第一章5 『人と神』
頭を抱えたあしの横で、美甘が絵魔保を介して独り言みたいなもんを言った。
『上は洪水、下は大火事』
「悪いがのう、今はなぞかけをしている暇はないんじゃ」
『天地をひっくり返しても、状況は変わらない。それならどっちも絶やすしかない』
「どっちも絶やすって、おまん何を……、あっ!?」
美甘の一言に、あしの頭ん中にも稲光が落ちた。
「そういうことか……。対抗できんなら、両方まるごとぶっ飛ばせばええんじゃ!」
あしは無地の和紙に筆を走らせ、活路を開くための二字を書き出す。
筆を走らせながらもあしはその光景をありありと目の当たりにしていた。
この力を得れば、トウフウならきっとやってくれる……!
会って間もない少女やが、あしはなぜだかトウフウに今まで抱いたことのない信頼を感じとった。
その思いが宿ってか、出来上がった字はかつてない凄み、迫力を紙面なぞ突き破らんとするほどに放っていた。
あしは唾を飲みこみ、その字をトウフウに向け、やや震え気味の声で呼びかけた。
「トウフウ、見てみい! えらい字が書けたぜよ!!」
「あ、あのねえ! 今はあんたの作品自慢に付き合ってる暇は……」
こっちを見やるやいなや、トウフウの体が赤く揺らめく光に包まれた。
「……すごい。書契の時みたいに……ううん。あの時以上に、熱い……!!」
「畜生めっ、またおかしな術を使いやがったなッ!」
先手を打たんと、スサノオが大太刀を上段に構え、トウフウ目掛けて振り下ろす。
じゃけんどその寸前に彼女の姿は刀の先から立ち消える。
「ちっ、またちょこまかと……」
スサノオは顔を巡らせトウフウの姿を探し、すぐに見つける。
彼女の姿を目で、さらに足を動かし追い続けるが、トウフウはいつまで経っても止まらない。ただひたすらに走り続ける。
「なっ、何を企んでやがる……?」
スサノオは一歩も動けずただ首を巡らし、トウフウの姿を追う。
彼女はスサノオを中心に電光石火の勢いでぐるぐると回り続ける。
その俊足――否、神速はやがて渦状の風を生み、辺りのものを巻き込んで頭上へと吹き飛ばしていく。
頭上へ。
スサノオははっと目を見開き、空を仰いだ。
そこにはついさっきまであったはずの雷雲がきれいさっぱりなくなっていた。
吹き飛ばされたのだ、トウフウが起こした竜巻――
「旋風によってな」
赤き燐光を放つ文字をあしが読み上げた瞬間、竜巻の柱が大きさ(太さ)を徐々に小さく(細く)していった。中に閉じ込められたスサノオは動くことができず、ただ旋風の牢の中で身を縮こめているしかない。
「なっ、そっ、そんなっ……!」
スサノオのずつない(情けない)声も瞬時に暴風の音によって吹き消される。
ついには旋風は人一人分の大きさ(太さ)になって。
「そんな……そんなっ、そんなバカなァアアアアアアアアアアアッ!!」
ヤツの巨体は軽々浮き上がりぐるぐると振り回され、茜色に染まった空の彼方へと吹っ飛ばされていった。
天高くへ至ったスサノオは米粒程度にこんまくなり、そこから徐々に太く(大きく)なり地上に落下してきて、最後には隕石かってほどの勢いで地面に激突しおった。
さすがに脊髄から冷やいものを感じたが、「んぐぅ~……」と蛙が潰れたような声が聞こえてきてほっと胸を撫で下ろした。
●
月が夜空に昇る頃、スサノオは目を覚ました。
「おっ、気が付いたのう」
ちょうど手拭いを氷の入った冷や水に浸しておったから、じゃぷじゃぷとカチャカチャが混じった音が手元で鳴っておった。
敷き布団の上に寝かされておったスサノオは枕の上の頭を動かし、あしを見おった。
「ここは……?」
「旅籠じゃ。美甘ちゅう女子が宿泊代を出してくれたんじゃから、後で感謝しとき。あ、おまんを運んだのはあしと車掌さんじゃ。車掌さんは帰ってしもうたから手紙……は文字が読めんかもしれんのう。ああもう、不便でしゃーないな」
「……なあ。お前達、何者だ?」
唐突な質問にあしは目を見開いて訊き返した。
「おいおい、まさかおまんも記憶を失くしたとか言う気かや?」
「……いや、覚えてる。確か俺様は、お前達と戦って、それで……」
頭頂部を押さえたスサノオは眉間にしわを寄せ顔をしかめた。
「っつぅ……」
「触らん方がええ。おまん、頭から地面に落っこちたんじゃからな」
「へっ……神からの攻撃だから、痛手を負ったわけか……」
「ほんでもタンコブ程度で済んでるんじゃから、まっこと頑丈ぜよ」
「違うな。この程度のケガで済んでるのは、アイツが加減したからだ」
「加減? 天高くまで飛ばされとったのに?」
「ああ。殺意が感じられなかった。もしも本気で殺す気だったら、俺様の頭は今頃かち割られたザクロみたいになってただろうな」
ちっくと想像してみてすぐに吐き気を催し、あしは慌てて頭を振ってその想像を振るい落とした。
その様が面白かったのか、スサノオのヤツはわっはっはと笑い声を飛ばした。
「つまり神は殺意を抱いて初めて、神を殺すことができるようになるんだ。その気概がなけりゃ、どんだけ派手にぶっ放した攻撃でもかすり傷程度の負傷しか与えられない。逆に本気で殺すつもりなら、刃物の一突きでも命を奪える。相応の腕力とか殺傷性が必要になるけどな」
「……えずい光景を目にせずに済んでよかったぜよ」
「感謝ならそこで寝息立ててるヤツに言いな」
スサノオはあしの膝を枕にして寝ちゅうトウフウを顎でしゃくった。
先の戦いで疲れ切ったんじゃろう、いくら声をかけても揺すっても起きんかった。
「まったく、イヤになるぜ。俺様を打ち負かしたのが、こんな小娘と優男だなんてな」
「あしはただ字を書いてただけちや」
「ごまかすなよ。あの字が小娘に力を与えていたのは一目瞭然だった」
太い(大きな)ため息を挟み、スサノオは続ける。
「字ってのは、人間が生み出したもんだ。それを借りて強くなったって勘違いしてやがる神なんかにはぜってぇに負けねえ。って、決めてたのによ……」
「ほがなこと、気にする必要ないんやないか? 外国にゃ詩の神さんなんてもんがおるっちゅうし、別に字の力を借りる神さんがおってもええやろ?」
「いや、気に食わない。そもそも人間ってのは、俺様達神の庇護下にあるべき存在のはずなんだ。なのに今じゃ、神さんなんて隣人扱いだ。トサカに来るぜ」
「わからんなぁ。互いに助け合えるなら、それが一番やか」
「助ける? お前達人間が神を?」
目をすがめ尋ねるスサノオに、あしはなんの気負いもなくうなずいた。
「ああ。神にしかできんこともあれば、人間にしかできんこともある。じゃったらそれぞれの足りん所を埋め合って、仲良くやっていくのが理想的やと思わんか?」
「はっ、バカバカしい。百年足らずで死ぬお前等が、俺様達神と仲良くなんてな」
「あし達人間も、僅か十年前後しか生きられん犬や猫と仲良くやっちゅうぞ」
「あれは飼ってるっていうんだ。昔の俺様達と人間のようにな」
「人間を飼えんと不満か?」
「不満とか、そういうんじゃない。それぞれの存在には適した役割がある。それだけのことだ」
あしは濡らした手拭いをスサノオの頭において言ってやった。
「ならケガ人のおまんは、今は脚に世話されるのが役目ちや。大人しう寝とき」
「ふん……、敗者は勝者に従うのが役目か」
スサノオは手ぬぐいを押さえつつ、布団の上に倒れ込んだ。
「すまんのう。おまんの分の夕食を取りに行ってやりたいんじゃが、トウフウがどうやっても起きんくて……」
「気にするな。腹なんて減っちゃあ……」
ぐぎゅゥウウウウウッ! かなりデカい虫の音が飼い主の言葉を遮った。
スサノオは湯上りのように赤面し、慌てて顔を逸らした。
「……本当にすまんのう」
「いっ、今のは、空耳だ!」
「にしちゃあ眼下から響いてきたが……、ん?」
ちょうどその時、膝の上でもぞもぞとトウフウが動いた。
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