第三章13 『希望の羽』

 トウフウはあしを見やり、筆を持った手をそっと包んできた。

「継愛。あんたなら、青龍を闇の力から解き放つことができるかもしれない」

「あしなら……?」

 彼女は大きくうなずいた。


「継愛と青龍が書契すれば、我に返る可能性があると思うの」

「おい、書契ってのは、人間が一方的に神を使役する仕組みじゃねえのか?」

「あたしにはそういうのはよくわかんないけど……、ただ、感じたのよ」

 左胸をそっと押さえて、トウフウは語る。


「継愛と書契した時、胸の奥がすごくあっつくなって、とっても気持ちよかったの」

 なぜかほんのり頬を染めて、嬉しそうに語るトウフウ。

 スサノオが若干白い目になって言う。

「……今は夜の話はしてないぞ?」

「いや、今の話はただ単にトウフウが助兵衛(すけべえ)だから、というわけではない」


 真面目な表情でシナモンが割って入ってくる。

「我ももなかの御霊(みたま)と入れ替わった時に感じた。書契の瞬間というのは、得も言われぬ多幸感がある。それはもしやすると、闇の力を凌駕しうるかもしれん」

「……そうか。わかった、俺様もその策に協力しよう」

「ちょーっと、待ちなさいよ! なんであたしの時は信じないのに、初対面のシナモンの話はすんなり受け入れてんのよ!?」

「お前のバカさ加減は、イヤってほどわかってるからな」

「むっきー、腹立つー!!」


 ぷんすか湯気を立てとるトウフウはひとまず置いておき、あしはスサノオに訊いた。

「……ええのか?」

「何がだよ?」

「おまん、人間のことも……文字のことも嫌いじゃろう。なのに、あしが青龍と書契することに協力して……」


「ったく。お前さ、本当にトウフウとお似合いだぜ」

「……どういうことじゃ?」

「バカ同士って意味でだよっ」

「いでっ……」

 スサノオはあしの背をバンッと思いきし叩いて言うた。


「もしも継愛のことを信頼してなかったら、今まで一緒にいたわけねえだろうがっ。この鈍感ニブチン野郎がよ!」

「いだっ! 今、ただでさえ体にガタが来とるんじゃから、ちっとは手加減せい!!」

「ったく、この程度で弱音吐いてんじゃねえよ! お前は俺様に勝って、しかも敵討ちまでしたんだぜ! もっとどんと胸を張って構えてろってんだ!!」

「胸を張って痛みが緩和されるわけじゃないぜよ!」


「あーもうっ、二人でじゃれ合ってんじゃないわよ! ってかスサノオ、あたしの継愛から離れなさいよ!!」

「あしはトウフウのもんじゃないと言うちょるじゃろうが……」

 場がひとまず落ち着いたところで、シナモンが口火を切った。


「皆には、我の策に従ってもらおうと思う」

「お前の言う通りにしたら、上手くいくってのか?」

「おそらく。ただ一つ、懸念事項がある」

「なんだよ?」


 シナモンは周囲を眺めやり、眉間に皺を寄せて言うた。

「天狗の輩が皆逃げ出して、空を飛ぶ手段がないということだ」

「空って、どういうことよ?」

「正確には、青龍の傍まで移動する手段である。そこまで継愛を連れていくためのいわば運搬役である」


 シナモンの説明に皆納得した表情を浮かべるが、だが理解できたところで問題が解決できるわけではない。

「さすがの俺様も飛行はできねえ」

 神も妖怪も、今高台におる者以外は皆逃げ出してしまっていた。

 翼がある者など、誰一人、一柱として残っとらん。

 会議が暗礁に乗り上げて停滞しかけた、その時。


「……あたしが、やる」

 すっと手を上げて、トウフウが名乗り出た。

 場にいる誰もが、驚きだったり怪訝な思いを示す表情を浮かべる。

「お前、吹き飛ばすことはできても、飛べはしないんじゃねーか?」

「やるわよ、やってやるわ!」

「根拠を提示することは可能であるか?」

「できるっ、そう心が言ってるの!」


 胸をどんと叩いて自信満々に言うトウフウ。

 場の雰囲気が疑念で占められるが、それをあしは一言で吹っ飛ばした。

「わかった。あしの翼はおまんに任せるぜよ」

「ちょっ、おいおいっ、正気かよ?」

「別の手段を探した方がいいと、我は提案する」


「そんな時間はないじゃろう。それにトウフウができると言うとるんじゃ。あしはそれを信じてやりたい」

「……理解できんな。そなたとトウフウは、そこまで長い付き合いでもあるまいに」

「だから、時間は関係ないって言ってるじゃない……」

「いや、あるやもしれん」


 あしはそっと、トウフウの背に手を置いて言うた。

「トウフウは出会った日からずっと、あしの魂を背おうてくれてたんじゃ。そんな魂約者ができる言うちょるんじゃから、信じんわけにはいかんじゃろ」

「~~~っ、継愛ッ!」

 がばっと抱き着かれ、危うくあしは態勢を崩しかける。


「ちょっ、毎度毎度ひっつくなや!」

「だって、だって嬉しいんだもん! こうするしかないじゃない!!」

「嬉しいからって抱き着いとったら、それは病気じゃろ!?」


 二人で押したり抱き着いたりの応酬を繰り広げていると、スサノオともなかの白い目が突き刺さってきた。

「……こういうのを夫婦漫才というのであろうか」

「かもな。いっそのこと爆発しちまえばいいんじゃねーかって思うぜ」

「おまん等、見物しとらんでこいたぁどうにかしてくれんか!?」

「我は馬に蹴られたくないのでな」

「同感だ。死ぬまでやっててくれ」

「は、はよう青龍もどうにかせんといかんじゃろ!?」


「しゃーねーな。おいっ、トウフウ。いい加減離れろよ」

「くぅっ、こうして運命が二人を分かつってことね……!」

「いや、俺様は運命の女神じゃねーから。ってか、抱き着いていたかったならとっとと青龍のところまでひとっ跳びしてりゃあよかっただろ」


「だって、雨降ってるし。仮に天狗がいても、この状況じゃ翼が濡れて空を飛ぶなんて無理なんじゃない?」

「そうか。この雨もどうにかしなきゃなんねえってことか」

「それは我に任せよ」


 シナモンが手を真っ直ぐ上に向かって伸ばし、そこに風を発生させる。

 最初はそよ風程度だったが徐々に風速が増していき、範囲を縦へ縦へと伸ばしていく。

「……これは、俺様が最初に継愛達と戦った時の……」

「旋風、じゃな」


 あしが呟いたちょうどその時、渦巻く風は天井近くの雲を突き刺し、その直径の何倍もの大きな穴をこじ開けた。その際に凄まじい旋風は、照明器具などもまとめて破壊してしまった。じゃけんど青龍の居場所は眼光でわかるし、問題ないじゃろう。


「おおっ、スゲーなお前!」

「まあな。だがこれは一時しのぎに過ぎん」

「早めに決着をつけんといけんっちゅうことじゃな。トウフウ!」

「ええ、任せて!」


 トウフウは閉じていた扇子を開き、はためかせる。

「風の繭!」

 彼女の周囲を包み込むように、風が発生する。間近にいたあし等は吹き飛ばされんように踏ん張って立たねばならんかった。

 すぐにトウフウはもう一度扇子を躍らせ、高らかに宣言する。


「からの、風の羽!」

 すると風の範囲はみるみる狭まっていき、その小さな背中に収束した。

 目に見える、空間を油で滲ませたような羽。

 それを一度羽ばたかせると、トウフウの体は宙に持ちあがった。

「おおっ、ちゃんと飛んでるのう!」

「ふふーん。あたしはやればできる子なのよ」


「だがそなた、その華奢な体で継愛のことを持ち上げられるのか?」

「……あっ」

 トウフウは目を丸くし、自分とあしを交互に見やり、笑みを強張らせていった。

「ど、どうしよう……」

「いつもみたいに書で力を蓄えればいいだろうが」

「じゃけんど、そのための明かりと紙が今は……」


『ご安心ください』

 感情の抜け落ちた、無機質な声。

 見やると、そこには絵魔保で口元を隠した女性……。

「み、美甘?」

「なんであんた、逃げてないのよ!?」

『いざとなったら、お助けできればと』

「美甘のお嬢、神でも書字者でもないお前がいても……」


『ただの人間でも、少しばかりは助力できると思いますよ?』

 絵魔保がすっと肩の辺りまで手を上げると、途端に直線的な光が天井に向かって幾本も伸びていった。

「なっ、なんじゃ……?」

『西洋から取り寄せた、直射式照明器具だそうです。あれなら、天井を照らすことも可能だそうですよ』

「天井……あっ!?」


 見上げると、そこにはあった。

 あしがついさっき書いたばかりの、特大の文字。

「……魂」

 途端、トウフウの体から急速に赤い光が立ち上り始める。

『ね? 役に立ったでしょう』

「……おうっ、おおきにな!」


 あしは美甘が微笑んでうなずくのを見やってから、トウフウの方を向いた。

「……行くか、トウフウ!」

「ええ。青龍を救ってやりましょう!」

 トウフウが俺の腰の辺りをつかみ、軽々と持ち上げ、空に舞い上がった。

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