていない。溢れ出る思いを言葉で、態度で示す。その刹那――、


「くらら……!」


 ガタンッ!と大きな音がして椅子が倒れた。気付けばくららは、誠実に押し倒される形で椅子ごと床に倒れていた。


「い、たッ……‼ あっ……!ちょっ⁉ だ、だめ! 誠実、これ以上は……!」


 痛みを感じ、頭をさすっていると、さらに誠実が覆い被さってきた。いつも以上に激しい瞳にやや危機感を感じる。


「やだ……! くららが、欲しい……!」


「⁉ せ、誠実っ……⁉ あっ……!」


 誠実はくららの首元に唇をあて、強く吸い付いてきた。


「んんっ……⁉」


 誠実の動きがいつも以上に積極的で、思わず痛みを感じてしまう。


 くららは、こんな誠実は知らない。


 だけど……、ひょっとしたら、いつもは自分を抑え込んでいただけなのかも知れない。きっと誠実のことだから、いつもどこかで遠慮していたに違いない。でも今は、必死になって、こんなにも自分を求めてくれている。その事実が、素直に嬉しかった。


 だから、くららは誠実を受け入れる覚悟を決め、そっと、背中に腕を回す。


「く、らら……」


 誠実は少し驚いたような顔で名前を呼び、顔を上げ、くららの顔を覗き込んだ。


「誠実……」


 心なしか、その瞳に優しい色が戻ってきた気がする。そんな誠実の頬に、くららが手を伸ばして、触れようとした瞬間――、


「ちょっとっ……! 今大きな音がしたけど、どうしたの⁉ 何事なにごとっ⁉」


 大きな音を聞きつけ、灰時が洗面台までやってきた。

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