3.5. 危ういチャンス

 亥の街にある市庁舎ビルの大広間では、低いどよめきが続いていた。〈連合〉の監督官を名乗るマーティンの宣言は、〈娘たち〉に対する宣戦布告に違いなかった。〈連合〉と〈アーカイバ〉が手を組めば、〈娘たち〉を倒すことが出来る。そう、彼は断言した。しかし長年にわたって――それこそ二百年間も――彼女たちに追われ続けてきた〈アーカイバ〉にとっては、荒唐無稽にしか聞こえないだろう。〈娘たち〉には最終技術の固まりであるMMWがあり、強力な戦闘スーツがあり、緑眼病に冒された怪物を操る力があり、そして恐らく潤沢なエネルギーとそれを支える基地がある。


 だが〈連合〉は月面から降下してくる〈娘たち〉の一人を撃墜したという。


 本当だろうか。そうトキコは難しい顔でマーティンの言葉を分析していたが、ようやく顔を上げて彼に対した。


「協力しろと言われても。あなたたちはレールガンを手に入れた。十分でしょう。他に何がお望みです」


「それはほら、レールガンはあるけど、最終技術が沢山眠ってるっていう月の真下にある山? 袁山? そこには〈娘たち〉が操る化け物がうようよしてるって言うじゃない。それはちょっと、怖いかなって。それでなんだっけ、爺さん」


 マーティンに話を振られたパークスは、申し訳なさそうな表情を浮かべながらトキコに言った。


「奴らをどうにかするには、粘菌を研究するしかないと言った」


「そうそれ! 思い出した。だからさ、ここにいるみんなで、その粘菌ってのをどうにかする方法を考えて欲しいんだ。そしたらもう、〈月下〉なんてどうにでもなるだろ? それで袁山に埋もれた最終技術を掘り出しまくって、おたくらは好きに研究でも何でもすればいいし、おれは〈連合〉に戻って、ほら、将軍とか、司令官とか、そういうのになるから。万事解決。だろ?」眉間に皺を寄せたまま答えないトキコに、彼は苛立たしげに息を吐き出した。「話、通じてる? まぁいい。とりあえずおれは、ここの議会? 評議会? とかの相手もしなきゃならないから。考えておいてくれ。おっと、結論を出す前に、このフロアにはおたくらへの贈り物もある。それを見たら気が変わるかも。奥に食事も用意してるから、好きに食べてくれ。じゃあ」


 そうして彼はロッドを引き連れ、部屋から出て行く。途端に周囲は不安なざわめきに包まれた。数人の兵士が監視に残っている。彼らの視線を逃れるように背を向け、パークスはトキコに囁いた。


「済まなかった。でも他に方法がなかった。逆らえば何をされていたか」


 数秒、トキコはふくれっ面のまま答えなかった。だが高ぶった心を落ち着けると、大きく息を吐きながら応じる。


「わかります。他に仕様がなかったことは。でも彼らはレールガンで何をすると思います。それが〈娘たち〉に向けられている間はいいかもしれませんが、〈月下〉の外では――」


「資材を集めるのだけでも、相当殺されただろうな」寄ってきたエスパルガロが言った。「砲身はラインメタルの戦車砲を転用してるようだが、光学装置は見たこともないほど綺麗な代物だった。バッテリーには数ギガレベルのエネルギーコンテナを使ってる。あれはどこから手に入れた」


「エネルギーコンテナはジュール・キャラバンくらいしか保持していないとは伝えた」と、パークス。「彼らは相当のごろつきを抱えてるから、奪うのは無理だと言ったんだが」


「気にしなかったようだな」


「あぁ。マーティンは、ある意味とても恐ろしい相手だよ。色々と気にしない。私たちも協力の姿勢を見せたら、〈連合〉内から集められた装置と資材を好きに使わせてくれた」


「それで関係のない人たちが、何人殺されたんです」


 鋭く言ったトキコを、エスパルガロが慎重に遮った。


「待て。これはある意味、チャンスじゃないか? 爺さん、連中は走査電子顕微鏡や遠心分離機、生化学分析キットなんかを持ってるか?」


「わからんが、必要だと言えば必ず何処かしらからか見つけてくる。これまでもそうだった」


 察して苦言を挟もうとしたトキコに、エスパルガロは言った。


「言いたいことはわかる。けど、おれたちが二百年隠れて研究し続けて、何か出来たか? みんなからは〈魔女〉扱いされ、〈魔女狩り〉からは常に狙われて、何にも出来てねぇ。過去の資産を細々と解読し続けるのが精々だ。けどおれたちの役目は『あらゆる知識を確保し、保全し、活用する』ことだろう? もし〈連合〉の資材を自由に使えるなら、本当に粘菌の正体を暴いて、〈娘たち〉を潰すことも出来るかもしれない。それがおれたちの念願だったろう? 違うか?」


「それで〈娘たち〉を潰した後は、どうなると思う」


 口を挟んだアカネに、一同は目を向ける。エスパルガロが眉間に皺を寄せつつ応じた。


「どうした。顔が真っ青だぞ」


「そんなこといいから。どう思う? あんたらと〈連合〉は手を組んで〈娘たち〉を潰す。それから?」


「マーティンは馬鹿だ。上手いこと追い払えばいい」


「ならそれ、今すぐやりなよ」言葉に詰まった彼に、アカネは続けた。「無理でしょ。あいつは馬鹿だけど、何か得体の知れない直感を持ってる。〈月下〉に来て、いきなり粘菌に注目するんだ。そう簡単にあしらえる相手じゃないよ」


「ならどうする! 全員でハンストでもしろってのか?」


 別にアカネも答えなんか持ち合わせていない。ただ状況を分析してみせただけだ。


 最終的に、視線はトキコに集まる。彼女もまた難しい顔で考え込んでいたが、やがて顔を上げるとパークスに尋ねた。


「東のみんなは、何か言っていますか」


「エスパルガロと近い事を言うメンバーはいる。しかしその大きな娘が言うように、〈連合〉が次の〈娘たち〉になることを恐れている声も多い」


「――わかりました。少し考えさせてください」


 そうしてトキコは背を向けると、部屋の隅にあったソファーに一人座り込んだ。エスパルガロもパークスも遠慮して近づかない。アカネはマーティンの言う〈贈り物〉が気になり、部屋の外に足を向ける。


 通路の対面はオープンスペースで、様々な電子装置が置かれていた。殆どが埃を被っており動くかどうかも怪しかったが、これらに比べたら〈アーカイバ〉の施設なんて高校の実験室と変わらない。隣のスペースは細切れになっていて、個別にベッドと電源が用意されている。その奥は食堂だ。この世界に来てからはパンにスープが精々だったが、テーブルには焼き物や煮物、果物やスイーツらしき物、加えて年代物らしい酒瓶と、アカネの記憶にあるディナーらしい体裁が殆ど整っていた。東の〈アーカイバ〉たちはこの待遇に慣れている様子で、既に数人が集まって食事を手にしている。壁際には膨大な紙の書籍が積まれていて、歯抜けではあったが各種学会誌まであった。


 更にアカネはフロアの徘徊を続けたが、要所要所に兵士が配置されていて逃げられそうにもない。無理だろうなと思いつつも最後にトイレに向かってみると、そこにはロッドが奇妙な様子で静止していた。


 シンクに両手を突き、口を真っ直ぐに結び、瞳を閉じ、割れた鏡に対している。


 その凍てついた空気に身動き出来ずにいると、十秒ほどしてから彼女はぱちりと目を開き、鏡越しにアカネを見つめた。


「あんた誰」


 この言葉を浴びせられるのは何度目だろう。アカネは慎重に答えた。


「誰なんだろうね。段々わかんなくなってきた」


「なにそれ。意味不明」


 ロッドは出口に向かいかけたが、アカネは彼女の腕を捕らえた。


「あんた、何をどうするつもり。このままじゃ私ら全員――」


「私ら、全員」馬鹿馬鹿しそうに遮り、アカネの手を振りほどいた。「なんだよ今更。だいたい何だあれ、どうしてあんた、マーク4なんかに乗ってんの。あんたのMMWは何処にやったのさ」


「知らないの? マーティンの撃ち落とした〈娘たち〉ってのは、私だよ。それでコンテナとはぐれたんだ」


 考えもしていなかったらしい。ロッドは目をまん丸に見開き、頬を歪め、両腕を天に突き出し、奇声を上げ跳ね回り始めた。


「ちょっと、止しなよ。静かにしな!」


 慌てて両腕を捕らえたが、まだ興奮冷めやらぬ様子でロッドは大声を上げた。


「マジで? マジかよ! あたしゃマーティンの法螺だと思い込んでたんだ。ほんとにあれで降下作戦を止められんのか! しかもそれに当たったのがツクヨミ? あんたもつくづく運のない奴だね!」


「仕方がないだろ。急で避けようがなかった。わかってたって無理だよ。真面目にあのレールガンで狙われてたら、セレネが増援を要求したって誰も降りてこられない」


 ようやく落ち着きを取り戻したが、それでも喜色満面でロッドは言った。


「まぁ来てもしょうがないんじゃないの? セレネは掌握出来てないよ、何にも。あたしゃ最初から無理だと思ってた。あんな融通の利かない奴にゃ、地球は無理」


「だから〈母さん〉は、あんたをメンバーに加えさせたんだ」


「かもね」言って、今度は自然にドアに向かった。「来な。いい物見せてやる」


 通路に出て、階段に向かう。そこは二人の兵士が封鎖していたが、ロッドが近づいた途端に左右に分かれた。一人はアカネを伴っている事に何か言いかけたが、ロッドの一睨みを受けて黙り込む。そのまま彼女は地下へと向かうと、崩れかかった梁を潜って一つの扉を開いた。そこでは別の兵士が暇そうにしていたが、やはりロッドの姿を見て慌てて直立不動になる。


「どっか行きな」


 一声で兵士は飛び出していった。アカネは苦笑いしつつ言う。


「一体何処で何をやったのさ」


「ん。辰巳の回廊を抜けてすぐ、連中の部隊に絡まれてね。殺してやった」


「まさか素手で?」


「たった八人ぽっちさ。逃げた一人が大げさに言ってんの。ま、おかげで色々と楽出来てる」


 そして彼女が開いた扉の先には、一人の少女が拘束されていた。赤い髪にビーズを編み込み、真っ白な肌には戦闘民族のような迷彩を入れている。きっとそれは彼女なりの偽装なのだろうが、どうにもステレオタイプな感は否めなかった。


「ロッド。ツクヨミ」


 椅子に縛られたセレネは、苦々しい表情で言った。

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