その六

 否定すると思っていた。


 当然だろう。


 しかし彼女は意外にも簡単に”サクラ”の事実を認めた。

 

 秋子はコップに麦茶を注ぎ、一飲みしてから話し始めた。


 彼女は20代の初めの頃結婚をした。

”愛していたから”というより”妊娠してしまったから”という方が早い。

 要は”出来ちゃった婚”というやつだ。

 夫は彼女より四つばかり年が上だったそうだが、少しばかり見た目がいいというだけが取り柄で、生活力がさほどあったわけでもなかったし、親になるという自覚も、夫であるという自覚もまるでなかった。


 当然、その帰結として、夫婦関係は破綻し、別居から離婚というコースを辿った。

 子供は彼女の手元に残された。

 彼女は子供と自分の生活を支えて行かねばならない。

 そのためには贅沢など言っていられず、朝から晩まであらゆる仕事をこなした。


”あらゆる仕事”というからには、犯罪ではないが、凡そ他人に対して口に出来ないような性質のものも含まれていた。彼女はごく自然な口調でそう答えた。


”サクラ”の仕事もそのうちの一つで、家にいて、パソコンか携帯があれば可能というところに魅力があった。

 仕事を始めた頃は、息子もまだ中学に上がったばかりだったし、出来るだけ家にいてやりたい。そう思っていたからである。

 そうして息子は成長し、高校も出て、今では神奈川県にある精密機械の部品工場で働いているという。

 だが、この仕事を始めてみると、他のパートや肉体労働(まあ、風俗も肉体労働だろう)よりも、割がいいというところから、次第に”サクラ”を専業にするようになっていった。

『詐欺に等しい仕事だという自覚はありましたけれど、実際に男性とメールでやりとりはしているわけですから、お金をだまし取ったりはしないし、私も一度だって要求したことはありません。初めはそう思っていました』


 実際問題、結構いい稼ぎになったという。

 一日大体4~5人の相手とメールでやりとりするだけで、多い時には五万円ほどの稼ぎになることもあった。


 一人の相手と長くメールすることはまずなかったのだが、ある一人の男性だけは別だった。

 その男性が”だいすけ”こと、佐藤弘であることは言うまでもない。


 大抵他の男はのっけから猥褻な話題に持ってゆこうとするものだが、彼だけは違った。

 会社の愚痴、仕事の失敗、読んだ本、観た映画の事・・・・そんな内容だった。


 初めは彼女も商売に徹し、適当に話を合わせていただけだったが、そのうちに段々彼の境遇に同情を寄せるようになり、他の会員(客というべきか)とは、あまりメールをしなくなってきた。

会社からは”数をこなさないと稼ぎにならない”という注意を散々うけたものの、どうしても”ひろし”だけには素っ気なくすることが出来ず、そのうち主に彼とだけしかメールをしないようになっていった。


『あの人、純情なんです。どこかほっておけないって言うか・・・・でも、私って悪い女ですよね。』


 そう思って反省はしてみるものの、かといって仕事を止めるわけにもゆかない。


 こんな年齢とし(56歳だそうだ)になってくれば、勤め先だって限られてくるから、今更他を当たるわけにもゆかない。


 俺は麦茶の入ったコップを飲み干し、二杯目のお代わりをした。


『今日、カトレアクラブの事務所に行ってきたんですがね。あそこはどう見ても』


 そう言いかけたとき、ドアチャイムが続けて鳴らされた。


 彼女はびくっと身を震わせる。









 

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