第三章8 『励まし』

 控え室であしとトウフウは待機しちょった。

 二人きりになってから、まったく会話がなかった。

 あしが押し黙ってるせいじゃ。

 とんでもないことをしてしまったという後悔が、重くのしかかってくる。


 青龍の強さは目の当たりにしてよう知っとった。特に変身した後は、スサノオがまったく歯が立たんほどの力を持っとる。

 その青龍と戦うのは、あしじゃない。

 トウフウじゃ。

 なのにあんな挑発するような啖呵を切って、相手を本気にさせてしまった。


 バカじゃ。あしはどうしようもない、大バカ者ちや。

 自己嫌悪に押し潰されそうになった時。

「ちょっと、継愛ッ!」

 鼓膜が破れるんじゃないかってぐらいの大声に、あしは我に返った。

 見やるとトウフウが眉を逆八の字にして睨んできとった。


「どうしちゃったの。さっきからぼーっとしっぱなしで」

「あ、いや、その……」

「もうっ。これから試験が始まるのよ。しっかりしなさいよ!」

「……あしは取り返しのつかんことをしてしまったのかもしれん」

「取り返しって……、どういうことよ?」


 きょとんとしているトウフウに、あしは自分の悔恨をぽつぽつと話した。

 その間、彼女はいつも絶え間なく動く口を閉じて聞いてくれていた。

「……このままじゃ、おまんの命が危ういかもしれん。今からでも謝って、試験を辞退させてもらった方が……」

「……っはぁあああああ」


 ぶっっっといため息をトウフウは吐き。

「呆れた。まさかそんなことで、ずっとうだうだ悩んでたの?」

「そんなことって……!」

 俯けていた顔を上げた途端、鼻をぱちんと弾かれた。

「そんなことよ」

 デコピンした指を目の真ん前で突きつけながら、トウフウは続ける。


「いい? あたしは継愛を信じてるの」

「……あしをどう信じたって、戦力差がひっくり返るわけじゃなか。それに、スサノオが手も足も出なかったんじゃぞ?」

「アイツは一人でしょ。でもあたし達は二人。力を合わせれば、どんな強敵にだって負けやしないわ」

「そんなの理想論じゃ。感情だけでどうこうなるなら、誰だって簡単に強くなれる」


 トウフウは再びため息を吐き、背を向けてしまった。

 ついに見放されたのかと思ったが、彼女は肩越しにこちらを見やり。

「前からずーっと思ってたけど。継愛ってバカよね?」

「そうじゃな。考えの浅い愚か者じゃ」

「そういう意味じゃないわよ」


 なんのつもりかトウフウは着物の首元に手をかけて、おもむろに肩をはだけだした。

「ちょっ、い、いきなり何をしちょる!?」

 慌てて目を隠すあしに、トウフウは言う。

「ちゃんと見て、あたしのことを」


 あしはちっくと悩んだが、トウフウが「ほら、早く」と催促してくるので仕方なく目の前にやった手をどかした。露わになった、トウフウの背。そこには初めて会った日にあしがこの手で書いた、一字があった。

「魂……、この字を書いたのはあんたでしょ」

「お、おう」

「あたしには見えないけど、みんな言ってたわ。すっごくいい字だって。でももしも誰も何も言わなくても、直接目にすることができなくても、あたしは継愛の魂を込めて書いた字なら、確信できる。絶対に素敵なものなんだって」


 トウフウがあしの目を見据え、断言する。

「継愛はこの字を書くまで、たくさん努力してきたんでしょ? 楽しい時も、苦しい時もいつだって文字を書(しょ)して生きてきたんでしょ?」

 彼女はあしの手を取り、そっと魂の字がある辺りに触れさせた。

 滑らかな手触りで、彼女の体温が直に伝わってきた。


「だから信じられる。この魂の字を背負ってる限り、何があったって大丈夫だって」

 今の言葉の重みが、手の平越しにも感じた気がした。

「……トウフウ」

「継愛はいつも通りでいいわよ。好きな字を書いて、それをあたしに見せて。そうすればきっとすっごい力が湧いてきて、青龍なんてどーんって倒しちゃうんだから!」


 見えない敵と戦っているかのように、握り拳を交互に前に出すトウフウ。

 机の上でくつろいでいた若緑がそれに驚いてか「ゲコッ!?」と鳴いてトウフウの顔に向かって跳んだ。思わぬ奇襲にトウフウは反応できず、顔面でヤツのことを受け止める羽目になった。

「ちょっ、ちょっと若緑! 離れなさいよ、コラ!!」

 トウフウは若緑を自分の顔から離そうとするも、ヤツは手が近づいてくるとぴょんと跳ねて躱(かわ)し、再び顔に着地。千日手の盤面のように同じ光景が繰り返される。


「くっ、あは……、あっははははは!」

 あしは腹からこみあげてくる愉快さに吹き出し、笑い声をまき散らした。

「ちょっ、笑ってないで助けなさいよ! 若緑もいい加減にしなさい!!」

 そう言われても、笑いというのは己の意思に関係なく起こる発作同然。止めようと思うて止められるもんじゃあない。


 若緑もさっきは人語を解する素振りを見せながらも、今はトウフウの命令を無視して彼女の顔で跳ね続けている。

 このある種の地獄絵図的な光景が繰り広げられている中、間が悪く扉が開いた。


「次の受験者の方、そろそろ過剰の方へ……え?」

 戸惑いの声が上がる。

 無理もない。

 上半身を曝け出した女の顔の上に蛙が跳ね、それを見て男が笑い転げている。

 まさしく混沌。

 こんなもんを目の当たりにしてなお平静を保てというのは、あまりにも酷である。


「あっ、ちょっ、今入ってくんじゃないわよ! でっ、出てきなさいよッ!!」

「すっ、すんませんしたんでェ!」

 バタムッ!

 扉の閉じる音が響くと今度はそれにビビってか、若緑はトウフウの顔から落ちるように下りて、ぴょこぴょこ部屋の奥へ跳ねていった。


 げっそりした表情のトウフウは上着を直しながらひぃひぃ言ってるあしを見て、虚(うつ)ろな吐息を漏らして言うた。

「……元気になったみたいでよかったわ」

「す、すまん、く、くくっ、あはっ、はぁ、はぁ」

「はあ……。顔洗って来ましょ」


 立ち上がりかけた彼女をあしは「トウフウ」と呼び止めた。

「何よ?」

 ぬめった顔を目にしても笑いをどうにか堪えて、あしは言った。

「ありがとな」

「……じゃあ今日は、一緒の布団で寝ましょうね」

「ちょっ、それは話が……」

「ハイ決まり、決定、決定! 約束は守ってね!」

 すっかり元気を取り戻したトウフウは駆け足で部屋を出て行った。


 残されたあしは深いため息を吐いて、ゲコゲコ鳴いている若緑を見やって、なんとなしに語りかけた。

「……おまんのご主人様は、げにたくましいやっちゃなあ」

「ゲコ、ゲコ」

 蛙の言語はまるでわからんかったが、若緑の所作はどことなくうなずいているようにも見えた。


   ●


 会場に続く前の両開きの扉。

 ここで先導するべく歩いていた青鬼は立ち止まり、振り返って言ってきた。

「えーっと。今日は行うのは試験なんで、別に観客は意識しなくていいんで。試験官との戦いに集中してくれとのことなんで」


「それはどうかしらね」

「……はい?」

「歓声が上がったら、つい応えちゃう――あたしの芸者魂が火を噴くかもしれないわ」

 と言いつつ、キランと目を光らせるトウフウ。馬みたいに鼻息ぶふーって出しそうな雰囲気だ。


「……あの横文字外国人に毒されたか?」

「女は誰だって、黄色い声を浴びるとみんなの星になりたくなる生き物なのよ」

「理解できんが……。ちゅうかそれは大多数の女性から反発もらうんじゃないろうか」

 話に花を咲かせ始めたあし等を遮るように、横から青鬼が割って入ってくる。


「え、えーっ、まあ、盛り上げてくれる分には問題ないんで。特に今日は観客の皆さんが憤懣を溜めてるっぽいんで、それを発散してくれたら逆にありがたいんで」

「亮大ってヤツのせいね。大丈夫、アイツのことは青龍をのした後にきっちりしばいてやるから」

「……あんまり残虐なのは困るんで。その、準備の方は?」

「あたしは構わないわよ。継愛は?」

「できちゅうぜよ」

 あしは矢立とわら半紙を綴じたもんを掲げてみせた。


 青鬼はうなずき、扉にひっついてる輪に手をかけた。

「じゃあ、開けるんで」

 そう前置きし、青鬼は扉を押し開いた。

 会場内には、声という声が飛び交っていた。

 しかしそれ等はあしとトウフウに向けられたものがやない。


「いい加減にしろー!」

「試合が終わった後に毎回めっちゃ時間かけて化粧しやがってーッ!」

「試合もほとんど全部瞬殺で、ちっとも面白くねえじゃねーかよッ!」

「金返せーッ!」


 もはや暴動寸前、会場内は剣呑とした空気が流れとった。

 高台の上の亮大はそんな彼等を無視して、髪の手挿れに専念しちょる。その鈍重さには呆れを通り越して、ある種の尊敬の念が湧いてきそうじゃ。

 さっきまで意気揚々としちょったトウフウもこの有様は予想していなかったようで、すっかり腰が引けてしまったようじゃった。


「……え、何これ? 一揆でも始まるの?」

「どんな酷い暴君でも、ここまで民衆の怒りを買った者はおらんじゃろうけどな」

「こんな状態だと来年から、試験は非公開で行われることになるかもしれないんで。どうかお二人の力で、観客の怒りを静めていただけたらありがたいんで」

「いやいや、無理でしょ! ねえ、継愛」


「……まあここはひとつ、挑戦してみるぜよ」

 予想外の答えやったのか、二人は大きく目を見開いた。

「えっ、ほ、本当に!?」

「まっことじゃ。時に係官殿、いくつか無理難題を頼んでもええか?」

「この騒ぎを鎮(しず)めるのに比べたら、火本海(ひほんかい)の往復でさえ容易く思えるんで」

「天井に大きな紙を貼って、透明な足場を作ってほしいんじゃ。それと神を照らす照明器具に、ぶっとい筆も用意してくれるとありがたい。できるか?」

「へえ、まあ。ものはあるでしょうし、運営に相談すれば天狗なんかにすぐ協力を取り付けてくれると思うんで。筆の方も、書字者管理機関が手を打ってくれるかと」

「じゃあ頼んだぞ」

「へえ、こちらこそ」


 青鬼は急ぎ足で去っていった。

「ちょっ、ちょっと、継愛っ。あんなの引き受けてどうすんのよ!?」

 すぐにトウフウが慌てた様子で問い詰めてくる。

「いやだって、あんな怒り心頭な観客の中にいたら、美甘達が危険じゃろ?」

「そうだけど……」


「トウフウには迷惑かけん。……あしの字を、信じてくれんね?」

 トウフウはぶすっとした顔で唇を尖らせた。

「ずるい言い方ね」

「すまんのう」

 彼女はしばしあしを睨んだ後、大きく溜息を吐いて言うた。

「わかったわよ。その代わり、しっかりやりなさいよ」

「おう、任せとけ!」

 あしは握り拳を作り、どんと胸を叩いた。

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