第3話「時光、コロポックルを目撃する」

 思いもよらない蒙古兵との遭遇の後、時光達はアイヌの集落コタンに到着していた。このコタンのアイヌの家は、自然に立てた掘立柱を中心にした木造建築で、笹で屋根がかれている。


 この様な家の事をアイヌの言葉でチセと言う。


 現代人から見ると粗末な作りに思えるが、時光の住む撓気わたけ郷の百姓の中には、未だに竪穴式住居たてあなしきじゅうきょに住んでいる者もいるので、時光は特段何も思わなかった。


 もちろん、時光の住む屋敷は外敵との戦闘を想定した立派な物なのだが。


「誰かいないのか!」


 コタンに時光の声が虚しく響いた。これに応える者は無い。コタンはも抜けの空の様である。


「これはおかしい。冬に備えて猟や採集に大勢で行ったとしても、誰もいないなどあり得ない。ましてや老人や子供達までなどなおさらだ」


「これはやはり、先程出会した蒙古の仕業ではありませんかな?」


「ああ。出立の前に時光様から蒙古について色々と教えて頂いたが、蒙古は敵対した町を滅ぼす時、皆殺しにするそうだ。大陸の戦ではそれで何十万という民が殺されているらしい」


 時光が言っているのは一部誇張もあるが、事実である。これは、騎馬民族の習性的なものもあるが、この様な恐ろしさが相手の国に広まる事で、戦わずして降伏させたり、相手の戦意を挫くという情報戦的な側面もある。


 いずれにせよ蒙古は強大で畏怖すべき国であり、これを防ぐためには時光の様な武士が力を発揮しなければならないのだ。


 外敵と闘って勝利する。それが武士として生まれた者の運命なのだ。


 生まれついての武士である時光にとって、それは自明の理だ。


「すいやせん。旦那ぁ。あっしらはもう帰らせてもらえやせんかね?」


 今後の事を思案している時光に、荷物を下ろした人足達から提案と言うか懇願があった。


「ん? お前たちだけで箱館まで帰るのか? さっき襲って来た蒙古の連中を見ただろ。危険過ぎる」


「だからこそ、あんな奴らがうろついてるこんなところにはいられねえっすよ」


「そうそう。それに、俺たちゃあ十人からいるんっしょ。狙われるのは、大勢の俺たちと、小勢の旦那らとどっちでよお?」


「うーん?」


 人足達の意見にも一理ある。この場に彼らが留まっていた場合、隙を突かれて単独行動をした者などが狩られるかも知れない。さっさと帰ればそんな事にはならないかもしれない。


 この者達は時光の任務など関係が無いのだから、契約通り荷物をこのコタンまで運べば、さっさと安全な場所に逃げたいのだろう。むしろよくここまで着いてきてくれたと言うべき所だ。


 更に付け加えるなら、蝦夷ヶ島には多数の罪人が流されてきており、人足達の多くはその様な出自である。


 そのため、時光が鎌倉の威光を振りかざしたとしても言うことを聞かないだろう。また、彼等は腕に覚えがあるのである程度の危険なら排除できると思っているのだろう。実際先程は蒙古の斥候は逃げ出したのだから、少し自信を持ったとしてもおかしくは無い。


「わかった。ここで解散する事にしよう。ここまでよく荷物を運んできてくれた。さっきの危険代も含めて駄賃ははずもう」


「へへっ。旦那、若ぇのに話がわかりやすねぇ」


 人足達は時光から賃金を受け取ると即座に立ち去ってしまった。蒙古に襲われるかもしれないというのに、無防備で、呑気な奴らだと時光は呆れる思いであった。


「若。我々の情報を蒙古に売り渡される可能性はありませんかな?」


 人足達の姿が見えなくなってから、丑松が耳打ちした。


 確かにあり得る事である。


 蒙古が日本を狙っていると言っても、民衆には関係が無い事だ。いや、大陸での出来事を思えば、民にとっても一大事なのだが、他国に征服された事が無い日本の民にとって、それがいかに重大なのかは想像出来ないだろう。


 そして、更に言えば統治者層であっても、他国に寝返る可能性は十分考えられる。現在日本は鎌倉の執権が権力を握っているが、これと政治的に対立関係にある朝廷や、御恩と奉公の関係に無い御家人以外の武士は、利害関係によって積極的に裏切ったとしてもおかしくはない。


 日本書紀などの書物には、古代において筑紫国つくしのくに国造くにのみやつこである磐井いわいが、新羅しらぎの工作により朝廷に反旗を翻したことが記されている。


 もちろん、これは最早神話の時代の話であり、真実がどうかは分からない。しかし、状況によっては他国に寝返ることを、人は思いついてしまうという事を示していると言えよう。


 しかし、


「俺は裏切られる可能性は、低いと考えている」


 時光は自信ありげに言った。


「それは何故ですかな? 若」


「考えてもみろ。奴らは蒙古の言葉を知らぬ。蒙古側は斥侯であろうから、我らの言葉を理解している可能性もあるが、昼の様子だと少なくともあの場にいた者達に、俺の言葉を理解していた様子はない」


「なるほど。その様な相手に危険を冒して近づく可能性は低い。そういうことですね?」


「その通りだ。口封じなど考えずとも良い」


 結局のところ、口封じなどという残忍な事はしたくないというのが本音で、理屈は後から付け足したといっても良いのかもしれない。少しの油断や温情が命取りとなる武士としては、時光の考えは甘いと言ってもよいだろう。


 しかし、丑松はどことなく満足げな表情で主人の方を見るのだった。


「おい。もうそろそろ夕飯にしよう。んで、夜になったら交代で見張りだ」


 オピポーに促されて時光たちは、食事の準備に取り掛かった。


 人足たちの行動には、確かに怪しい点はある。しかし時光は、そのことはあえて考えずにいることにしたのだった。



 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 軽く食事を済ませた後、時光達は交代で夜の見張りについていた。


 夕飯は、コタンに置いてあった調理用具を借りて、携行していた干物などに近くで取って来た野草を加えて焼いたり煮たりした簡単なものであり、味もそこそこだ。しかし、そんな単純な料理であってもこれまでの道中では火を使わずに、冷えた携行食しか食べていなかった時光達にとっては、十分なごちそうである。


 調理器具は交易で和人から手に入れたものばかりで、時光にとっても普段と同じ感覚で調理できるものであった。


 勝手に家や調理具を使用して良いのかという問題はあるが、撓気氏が交易をする際は、長の家に泊まるのが通例なので、「まあいいか」という事になった。オピポーもアイヌの通念上問題無いと言っているし、何より蒙古からの襲撃に備える必要があったのだ。


 襲撃に対処するには、防衛拠点となる家が必要だし、温かい食べ物で腹を満たすというのも重要なのだ。


 食事を終えて片付けが終わった頃、夜の闇が迫ってくる。この日、天に輝くのは三日月であり、日没の後一刻もすればこれも沈むため、その後は星の光だけが頼りになる。


 夜の見張りは一人ずつ交代で実施することにした。見張り以外の者は、この集落の長の家と予想される大きな家で寝ることにする。長の家と言っても土間なのだが、交易で手に入れたらしい立派な敷物が敷かれているので、寝るのに支障は無い。


 むしろ時光が普段暮らしている家の寝床より、ずっと立派と言っても良いだろう。


 見張りに火は使わない。オピポーは山に泊りがけで狩猟をすることに慣れているので、夜目が効く。また、時光や丑松も夜討ちを常套戦術とする武士の習いとして、夜の闇にはある程度慣れている。


 この様な者達にとって、火をつけて見張りをすることは、敵に自らの位置を教えてしまうだけなのである。


 時光が最初の見張りについている間、周囲は静かなままだった。夜行性の動物の動き回る音や、鳴き声も聞こえず、本当に静かだった。もしかしたら、時光達、人間を警戒して近づいて来ないのかもしれない。


 一時、フクロウの鳴き声と、翼が羽ばたく音が頭上で聞こえる事があったが、すぐに闇の中に消えて行ってしまった。


 そう言えば、アイヌはフクロウの事を神ーーカムイと認識している、という事を、時光は何故か思い出した。


 さて、ずっと夜の闇に包まれて見張りをしていると、どの様な精鋭であっても、疲労などから幻覚の様な物を見はじめる。


 見張りも終盤辺りになると、時光にも妙な物が見えてきた。


「トキミツ。もうそろそろ代わろう」


「ああ、頼む。申し送りだが、さっきからあのフキの影から、小人がずっとこっちを見てるから注意してくれ」


「トキミツ……それはただのコロポックルだ。気にするな、と言うよりお前は疲れている。今夜はゆっくり休め」


 コロポックルとは、アイヌに言い伝えられている妖精の類で、その名前は「蕗の葉の下の人」という意味である。


 もちろん、実在しない。


 何故、アイヌにおけるコロポックルの話を知らない時光が、その存在を認識してしまえたのかは不明だが、とにかく疲れているのには変わりない。函館からイシカリまで強行軍だったのだから。


「じゃあ、お言葉に甘えて休ませてもらう。……と、その前にションベン行ってくる」


「そこら辺でせずに、ちゃんと厠を使えよ? 男用と女用も間違えるなよ?」


「分かってるって。後はお願いな。コロポックルもさようなら」


「言っておくがコロポックルは実在は……まあいいか……」


 見張りをオピポーと交代した時光はコロポックルに挨拶した後、集落の便所に向かって足音を消して歩き始めた。


 その時光を見張る者が潜んでいる事に、時光もオピポーも気付いていなかったのだった。

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