第20話 ロカンポール

 ロカンポールは近くで見ると意外にも美しいけものだった。


 フォルムは狼に似ていて、尻尾はいっそゴージャスなほどにふんわりしている。そろそろ冬毛に生え変わりつつあるのだろう、濃いグレーの体毛にところどころ白っぽいものが混じり始めているのが少しかわいい。

 狼とロカンポールを識別する方法は、首周りにあるたてがみ、それから目だと言われている。ロカンポールは雄雌問わず首のあたりにふんわりとした長い毛が生えていて、走ると少したなびくのだ。

 彼らが駆ける姿は何とも言えず美しい。はっきり言うならば、とても腐肉を漁るようには見えない。


 だが彼らと狼を明確に分けるのが目だ。

 ロカンポールの目は、山羊と同じ切り込みを入れたような瞳孔になっている。山羊は夜になると普通の黒目のかたちに戻ると言うけれど、ロカンポールは戻らない。恐らく光以外の何かで外界を感知しているのだと思う。いつまでもあの悪魔めいた瞳孔のままだ。

 それ以外は狼とほとんど変わらない。連携をとってチップの左右を走っているあたり、かなり狩りが上手そうだ。


 その中でもひときわ大きく、ひときわたてがみが立派な個体がいた。それはチップの言葉や意図を誰よりもよく理解しているようで、まるで忠犬のようにぴたりと彼に寄り添って走っていた。


「そのロカンポール、あなたを、ボスだと思っているみたいね!」

「だろうよ! オレがアルファでこいつはベータだからな!」


 チップは舌打ちと唸り声でロカンポールに指示を出す。十五頭ほどで構成された群れは、その合図に応じて動きを様々に変える。

 彼らが追っているのは、チップを狙った神性獣の匂いと足跡だ。

 光が当たりづらいから地面もほんのり湿って、足跡が薄らと見える。渦巻き状の足跡は神性獣の特徴だとネムが言った。


 まだそんなに遠くへは行っていない。追いつけるはずだ。

 走りながらチップが話してくれたところによると、二週間ほど前から森の中に異変を感じていたらしい。何かが根腐れしているような異臭がしていた、とのこと。

 元々墓地が近く、死体には事欠かないセプ・ルクルムだ。ロカンポールだけではなく、魔力を帯びた生物たちが迷い込むことも多かったらしい。最初はそんな類の動物だと思っていた。


「けど違った。牡鹿だったんだよ。この森にはあの種の鹿はいねェはずなのに」

「それで、神性獣だと?」

「それだけで分かるわきゃねェだろ。最初は精霊の類かと思った。だが足跡が―渦巻き、というか螺旋状になっていて、それで分かった。神性獣だと」


 神性獣がこんなところで、と思う気持ちはチップの中にもあった。しかしさわらぬ神にたたりなし、動向を注意深く伺うだけで、こちらから接触しようとはしなかった。

 とは言えあちらの意図が分からない以上、きちんと見張るに越したことはない。援軍を要請したその当日に神性獣に襲われたのだと言う。

 黙して語らぬ神性獣は、角で彼の心臓を一突きして用を済ませた。


「……近い」


 チップが舌打ちで合図し、ロカンポールとあたしたちの足を緩めさせる。

 身を低くしろと手振りで合図されたので、適当な茂みに身を隠した。チップの視線の先をそうっと伺う。

 金色の牡鹿がそこにいた。神々しいというよりは、森の中ではどうにも硬質すぎる印象を与える色合いで、僅かに射し込む日光に合わせてきらめくのも、なんだか不自然な感じがする。

 例えるならば彫刻に金色の薄い絹を被せたような感じで、肉体の存在が感じられないような印象を受けた。


「あ、あれか、心臓」


 押し殺した声で言うネムが指差すのは、牡鹿の口元だった。彼は白い鳥かごのようなものを咥えていて、その鳥かごの中には、トマトのように赤くて平べったい餅のようなものが入っている。

 それがどくんと脈打ったので思わず顔をしかめた。


「ちょっと悪趣味なデザインじゃない?」

「分かりやすいって言えよな。的は目立つ色の方がいいだろ? しかしまあ、ちょっとケミカルな色味にしすぎたかな」


 そう笑ってチップは周囲にちらりと目をやる。


「神性獣って、どのくらい辺りを把握できるもんなんかな。つまりその、地中に何が埋まってるかとか、そういうのって分かるのか?」

「分からないだろう。神性獣の能力はオブシディアンとほぼ同じだ。つまり、今ここにいる神性獣があの一個体だけであれば、地面に何が埋まってるかなんて分からない。オブシディアンも神性獣も、単体でいるときは知覚があまり鋭くない。特に人間の個体識別が素早くできない」


 答えたのはネムだ。油断なく牡鹿の方に目をやりながら、


「触覚は特に鈍いとされている。他は大体人間並みだ」

「単体でいるときはってことは、別のオブシディアンないし神性獣がいると知覚が鋭くなるってことか?」

「ああ。奴らは同種間での戦闘に特化した生態を持っている。いくら不老不死とは言え、常時気を張っていると脳に負荷がかかるんだろう。同種がいるときだけ異様に知覚が発達する」

「なるほどね。あんた若いのに詳しいな。槍持ってるし、神性殺しか?」

「残念ながら、もどきだよ。これはレプリカ」


 チップはふふんと鼻で笑った。


「何でもいいさ。ゴールはあいつから心臓を奪い返すことであって、あいつを殺すことじゃないかんな。要するに、あいつ一体なら勝算はあるってこった!」


 不敵に口元を歪めたチップが、おもむろにあたしの方に向き直った。


「と言うわけだ、ハッキネン」

「は、はい?」

「死体は好きか?」



 *



 信じられない。信じられない!

 チップのやつあとで絶対にひっぱたいてやる。信じられない、本当にばか、人間のすることとは思えないし断じて許すべきではないし何本中指を立ててやっても気持ちがおさまらない!

 小声で吐き捨てた呪詛の言葉は全部、目の前の腐りかけた誰かの眼窩に消えていった。


 あたしがうつ伏せになって身を潜めているのは集団墓地だ。身寄りのない人々が葬られる場所で、なんと恐ろしいことに棺にも納めず土葬するのだという!

 ゆえに、セプ・ルクルムの集団墓地は、所々死体が露出し異臭を放っているという世紀末の様相を呈しているのであった。

 昔はこの辺りは貧民街で、棺に納める余裕のない市民が多かったからと聞くが、さすがに今はそこそこ栄えている町である。それでもなぜ今もその風習が続いているかと言えば、ロカンポールの為だった。


 ロカンポールは近年その生息域を大幅に縮小しており、いずれ種としての存続が難しくなってしまうだろうと国は予測していた。ゆえに、そのロカンポールを増やす為の対策として、身寄りのない遺体に限っては棺無しで土葬し、慎ましやかな腐肉漁りロカンポールが食べやすいようにしてやっているのだという。

 博愛の精神はなるほど結構だが、使いどころがおかしくないだろうか。っていうかその場合、身寄りのない人々の骨はどうなるのか。今は身寄りがなくても、いつかその人を探している人が現れて、墓参りをしたいと言ったらどうするのだろうか。ロカンポールが闊歩する集団墓地を指差して、ここにいますと言われても俄かには信じがたいのでは。


 そもそもこんな風にカジュアルに埋葬して病気とか流行しないのだろうか。あたしの目の前にごろりと転がった頭蓋骨には、まだほんのり肉と髪の毛がついていて、いかにも不潔そうで、今すぐ口を押さえて逃げ出したくなる。


「うう……」


 幸い気温がかなり低いので、腐臭はさほど鼻につかない。というよりあたしが慣れたのか。でも髪の毛や鼻毛に死臭が染み込んでいそうで、蛆虫だの蠅だのが這い登ってくるんじゃないかと妄想したりしてしまって、今すぐ飛び出して体を洗いたい衝動に駆られた。


 肉体的にはさほど辛くないのだが、気持ちが非常にしんどい。瑠依さんはあたしに雌伏せよと言っていたが、絶対こんな意味じゃない。

 文句を言いたい気持ちでいっぱいだ。だがあたしの仕事はこの作戦の要、チャレンジは一度きり。失敗はできない。


 チップの立てた計画はこうだ。

 神性獣の気をそらした上で、あたしが心臓の入った鳥かごを奪う。以上。


 正直に言うならばザルすぎる計画のように思うのだが、しかし現時点ではそれ以上の案が思いつかない。ロカンポールとネムが神性獣をこちらへ追い立ててくれる手筈になっているけれど、果たして――。


「……来た」


 しかし順番が違う。追い立てるのならば神性獣が先に来なければならないはずなのに、必死の形相で走っているネムの方が先に墓地へ飛び込んできた。


「あ、あれ?」


 まあ、神性獣もすぐに続いてやって来たから、いいのか。

 けれど予想以上にスピードが速い。相手が油断している隙に、とかそういう次元の話ではなく、まず追いつかなければならない。


 ネムが槍を振るう。けれど地面がぬかるんでいたのだろう、踏みしめた足元がぐらりと揺れ、バランスを崩す。神性獣はその雄々しい角でネムの体を下から突き上げた。

 鈍い音がして、彼の顔が痛みに歪む。突き刺さってはいなさそうだけれど、みぞおちに綺麗に入ったらしく、必死に飛び退るのがせいぜいだった。

 彼に防御魔術を展開しておけばよかった、と歯噛みする。今となってはもう遅いが。


 すかさずロカンポールたちが現れ、身軽に地面を蹴りながら神性獣を挑発する。神性獣が苛立たしげに首を振るが、腐肉漁りのけものたちには届かない。

 骨と骨が触れあい、時に割れる乾いた音がする。神性獣は威嚇するように、力強く脚を踏み鳴らした。

 ネムの槍と角がぶつかって高らかに鳴り響いた。短い間隔で打ち交わされるその剣戟をあたしは見知らぬ骨と一緒に聞いている。体の内側から鳴らされているようなその音と同調するような錯覚を覚えた。


 伏せたままゆっくりと前進する。体を糸みたいにうねらせて、湿った地面の上を這う。手のひらに感じる冷たい感触があたしの頭を冷やしてくれた。

 神性獣はネムとロカンポールで手いっぱい。やっぱりあの心臓は大事なものなんだろう、咥えたり角に引っかけたりして、奪われまいと守っている。

 あたしが両手で抱えても余ってしまうほど太い脚が、地面を強く踏みしめる。その瞬間神性獣の上体ががくりと崩れた。地盤が緩くなっていたのだろうか、四本の脚を慌ただしく動かしてバランスを取り戻そうとしている。


 その隙を見逃すネムではない。彼の槍が鋭く唸って神性獣の角に打ち当てられる。複雑な形をしている角を絡め取るようにして、神性獣の頭を地面に釘づけにする。

 咥えた白い鳥かごが激しく揺れている。ロカンポールが神性獣の喉笛に噛みついた拍子に、ひときわ大きく振れ、神性獣の視界から逸れた。


 今だ。


 地面を蹴って思いっ切り鳥かごに飛びつく。鳥かごにぶら下がるようにして体重をかけたけれどびくともせず、逆に神性獣の蹄で太ももを蹴られた。


「いった……!」


 足を持ち上げて、逆上がりの要領で神性獣の首に蹴りを入れた。何度も、何度も、執拗に。

 それが煩わしかったのだろう。神性獣はケケケッという鳴き声を上げて、あたしの肩口に噛みついた。

 ごりり、と骨ごと肉を轢き潰されるような痛みが脳を貫く。こいつ、草食動物のくせに、のこぎりみたいな牙が生えてる。

 けれどここで引いてはだめだ。


「ネム……ッ、鳥かごの金具、切って……!」


 小型ナイフの先端が、あたしの目の前を掠め、神性獣の鼻づらと金具を一緒くたに切り裂く。神性獣が痛みに嘶いた瞬間、噛む力が少し弱まった。

 鳥かごを抱えて体を捻る。ぎりりと引き絞られるような痛みと共に、地面に落ちた。

 目的のものは手に入った。心臓、中にちゃんと入ってる。


「走れ!」


 骨を蹴飛ばして、腐った肉を踏んづけて、あたしは走った。

 これを持って風上の方で待っているチップに会う必要がある。心臓を戻して、それから。


「ッ、だめだ、避けろハッキネン!」


 名前を呼ばれた瞬間、轟音と共に凄まじい力で地面に叩き付けられて、あたしは意識を失った。

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