第2話「蒙古との遭遇」

 箱館を出発した時光一行は、一週間ほど北の広大な大地を歩き続けた。急ぎ旅なので、宿泊に適した集落を経由するのではなく、直進に近い道を使用しており野宿である。


 この時期、冬眠に備えて熊が餌集めを活発化させているため、山道で出くわさなかったのは僥倖ぎょうこうである。


 時光は故郷の相模国の撓気たわけ郷の山で熊を狩った事がある。しかし、蝦夷ヶ島の熊は桁外れに大きく強いので、もし遭遇したなら死傷者は免れなかっただろう。


「なあ、オピポー。もうそろそろ着かないか?」


「もう少しで進めば山を抜けてイシカリの平地に出る。目指す集落はその辺りだ」



「そうか。歩き詰めで結構疲れた。こんなに広いとは思わなかったぞ」


 時光の馬は海を渡る時に船が狭かったので置いてきている。更に、鎧櫃よろいびつを自分で担いでいるため、他の人足と疲労は変わらない。


 そんな会話をしながらしばらく進んで行くとオピポーの言う通り左右に連なっていた山が途切れて、目の前に平地が飛び込んできた。


「これは……凄いもんだ。これだけの土地がほとんど手付かずだとは」


「若。手付かずと言っても、それは和人が入り込んでいないだけのこと。この地を治めるとしたらアイヌとの関係を重視しなければなりません。それは並大抵の事ではありませんぞ」


「トキミツ。それにこの辺りでは米が採れん。お前たち和人は米が無くては生きられんだろう?」


 丑松とオピポーに何気ない独り言にツッコミを入れられた時光は、少し不服そうな顔になった。


「丑松。そんなことわかってるさ。それにオピポー。家みたいな貧乏御家人は、毎日米の飯を食えてるわけじゃないよ。それに、もしかしたら陸奥国むつのくにの寒さに耐えている稲を持ってくれば、その中から特に強い奴が育ってくれるかもしれないぞ? そうすれば日本最大の米所になるぞ?」


「そうかもしれんが、その道のりは長いな。あれを見ろ。平地に蛇の様に曲がりくねった大河があるだろう。あれは大雨のたびに流れを変えるぞ。あれを制するのは至難の業だろうな」


「ふむ。あれだけの川の治水は、まさに王者のなせる業績でしょうな。出来れば唐土もろこしの帝王のしゅんに匹敵しましょう」


 時光の反論に更にツッコミが入る。


 オピポーは蝦夷の中でも有力な氏族の一員であり、しかも交易で他と交流機会が多いためか、その野性的な風貌に似合わず教養がある。また、丑松も今では撓気氏の家来であるが、以前は独立した武士だったらしく、こちらも教養がある。


 とはいえ、幼い頃から立身出世のために学問に身を入れてきた時光の方が、総合的には上であるため、馬鹿にされている訳ではない。むしろ分かる者同士で会話を楽しんでいる感じだ。


 山間を抜けた一行は、今度は海岸方向へと向かう。オピポーによると、目指す集落は交易を盛んに行っている集団であり、船で蝦夷ヶ島のあちこちと交流しているとのことだ。時期によっては、箱館の港に船を着けている事もあるらしいので、そうだったらこんなの苦労して歩く必要は無かったのだが。


 しばらく進んで行くと、川に差し掛かり、そこで数人の男達が川に入って何かしているのが見えてきた。


「あの服装、絵図で見たアイヌの民そのものだ。あの人達がアイヌだろ?」


「ああ。あの服の紋様は確かにそうだ。しかし、何かが……」


 オピポーが言い終える前に時光はアイヌらしき男達の方へと駆け出した。急に現れた時光にギョッとした様子のアイヌの男達に、来る途中でオピポーに習ったアイヌ語で、時光は話しかけた。


「イランカラプテ!」


「……」


 時光はアイヌ語でと挨拶したが、何の返事もなかった。男達同士で何やら目配せをしている。


「オピポー。俺の発音おかしかったか? それともなんかやっちゃったか?」

 

 時光としては初めてアイヌに会うので、うっかり彼等の禁忌を犯していないか不安である。一応オピポーから基本的な習慣は聞いているが、それでも何かやらかして失礼を働いてしまう可能性はある。


「いや。今の発音で十分通じるはずだし、和人が知らずに多少無礼を働いてもそれほど問題にはならん。アイヌはその辺はおおらかだ。」


「若! 後ろ!」


「? ……!」


 後ろを向いてオピポーに話し掛けていた時光だったが、丑松の慌てた様子で後ろから殺気が狭って来るのを感じ取った。


 今から振り向いても間に合わないと思った時光は、そのまま後ろに向かって体ごと突進する。


「ぐはっ!」


 時光は今、重くて丈夫な鎧櫃を背負っている。その鎧櫃を体重を乗せて叩きつけられた相手は、堪らず吹き飛ばされて小さな苦痛の声を上げる。か

なりの苦痛であっただろうに、この程度の声で抑えるとは、中々の根性である。


 体当たりの後、即座に振り向いた時光はアイヌの男が倒れて呻いているの様子を観察する。彼の手には短刀が握られており、これで時光に危害を加えるつもりだったのだろう。そして、すぐに仲間の男達が駆け寄り、助け起こした。


 ここで、時光はある事に気がついた。


「お前……髭……」


 助け起こされた男の口元には、アイヌの成人男子の象徴とも言える立派な髭が、消え失せていた。よく見ると彼の足元の川面にプカプカと浮いている。


 どうやら付け髭だった様だ。


「貴様ら、アイヌではないな! 何者だ?」


 時光の誰何の声に耳を貸さず、アイヌに偽装した男達は後ろを向いて口笛を吹きながら逃走を開始した。時光はすぐに太刀を抜きながら追いかけるが、鎧櫃が重くて追いつけない。着用していれば重量はあまり感じないし動き易いのだが、背負っていてはそうはいかない。


 距離を離される一方な上、ここに更に不利な要素が追加される。


 馬、である。手綱も鞍も鐙も無い裸馬である。


 口笛で呼び寄せたらしい馬に跳び乗ったアイヌに偽装した男達は、見事に馬を乗りこなして地平の彼方へと駆けて行き、すぐに見えなくなってしまった。まさに疾風の様である。


「トキミツ。奴らはアイヌではない。アイヌは馬に乗らん」


「若。あれはおそらく……」


「ああ。蒙古の尖兵だろう」


 馬を操るというのはかなり特殊な技術で、武士として育てられて来た時光はもちろん騎乗技術はそれなりであるが、馬の文化が無いアイヌには困難である。


 ましてや馬具が無い状態で操るなど赤児の頃から馬上で育ってきた騎馬民族にしか出来ない芸当だ。


 予想よりも早く、予想よりも深く蒙古の触手が伸びて来ている事に、時光達は今まで以上に任務の重要性を胸に刻み込むのだった。

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