第一章6 『かくして初夜を迎える、もしくはまぐまぐ』

「おお、トウフウ。やっと起きたか」

「ぅん……ふぁああ……。あれ、ここは?」


 目を擦り起き上がったトウフウは寝ぼけ眼で周囲をぐるっと見やる。

「旅籠じゃ。おまん、また記憶喪失かや?」

「……ああ、そういえば倒れたスサノオをつれてきたっけ……。スサノオは?」

「自分で見い。目の前におるじゃろ」


「あ、起きてる……。あんた、具合どうなの?」

「もう平気だ。邪魔なら出ていける」

「別に邪魔じゃないわよ。あたしの部屋、別に取ってるし」

「そうか。その男と同室か?」


 スサノオの問いを受けにわかに赤面したトウフウが慌てふためき喚きよろめく。

「そっ、そっ、そっ、そんなわけないでしょ! あんたなんなのよ、もしかしてそのなりで縁結びの神とか!?」

 途中で体制を崩したトウフウをあわや支えることになったが、決して最後まで口は止めなかった。あっぱれ。

「それはこっちの言葉だ。お前達こそ、何者だ?」


「あたし? あたしは便宜的にはトウフウって名前で、多分……風神じゃない?」

「あしに訊くな。あと、自分の力で座ってもらえんか?」

「あ、ごめん」

 あしの手から体を起こし、「よっこらせ」っと彼女は座り直した。


「仲睦まじいな、偽風神」

「なっ、なかむちゅっ!? ……って、ってか、偽風神って何よ?」

 照れ隠しには触れず、スサノオは真面目な顔で答える。


「お前が風神なわけないってことだ。本物の風神なら、かつて桃源郷で会ったことがあるからな」

「へえ……。どんなヤツ?」

「一言で言えば、天変地異そのものだ。アイツが本気を出せば、国一つの地形が一瞬の内に変わる。俺様とお前じゃあ、足元にも及ばない相手ってことだ」

「へ、へえ……」


 想像の範疇を越えてしもうたのやろう、トウフウの目は途中から宙に魚がいるかのように泳いどった。

「だからお前が風神なはずがない。人間に憑依したとしてもあそこまで力が衰えるはずがないし、そもそもそれなら書契ができるはずもない」

「じゃあ、あたしはなんなのよ? なんの神で、どこのどいつなのよ?」

「さあな。わからないからお前達に聞いたんだ。……おい、優男。お前には心当たりはないのか?」


 あしは頭を掻いて首を振った。

「悪いが見当もつかん。あしは字を書くこと以外はまるきりできん。神学なんぞとんと興味が湧かんくて、童にもその方面の知識は及ばん」

「でも少なくとも、風が使えるんだからそういうのを司ってる神ってことよね?」

「そうとは限らねえぜ。ただ風にまつわる印象的な出来事があって、そのおかげで副次的に使えているだけかもしれないしな」

「それって……、えっと、どういうこと?」

「外伝みたいなものだ」


 ふとあしの頭の中が閃き、ぱっと正解らしきものが思い浮かんだ。

「伝説とか神話について言うてるのか?」

「ああ。人間界ではそういう形で残ってるっぽいな」

「伝説とか神話があると、副次的に能力に追加されると」

「そういうこった。まあ人間界に語られていないような武勇伝やそれに類するものってこともあり得るけどな」


「じゃあ、芸術の神が武術系の能力を使えたり、逆に武神が芸術面の技を持っていることもあり得るわけ?」

「あり得るだろうな。だからお前が風を操れるからって、風に関する神だとは限らねえってことだ」


 それを聞いたトウフウは興味なさげに「ふーん」と声を漏らして言うた。

「まあ、なんの神様でもいっか。食う寝る遊ぶには困らないし」

「お前、呑気だな……」


 半目のスサノオに、トウフウは意気揚々と語る。

「そりゃ最初は焦ったけど、なんだかんだで財布は手に入れたし、三食昼寝には困らないだろうし。結果的に見れば儲けもんって感じじゃない?」

「……人を財布呼ばわりとは、いい身分じゃのう」

「へっへーん。あたしの裸を勝手に見たのが悪いんだからね! それに書契ってのしたみたいだし、もうつかず離れずの関係じゃん?」


 調子づいているトウフウに、スサノオは冷や水みたいな声で言う。

「……そのことだが。書契はその際に使用した筆をへし折ればすぐに解除されるぞ?」

「え、嘘? こういうのって、一定範囲を離れたら二人共死ぬとか、相方が死んだらもう一方も死ぬとか、契約者は相手の命令に従わないと死ぬとか、そういう呪いみたいなのがあるんじゃないの?」

「いや、特にはないはずだ。筆持ってるヤツが神様に力を与えられるってだけだ。ただ明確な力関係が築けたり弱みを握れれば、相手を脅して言いなりにすることもできるかもしれねえけどな」


 しばし「うーんうーん……」と唸っていたトウフウは何か閃いたのかぽんと手を打ちあしの方を見おって。

「継愛、あたしに三食昼寝とおやつ付きの生活を約束しなかったら、風を吹かしてあんたの大切な和紙とか筆を全部吹っ飛ばすわよ」

 うんと低次元な脅しにあしは怒る気にもなれず肩を竦めた。


「……おまんは尊厳とか罪悪感っちゅうもんは持っとらんのか?」

「ちょっ、なんでそんな落ち着いてんのよ!? もっと焦りなさいよッ!」

「あしみたいな字書きは腕さえ残っとれば、作品が消えようとすぐに書き直せるから何枚か無駄になろうと気に病まん人が多いちや。まあ、傑作を損失するんはもっちきないから堪忍してほしいがのう」

「なっ、そ、それじゃああたしに計画が台無しじゃない! こうなったら、天高くに吹き飛ばしてやるとか……、太陽を地球に落としてやるとか……」


「……トウフウとやら、これは親切心で言ってやるがな。多分お前の力は自分で思っているよりも大したことないぞ」

「はあ? 何それ、負け惜しみ?」

「そうじゃねえよ。お前が強かったのは、八割以上その男のおかげだ。最初の風だって重量のない浮き雲だから吹き飛ばせたようなもんだ。お前単独じゃあ、全力を出したところでせいぜい木に生えている葉を振り落とせる程度しかできねえだろうな」

「はっ。そんな嘘にあたしが騙されると思ってんの?」


「…………」

「ね、ねえ、スサノオ?」

「……………………」

「ねえってば、何か言いなさいよ……」

「…………………………………………」

「……もしかして、本当のことなの?」

 スサノオは無言で一回うなずいた。


 トウフウはたちまち涙目になり。

「何よそれぇ。あたし神だっていうからどんなことができんのかと思ったら、木から葉を落とすだけッ!? 雑魚じゃない、あたしただの雑魚じゃないッ!!」

「ちなみに全力を出したお前は一週間ばかり筋肉痛みたいな苦しみを味わうことになるだろうな」

「いぃーやぁーっ、筋肉痛なんていやぁああッ! あれ地味にジンジンってして立てなくなっちゃうときがあるんだからぁ!!」

「安心せぇ、そうなったらあしが負ぶっちゃる」


「継愛ーッ! あんたホント神、ひどいことばっかり言ってごめんね愛してるぅうう!」

 いきなり真夏のセミのごとく、トウフウはあしにしがみついてきおった。唐突な態度の豹変に、あしは面食らってしまう。


「……いや、いきなり求愛されても困るんじゃが。ちゅうかべったり抱き着かれたち暑苦しくてかなわん」

「接吻したげる、んっちゅっちゅっ。あ、裸見る?」

「おまん、女としての恥じらいはどうしたちや?」

「んー、多分あんたにむかれた時に消えたんじゃない?」

「むかれた言うな!」


 どうにか引きはがそうとするも、華奢な体のくせになかなかどうしてトウフウは力が強くにっちもさっちもいかん。

「なかなか苦労しそうだな、継愛とやら」

「スサノオ、ぼーっと見とらんで助けてくれんね!」

「いや、二人の邪魔しちゃ悪いからな。俺様はお前達の部屋に退散するぜ。お邪魔虫のことは忘れて、後はお前等でゆっくり楽しんでくれ」


「ちょっ、まっ、おいぃっ!」

 薄情にもスサノオはそそくさと部屋から出て行ってしまった。

「継愛ー、ね、まぐまぐしよ? 二人が一生離れられなくなるぐらい、いいことしよ?」

「堪忍してくれぇ、あしは初めては好きな人とするって決めてるんじゃ!」

「あ、継愛の継愛ってまだ童(わらべ)? じゃああたしが大人にしたげる!」

「イヤじゃぁああッ! コラっ、袴を脱がすなぁあああああッ!!」

 あしの叫びは空しく密室の中に消え、後にはもなかには聞かせられんもんがこじゃんと響き渡ったのだった。

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