第二話 私が兄の代わりに相談に乗らないといけないって変じゃないですか!?

「ここ、ヤバくね?」


 ババアに用意してもらったのは、宿屋の一階に設置してあった酒場の倉庫部屋だった。

 最近冷蔵機能を完備した倉庫部屋を新しく作ったため、この古い倉庫部屋は利用用途が決まっていなかった。


「っていうか臭いな、この部屋……マジでこんなところで仕事すんの? 獣臭いっていうか、色々混ざった匂いがすんだけど」


 古い倉庫部屋は食糧庫だったため、肉や魚、穀物類など様々な匂いがしていた。

 これでも自力で掃除したのだが、壁や床に長らく染みついた匂いは中々消えないものである。


「ずべこべ言わない! どんだけ激しい土下座したか分かってんの! 感謝してほしいぐらいよ!」


 私は地面との摩擦で赤くはれた額を兄に見せつける。

 皮もすりむいており、前髪で何とか隠していた。

 私のようなレディが土下座なんてはしたないことを世間に知られるわけにはいかない。


「お前の寝起きの口臭ぐらいくせえよ、鼻の神経腐りそうだわ」


「く、くくく、臭くないし! 臭くないし! ……臭くないよね?」


 自分の吐息を鼻にあててみる。

 匂いは自分では分からない。無臭だと思うのだが、とりあえず今度から起床時にはすぐに歯を磨くことにしよう。


「一応机と椅子は最低限用意したし、あとは客が来るのを待つだけ! 看板までは用意できなかったけど、チラシを扉に張っておいたし、これで誰か来るはずよ!」


 兄は静かに椅子に座り、思い切り背もたれにもたれこんで、読書を始めた。

 こんな姿勢でずっと座っているから猫背になるのだ。何度注意しても直らない。


「……まあ、誰かは来るだろうな。無料だし」


***


 無料相談という言葉は想像以上にインパクトがあったようで、開業してから少しずつ客が入るようになった。


 冒険者やギルドが様々な金銭トラブルを抱えているというのは事実なようで、「これから海に沈みにいくのですか?」といわんばかりに顔面蒼白な人たちが藁にもすがる思いで扉をノックするのだ。キャンペーン効果てきめんと喜ぶのもつかの間、実際にその相談を請け負っているのが自分の兄であることを忘れていた。

 

 もう数日間ろくな飯にありつけていないと思われる骨と皮だけで生存している男性が、今日も相談に来ていた。


「あの……相談があるのですが」


 神妙な面持ちで兄に相談を持ち掛ける。

 兄はハリー〇ッターよりもぶ厚い本を顔を隠し、読み進めていた。


「んー?」


「……いやちょっと相談がありまして……」


「あー、相談事? それなら、そこの小さくて特徴もない女の子が聞いてくれるんで、そっち行ってくださーい」


「あ、あ、そうですか、失礼しました!」


「ええええええ!?」


 兄は隣で立っている私を指さすと、相談者を私のほうに仕向ける。


 とりあえず、私は相談者の話を聞き、適当に笑顔で相槌をした。

 ここのパーティもギルドの中身もよく分からない私にとって、彼らの相談事を半分も理解できない。


 日本人旅行者が突然アゼルバイジャンに行って、アゼルバイジャンの人々が抱えている悩みを解決してあげましょうと言っているようなものだ。当然ながら私に建設的な意見など出せるわけもない。


 そうなんですか、大変ですね、頑張りましょう。

 これらをいい具合に織り交ぜながら相談者の気分を良くして、帰ってもらう。

 ただ、彼らの懐が温かくなることはない。彼らが太陽のように眩しい笑顔で扉の向こうへ歩いていくたびに、重量級の罪悪感で胸が押しつぶされるようだった。


「お兄ちゃんさ……」


 もちろん酒が出ないキャバクラを作った覚えはない。

 兄の労働姿勢には辟易していた。


「ん? なんだ?」


「……全部の仕事を私に投げるのやめてもらっていい?」


 私は本音をぶちまけることにした。

 これでも宿屋のバイトをしながら、兄の面倒を見ているのだ。兄に金を稼いでもらって別荘が買えるレベルの借金を少しでも減らしてもらう手助けをしてもらいたかったのに、逆に自分の負担を増やしているだけだった。


「だって、やる気起きねえんだもん。俺は面白いと思ったことしかやりたくないの!」


「そんな声高々に言われても……意外とお客さん来てるんだから、いいチャンスじゃん。ここでお兄ちゃんの名前売れれば、結構お金になると思うよ?」


「いや、金にはならねえよ」


「……え?」


 兄は本のページをめくりながら答える。


「無料相談で来ている人たちはほとんど無料だから来ているだけだ。次は有料です、ってなったら来なくなる。第一、ここに来ている奴らは金を持ってないから来てるんだろ? 支払い能力があるわけがない」


「ま、まあそうだけど……」


「さっきのおっさんとか、覚悟が足りないだけだからな。パーティの立ち上げ時に借金をしすぎて、払えそうにもない? パーティメンバーが言うことを聞かない? クエストの報酬が安すぎる? 自分が覚悟決めてその事業を立ち上げるって言ったら、どんなリスクも背負わないとダメだ。あのおっさんはビジネスをなめてる」


「う、うう……」


 先ほどの冒険者にこの兄をぶつけなくてよかったと思った瞬間だった。

 ただでさえここ数日間水と塵しか食ってないと言っていたので、更にメンタルを削られたら、彼は本気で人生をあきらめてしまうかもしれなかった。


 彼の相談に乗っていた私ですら地味にダメージを受けているのだから、張本人である彼が耐えられるはずもない。


「ビジネスは理論だと思われがちだが、それは半分正しくて、半分正解だ。ビジネスを始める時は理論武装して攻め込むのはありだが、最終的にはやる気と根性だ。あのおっさんは始めた以上、やる気と根性を出さないとダメだ。こんなところ来てる場合じゃねえ」


 私は兄が仕事しているのを今まで後ろで見てきた。

 だからこそ、彼の彼の言っていることが単なる精神論ではなく、経験と実績によるものであることを知っていた。


 兄は私の目を見つめる。

 その尖った目つきに、ふいにドキッとしてしまう。


「……コトミ、分かってくれ。俺が相談に乗る以上、適当な客を請け負いたくない。やる気と根性があるやつだけに集中したいんだ」


「お兄ちゃん……!」


 そうだ、この人はあの世界的なシンドウコーポレーションの社長だった人間なのだ。

 無駄なことを省き、本質的なものにだけ全神経を集中させる。それが社長のあるべき姿。


 とりあえず量をこなそうとしていた私の考えが浅はかだったのだ。

 こんなペラペラなスタートダッシュの切り方しかできない私はまだまだ兄の視点からしたら低すぎるのだろう。


 チラシも書き換えよう。

 無料相談も期間限定の予定だったし、丁度よい。


 そう決心して、扉に張ってあるチラシをはがそうと、外に出ようとした瞬間だった。


「えーっと、無料相談の受付ってこちらでしょうか?」


 三角帽子を被った女性が扉をたたく。

 眼鏡をかけ、私とは頭一つ分ぐらい身長が高かった。


 しかも胸がでかい。

 何を食べればあれぐらいの大きさになるんだ。メロンじゃないか。


「いえ、実は無料相談は受付を終了しようと思っていて……」


「コトミ、ちょっと待て」


 私が相談者らしき女性にお断りを入れようとすると、兄が急に止めに入る。

 読んでいた本を横に置き、机の上に手を組む。


 無料相談を受けている間、これほど真剣な兄を見たことがなかった。

 ゴゴゴゴゴ……というジョ〇ョのような地鳴りが兄の背景で鳴り響く中、兄は自分の目の前にある椅子を指さす。


「……彼女には覚悟がありそうだ……座ってもらおう」

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