霜雪に咲く早梅(二)

 芹沢が先に帰ったのち、新八らは角屋にのこって酒を飲みつづけた。

 芸妓たちはとっくに引きあげているが、隊士たちは足腰が立たなくなるほど酔ってもなお、にぎやかに盃をあおっていた。

 日は暮れた。

 ますます雨足がひどくなってきて、路上の土と建物の屋根を轟々と叩く。


「力さん、斎藤、雨がひどくなってきた。そろそろ帰ろうか」

「なんのなんの、夜はまだまだこれからですぞ。多くの隊士たちもおりますれば。奴らはまだ飲み足りない様子にて」

「しかし……」

「あいや、しばらく、いましばらくだけでも」


と粘って帰ろうとしてくれない。

 新八はやれやれと溜め息をついて、島田の盃に酌をしてやる。

 結局、その日は角屋で夜を明かすことになった。

 大広間では大雨で閉じ込められて帰られなくなった隊士たちが三十人ばかり、雑魚寝をした。

 そして東の空が、裾からうっすらと紫色に明るくなったころ。

 新八は窓際にもたれかかり、日の出を待っていた。

 雨はすっかり上がり、空は澄みわたっている。

 無邪気な小鳥の泣き声が、静まりかえった島原の街に響く。

 そこへ眠りから覚めた野口がやってきた。

 狭い窓辺で、新八と肩を寄せて眺める。


「美しいですね」

「然様」

「あの日の出の勢いは、まるで新撰組のよう。これからが何が待っているのでしょう。楽しみで腕が鳴ります」

「うむ」

「下村さん――あいや、芹沢隊長と京に来て本当によかった。実のところ、私はひとりっこでした。ゆえに親から過保護に育てられたもので、それがありがたくもあり、ときに疎ましくさえあり。しかも元服をすれば、窮屈な御家中勤めとなるさだめ。そのまえに、もっと世の中のことを知りたくなりました。だから両親にわがままを言って、国許から出てきたのです」

「その気持ちは、よくわかる」


 野口の身のうえ話は、まるで新八そのものだった。

 もしかすると芹沢という男の背は、そうした冒険の先へ連れて行ってくれそうな魅力をもっているのかも知れない。

 すると、その時だった。


「新さん、野口君……」


 うしろから島田が、消え入りそうな声音で二人を呼ぶ。

 振り返ってみると、憂いげな表情で俯く島田と斎藤が、ならんで座っていた。


「どうした、力さん、斎藤。深刻そうな顔をして」

「…………」

「何かあったのか」

「…………」


 島田と斎藤はそろって両手をつき、畳に額をこすりつけて平伏した。

 そのまま力のない声を漏らす。


「新さん、野口くん……誠に、誠に申し訳ございませぬッ」


 新八と野口はたがいの顔をみあわせ、小首を傾げた。

 この二人から謝られるような心あたりはまったくない。むしろいつも世話になってばかりいるから、頭をさげたいのはこちらのほうだ。


「なんだよ、力さん、斎藤。何を謝っているのか、それではわからぬ。何かあったのか」

「……ありました」

「いや、とんだ戯言を。今宵、二人はずっと我らと共にあったではないか」

「なればこそ、なればこそなのです……。我ができることといえば、これしかござりませなんだ。すべてはお二人の身を皆で案じてのこと。どうか、どうかお許しくだされ」


 ますますわからない。


「もう戯言はやめてくれ。さァ、まずは顔を上げたらどうだ」


 新八は島田の肩に手をかけ、引き起こそうとした。


「――芹沢隊長です」

「え」

「芹沢隊長のことですッ」

「はて、芹沢隊長がいかがした」


 筋骨たくましい山のような背が振るえ、平伏したまますすり泣く音が聞こえてきた。

 ふたたび新八は野口と目を合わせる。

 嫌な予感がはしった。

 とても嫌な気配が背を襲ってきて、胸がざわめいて止まらなくなる。


「おい、どうしたんだ力さん。なぜ涙するのか。教えてくれ。芹沢隊長に何があったのか」

「おそらく、芹沢隊長はもう……」


 やいなや、新八と野口は大広間を飛びだしていた。

 階下へ転がるように駆けおり、預けていた刀をつかみ取り、そのまま無我夢中で壬生へ駆けた。


「これはしたり、いけないッ……」


 島田は二番隊の面々を叩き起こし、斎藤とともに後から必死に追いかける。

 いかんせん、寝起きに走らされた隊士たちは眩暈をおこして倒れ、あるいは道端で飲みすぎた酒を嘔吐して次々と脱落してゆく。

 神道無念流の荒稽古で鍛えられた新八と野口は、足が速くて持久力があった。どんどん、どんどん島田と斎藤の視界から遠ざかってゆく。

 やがて、新八と野口は壬生にたどり付いた。

 新徳寺のまえをすぎ、右へ這うように折れる。

 右手向こうに八木邸が見えた。

 新撰組の隊士たちが集まり、なにやら朝から騒がしい。

 これはきっと、ただごとではない。

 二人は足を止め、うなずき合い、意を決してゆっくりと近づいた。

 路上で土方がなにごとかの指揮をとり、隊士たちを動かしている姿が見える。


「トシさん……」

「………」

「朝早くから何ごとでしょう」

「……新八、野口君。戻ってきたのか」

「はて。我らが戻ったら、何か都合が悪いことでもございましたか」


 新八の声音は、いつになく低い。

 地の底からわきあがる憤怒を、その身に宿しはじめていた。

 野口はヒヤリとした新八の殺気を肌に浴び、恐くなって二歩、三歩とよろめいて引きさがった。


「トシさん、教えてくださいよ。何があったのです。ここで。ゆうべ」


 土方は目を細め、新八を見返す。

 警戒している仕草だ。

 つまり土方は、新八を警戒をしなければならない心当たりがあるということでもある。


「――実はな、今朝がた夜明けまえ。長州の浪士どもが八木邸を襲撃した」

「ほう、長州の……浪士。それで」

「平山君とお梅さん、そして――」

「そして」

「――芹沢隊長がやられてしまった」

「…………」


 野口は呆然自失となり、その場にへたりこむ。

 いっぽう新八は、ピクリとも反応を起こさないままでいた。

 双眸に青白い光を宿し、土方を睨みつける。


「ところで、八木邸の皆さまはご無事ですか。闇夜で賊の襲撃を受けたとなれば、無差別になるのは必定。とうてい無傷ではすまなかったでしょう。何人お亡くなりになりましたか」

「…………」

「撫で斬りですか」

「……八木さんたちは皆ご無事であるが、勇坊ゆうぼうの足に、浅い刀傷がついた」

「なんと、それだけですか」

「ああ、不幸中の幸いともいえる。それだけだ」


 突として、新八は素早い動作で腰を割り、刀の柄に手をかけた。

 鯉口を切る。

 それを後ろから見ていた野口は、虚ろな意識のなか、新八の背がまるで芹沢の姿に思えた。

 新八の怒声が通りに響く。


「おのれ天然理心流。土方歳三ッ。わが神道無念流になんの恨みあっての狼藉かァッ」


 周囲にあった隊士たちは驚き、遠巻きに二人を見る。


「――恨み、だと。そんなものはない。芹沢隊長をはじめ、平山君と新八には謝意と敬意こそあれ、憎く思う気持ちなど微塵もない」

「性懲りもなく調子のよいことを言う。抜けッ。刀を抜いて果たし合え」


 土方は嘆息して頭を振った。


「いいかげんにしてくれ。抜くわけがないだろう。新八と果たし合ったら、命がいくつあっても足りないではないか」

「なにを卑怯者めッ」


 めずらしく土方は声を荒げ、両腕を動かして訴えた。

 

「ああ、そうだそうだ。卑怯者で結構ッ。俺は武家ではないから何と言われようが、これっぽっちも気にはしない。だがな、待ってくれ。他にどうすることもできなかったのだ」


 島田が角屋で言っていた「これしかなかった」という言葉と重なる。

 体に充満していた憤怒の炎が、行き場もなく急激に鎮まってゆくのを感じた。

 それから新八は刀を抜けなくなるほど、肩と全身から力を失って行く。

 刀の柄から手を滑り落とした。


「――たのむ、新八。まずは話を聞いてくれ。野口君も新徳寺へきたまえ。仕儀のいっさいすべてを話す。それでもまだ俺を斬りたければ、いいさ、好きにしたらいい」

「…………」


 土方は無防備のまま、横を通り過ぎてゆく。


「芹沢隊長から、新八へのご遺言を承っている。聞かなければ後悔することになるぞ」


 憔悴しきった新八と野口は、覚束無い足取りで土方を追った。

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