終わりなき旅路(四)

「――で、お前ら、ぜんぶでいくら使ってきたンだ」


 鬼の副長の二つ名をもつ土方も、さすがに今回ばかりは呆れた。胡坐をかいた膝に肘をたて、目頭をもみほぐしながら、うんざりとした声音を弱くもらした。

 雁首をそろえて正面に座っているのは二人。

 新八と斎藤一だ。

 傍から見れば、さながら悪童が親からいたずらを叱られているようにも見えるであろうか。二人とも殊勝に正座こそしているが、どちらも反省していない。してやったりと笑いをこらえている顔だ。

 じつは昨晩、斎藤の組も新八とおなじことをした。

 吉原で二泊三日の流連をして朝帰り――いや、昼帰りをしたので、二人は戻るなり土方から呼び出された仕儀である。

 斎藤が小声でたずねた。


「ガムシンさん、そちらはいくら使ったのですか」

「ざっと百両といったところ」

「おおッ、奇遇でござる。こちらもきっちり百両でした」


 やいなや、土方が畳を叩いて雷を落とした。


「奇遇でござるじゃァねェンだよッ。いいか。あの金子はな、俺も忙しくて行ったり来たりだったから、手前らに悪ィなと思って二月いっぱいもたすつもりで渡してやったンだ。それにもかかわらずだ、たった二晩でつり銭もなくきっちりと使いきって帰ってくるとは、いったいどういう了見だ、やいッ」


 新八と斎藤はいかにも不思議そうにして、首を傾げながら顔を見合わせた。

 あきらかにしらばっくれている顔だ。


「はて、そうだったのですか、ガムシンさん」

「さァな。いま初めて承った」

「てっきり私は、これから我らが江戸で活動をするため、市中に新撰組の羽振りのよさを示して人身をつかんでこいということかと解釈しておりました」

「然様。俺もそうであろうとばかり。だがこれは、ちゃんと伝えなかった土方さんが悪い」


 土方は「ああ……」と唸って胸元をかきむしり、苛立ちをあらわにさす。


「あいかわらず手前らは、ああ言えばこう言う。こう言えばああ言うだ。ちっとは上から下から面倒臭ぇことを言われる俺の身にもなってくれねェか。だいたいにして新八、その目の下の傷はなンだよ」

「あァ、はは、これですか。深川で盛りのついた野良猫にうっかり襲われまして、エヘヘ、まいりました」

「エヘヘ、じゃねぇ。違うだろう。こっちは上役から話がまわってきてネタはとうに上がってンだよ。やい、耳の穴をかっぽじってよく聞きやがれ。もはや新撰組と手前たちは軽い身体ではねぇンだ。ちかく上様が上野寛永寺で恭順謹慎をなされるとの由、その警衛の話だってある。それをなンだ。迂闊にも江戸の市中で斬りあいに及ぶとは、自覚なしにもほどがあるだろう」


 色白な土方の顔が、みるみる怒りで真っ赤に染まってゆく。

 新八と斎藤は目を合わせて「来ますよ」「あァ、来るな」と、笑いをこらえるので必死だった。

 土方の甲高い大音声が屋敷中に響きわたる。


「自重さっしゃいッ――」


 他の部屋でごろ寝をしていた隊士たちは一斉に跳ね起きて、呆気にとられて四方を見た。

 とは言っても、土方自身もよく知っている。

 命知らずの隊士たちは、余計なことを考えない。

 否、がむしゃらな覚悟を定めているからこそ考える必要がない。当世、細々とものを考え出せばきりがない。

 ただただ迷いになる。

 迷いは躊躇となり、躊躇は恐怖をよび、恐怖は無様な横死につながる。

 生き残っている者たちは、それを身に沁みて心得ているのだ。

 まだまだ言いたいことは山ほどあったが、土方は言葉を飲み込んで犬でも追い払うかのように手の甲であおった。


「わかったならちったぁ反省しろ。もういいぞ。部屋へ戻ってくれ」

「はいはい、深く反省いたします」

「返事は一度でいい」

「はァい」

「チッ……この」


 廊下を走って逃げてゆく新八と斎藤の背を見送って、土方はやれやれと嘆息する。


「俺の気苦労はまだまだ続きがありそうだな。本当に、仕方のねぇ奴らだ……」


 乾いた笑いを漏らした。

 外を見やれば、廊下にうららかな昼の春陽が差し込んでいる。

 開けはなった障子戸のむこうに見えた庭先に、早咲きをした梅が一輪、細い枝の先端で、鮮やかな花を小さく揺らしていた。

 さきがけて咲く花の色とは、人の目と心をひきつけるものだ。

 ふと土方は、声にならないまでの呟きを唇でなぞる。


「梅の花 一輪咲ても うめはうめ――うむ、フフ……フフフフフ、これはいい、実にいいな」


 周りに誰も人がいないことを確かめたあと、懐から使い古しの帳面と筆を取りだした。

 そして奇妙な笑い声を一人で漏らしながら、渾身の一句をしたためるのだった。

 その梅の花、一輪。

 色よくさきがけて孤高に咲き、庭にかぐわしい香りを漂わせ、春の訪れを告げていた。

 

 

 松平肥後守御預新撰組発頭人十三人左の如し

 

 常陸国水戸郡芹沢村郷士文武研究剣術神道無念流戸ヶ崎熊太郎門人師範役新撰組巨魁隊長下村継次改芹沢鴨

 常陸国水戸脱藩文武研究所剣術神道無念流岡田助右衛門門人免許新撰組隊長新見錦

 関東浪士文武研究所剣術天然理心流近藤周助門人師範役新撰組隊長宮川勝太改近藤勇

 陸奥国仙台脱藩文武研究所剣術北辰一刀流千葉周作門人免許新撰組隊長山南敬輔

 関東浪士文武研究所剣術天然理心流近藤勇門人目録新撰組隊長土方歳三

 陸奥国白川脱藩剣術天然理心流近藤勇門人免許新撰組副長助勤沖田総司

 蝦夷松前脱藩剣術神道無念流岡田十松門人免許新撰組副長助勤永倉新八改杉村義衛

 関東浪士藤堂和泉守落胤文武研究所剣術北辰一刀流千葉周作門人目録新撰組副長助勤藤堂平輔

 伊予国松山脱藩槍術種田宝蔵院谷三十郎門人免許新撰組副長助勤原田左之助

 関東浪士文武研究所剣術天然理心流近藤勇門人目録新撰組副長助勤井上源三郎

 播磨国姫路脱藩剣術文武研究所神道無念流斎藤弥九郎門人免許新撰組副長助勤平山五郎

 常陸国水戸脱藩剣術文武研究所神道無念流百合本升三門人目録新撰組副長助勤野口健司

 常陸国水戸脱藩剣術神道無念流下村継次門人目録新撰組副長助勤平間重助

 

  明治三十七年十月於北海道福山   杉村義衛 識

 

 

 六十五歳をむかえた永倉新八――杉村義衛は、腰を伸ばしながら長い溜め息を漏らして筆を置いた。

 近ごろは目がずいぶんと衰えてきた。文字の読み書きがおっくうになって仕方がない。

 だが剣術となれば別だ。

 ひとたび道場に踏み入れれば、曲がった腰がピンと伸びる。

 視界が明瞭至極となって剣気をとらえる。

 六十を超えてもなお、大学剣撃部の学生たちに稽古をつけてやったこともあるが、いまだに壮健な若者たちをまえにしても遅れをとることはなく、竹刀にも触れさせない。彼らのほうから「先生、休ませてください」と泣き言があがるほどだ。

 義衛は見た目こそ老いたが、魂の奥底に棲むがむしゃ者のガムシンは、いまだ健在。京市中で名を轟かせ、戊辰の役を駆け回ったあの頃のままでいる。

 目下、義衛のおもちゃは孫だ。ありがたいことに男子を授かって二歳になる。いずれ神道無念流の真髄を叩き込まなければならないから、まだまだ耄碌してはいられぬと気張っている。

 家のどこかで、元気な泣き声がした。

 歩くようになった孫が、また躓いて転んだか何かをして泣いているのだろう。義娘のあやす声が聞こえた。

 男子はそれぐらいで丁度よい。

 這えば立て、立てば歩め、歩めば駆けろだ。

 所詮は短い今生だ。

 まわり道をしている暇など、どこにあろうものか。

 まっすぐに。

 ただひたすらまっすぐに駆けよ。

 たまに怪我をするもよし。鉄砲弾や刀槍を身にあびることもあるであろう。

 それでも武家の男子として生まれついたからには、何ごとにおいても魁となりて、残香をもって存在を示せ。


「しかしそれももはや、時代遅れであろうか。日本と江戸は変わった。人も変わった。あの頃の壮士たちは、はたしてどこへ消えたものか……」


 義衛は一人で苦笑いをして、ゆっくりと瞑目する。

 静寂のなかに耳をすました。

 すると耳朶の奥底から、濃密な時をともに駆けた同志たちの勇ましき声が聴こえる。

 芹沢、近藤、土方などなど数々の懐かしい横顔がよぎった。


「壬生浪士組であるッ――」

「御用検めだ、新撰組であるッ――」

「会津候御預新撰組であるッ――」

「われら皇国の守護者、新撰組であるッ――」 


 時は夢の如く流れ、名は燦然と輝きを増す。

 後世、新撰組の名はますます強き一点の光を放ち、眩しすぎた彼らの生きざまは未だに輪郭がおぼろげであるが、だからこそ人心を魅了してやまない。

 

 

【がむしゃ者 幕末新撰組永倉新八異聞――了】

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がむしゃ者 幕末新撰組永倉新八異聞 葉城野新八 @sangaimatsuyoshinao

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