壬生狼たち(二)

 するとまたしても、向こうから角力取りがやってくる。

 先刻と同様に道をあけなかったので、こんどは皆で取り押さえてねじ伏せた。

 芹沢は馬乗りになって脇差を胸元にかざし、低く太い声音を響かせる。


「つい先刻も一人斬り捨ててきたところ。お前もそうなりたいか。武士にむかって無礼なまねをするとは言語道断であろう。この場は大目に見てやるから、角力取りの一同へ武士に無礼するなと伝えよ。よいな」

「ひぃッ……は、はい。必ずや」


 その夕方。

 斎藤一が何かで食あたりを起こして腹が下って痛いというので、住吉屋という遊郭へ登楼し、酒を飲みながら涼んでいた。

 雲間の夜空が群青色に澄んでいて、煌煌と月が照る美しい夕べだった。


「あれ、何だろうか」


 ふと気がつくと、にわかに外が騒がしくなっている。

 祭りのような明るい賑やかさではない。大勢の男たちが罵声を発する声と、不穏な空気が障子越しに伝わってくる。

 次は楼の建物がドシンドシンと地震のように揺れた。


「地震かッ」

「どうした、何事か」


 障子戸を開けて階下を見渡せば、諸肌をさらした仁王のような角力取りが通りにびっしりといて、太い八角棒を肩に乗せて楼を囲っている。五十、いや、六十人もいるだろうか。

 玄関先で楼主と押し問答をしていた。


「おいッ、あの浪人どもを出せ。有無を言わば楼もろとも叩き壊すぞッ」

「ど、どうか、お止めください」

「ええい、構わぬッ。打ち殺したれ」


 芹沢は片足を窓枠に乗せ、月光を横顔に浴びてニヤリと嗤い、足下の角力衆を睥睨した。

 薄暗がりのなか、双眸が針先のように青白く光る。


「懲りぬ奴らめ。またしても武士に無礼をいたすつもりか。引き取らぬとあらば、遠慮なく片っ端から斬り捨てるがよいかァッ」


 雷のような大音声が、たそがれ時の大坂に響きわたった。

 多勢をたのんだ角力取りたちは我を忘れ、さらに挑発してくる。


「なにを痩せ浪人」

「今すぐ出てこい」

「それ、打ち殺したれッ」


 次の瞬間。

 芹沢がとった行動に、敵ばかりでなく壬生浪士組の面々も虚をつかれて「あッ……」と驚いた。

 なんと、月が浮く夜空に巨体をヒラリと投げ出し、単身で真っ先に飛び降りてしまったのである。酒を飲んで酔っていたにもかかわらず、意外なほど身軽にフワリと音もたてずに着地すると、立ち上がりざま脇差を真横に抜刀して早速一人を斬り伏せてしまった。

 刀身に月光がたまり、残光で弧を描く。

 なぜか新八は、その後ろ姿が美しくすら思えた。


「それッ、隊長に怪我さすな」

「「応ッ」」


 山南敬助、沖田総司、平山五郎、島田、新八と他の隊士たちも飛び降りて抜刀する。


「果し合いだ」

「喧嘩やッ」


 野次馬たちが遠巻きに人垣をつくるなか、双方入り乱れて大乱闘に突入した。

 壬生浪士組の面々は刀や脇差をまわし、角力取りを次々と斬り捨ててゆく。

 平山は胸を棒で打たれたが、何するものぞとすぐに立ち上がって斬りこむ。

 沖田は頭を打たれたが、気にしたふうもなく燕が旋回するように刀を躍動させる。

 山南は逃げて行く者を片っ端から容赦なく追撃した。

 新八は島田と呼吸をあわせ、手際よく斬り捨てて進む。

 厠にこもっていた斎藤は出遅れたが、あわてて褌を直しながら玄関口から出てきた。

 人並みはずれた屈強な体をもつ角力取りとはいえ、この時ばかりは相手が悪かったと諦めるほかない。総崩れとなって逃げ散るまで、そんなに時間はかからなかった。

 さっそく旅宿へ戻った芹沢は、まず近藤にことの顛末を報せ、抜け目なく大坂奉行まで届け出た。

 その内容は巧妙だ。

 届出を受理さすため、敵が誰であったのかは知らないことにする。


「何者とも知れぬ五十、六十人あまりが徒党を組み、理不尽な喧嘩をしかけてきたる由、やむなく市中で斬り合いとなってしまい申した。あちらの即死は五人ほど、手負いは二十から三十人も出たであろうかと存ずる。ふたたび報復に押し寄せてくることあらば、ことごとく斬り捨つる所存にて、予めご承知おき願いたい。――さてそれにしても、大坂市中も京と変わらず不穏なことにて皆様も難儀で御座りましょう。しかし我らが来れば大丈夫。万事お任せくだされ」


 新八は笑いを押し殺すので必死だった。

 ほどなくして角力取り側の年寄衆も奉行所へ訴えでたが、役人は首を横に振る。


「その相手と申すは京都壬生浪士組の人々である。いやしくも武士に対し喧嘩を仕掛けるとは無礼千万。不届き至極。無礼打ちにさるるは当然でよんどころもあるまい」

「えッ……そ、そんな殺生な。お待ちくださいませッ……」


 むしろ懇懇と厳しく注意のうえ返された。

 じつのところ翌日は角力興行の初日だったから、年寄衆にとってみれば斬られ損でしかない。

 意気消沈した年寄衆は、仕方なく金五十両と酒たずさえて壬生浪士組の旅宿まで足を運ぶ。そろって平伏し、丁重に侘びを入れてきた。

 素直に非をみとめて詫びてくる者には、名誉をそこねず立ててやるのが水戸っぽの気風である。

 芹沢も、


「承知した。遺恨持ち同士の喧嘩にもあらず、これで手打ちと致そうではないか」


と機嫌を直し、騒動は落着したのだった。

 ひとつだけ遺憾だったのは、次の発作をもよおした斎藤が厠までもたなかったことぐらいだったろうか。

 さっきから島田が面白おかしく話すので、佳紫久と紅梅も愉快げに笑っている。


「いやはや、あの時は私の切っ先が新さんの腕に当たってしまいまして。申し訳ございませんでした」

「なァに、あれは掠り傷だ。まったく痛くなかったから構わぬ」


 島田が庭先の早梅を見て、目をほそめて言う。


「――さりとて後にして思えば、ああしている頃が楽しかった。いつしか我らは時の辻の真ん中に立っていて、それからはいったい何がなにやら」

「うむ、然様であったな」

「当時はまさか先の大樹様が若くして身罷られるとは誰も思ってはおりませんでした。よもやあの一橋様が将軍様になるとは……いやはや。当時の我らに聞かせたらひっくり返って驚いたはず。我らが京へ入ってからこのかた、時の辻はめぐりが早すぎました」


 新八は「然り」と頷き、盃を飲み干す。

 

「なればこそ我らは時流に追い越されぬよう、脇目も振らずがむしゃらにまっすぐ駆けるのみ。そうでなければ芹沢さんや平助、先に逝った隊士たちが報われぬ。またそうでなければ、我らは新撰組を名乗れぬ」


 薄雪化粧のなかに咲く早梅が、笑っているかのように微風で小さく揺れていた。

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