第19話 チップ・ウォルター

 バスから降りた場所は、小さな村の端っこだった。

 ここから森までは徒歩で十五分ほど、とのこと。

 

 太陽がさんさんと降り注いでいるのがなんだか新鮮だ。アルハンゲリスクでは常にミネルヴァの影を感じていたので、ようやく羽を伸ばせる感じ。目上の人がいなくなって、好きなことを喋れる集まりのように気が軽い。

 魔術も好きなように展開できるのだ。


「”ガーデナー”にあたしたちが着くこと連絡しなくちゃ」

「電話とか通ってんのかな」

「そうじゃなきゃここに電話番号書いてないよ。さすがに森の中でも電話は通じるもん」


 田舎をなめすぎじゃないかと思って睨むと、ネムは真顔で、


「いや、何かを見張ってんなら、下手に電話していいのかなと」

「あ……。そっか、音とかで……」

「まあでも、俺らが行かされるってことはそんな切羽詰まった件じゃねえんだろ。事前連絡無しに近づいて面倒なことになっても嫌だし、やっぱ電話しとくか」

「う、うん」


 そうだった。ネムは仕事になると本当にしっかりしているんだった。

 ネムはその番号にかけていたようだが、しばらくしてから小首をかしげた。


「出ない、っていうか電波があんまり良くねえ」

「留守かな」

「まあ、宿は取ってもらってるし、こないだみたいにはならねえだろうけど。森が近づいたらもう一度トライする」


 そう言って携帯をポケットに突っ込み、早足で歩きだした。

 背の高い木がトンネルのように日差しを遮っていた。夏はとてもいい散歩道になるだろう。ひと気こそないが、きちんと手入れされていることが窺える道だった。


 けれどそれも森へ至るまでのこと、どんどん背の低い木々が鬱蒼と茂り始め、太陽の光が差し込まなくなってきた。整備された道は消え失せ、柔らかな土を足裏に感じるようになる。

 なんとなく懐かしい。山とはまた違う、白樺や背の低い木々が林立する森の風景。立ち込める葉っぱの匂いに濃い土の香りが足を弾ませる。


「道分かるか?」

「うん。ちゃんと道が踏み固められてるから」


 ネムには分かりづらいようだったが、あたしにはすぐ分かった。”ガーデナー”が定期的に村へ出入りしていることの証左だ。草が少し倒れている道を歩いていけば、少し開けた場所に出た。


 木々に取り囲まれ、少し小高くなっている場所に二階建てのロッジがあった。やっぱり木造の建物だ。南の壁面には夥しいほどの蔦が絡まっていて、一瞬自分の家に戻ってきたのかと錯覚を覚えた。

 呼び鈴はない。強めにドアをノックするが、反応はない。


「あ、開いてる」

「入ってみよう」


 押し開けて中に入ってみる。柔らかな木の香りが出迎える、と思っていた。


「うあっ」


 思い切り妙な匂いを吸いこんでしまい、むせた。


「な、なにこれ、なに!?」

「煙……!? 暖炉で何か燃えてる」


 ドアを開け放ったままそろりと中に足を踏み入れる。中は煙ですっかり視界がきかなくなっていたが、正面にある暖炉に明々と火がともっているのは見えた。

 ネムが折りたたみの槍を素早く広げ、構える。あたしは彼がベルトに差していた小さな懐中電灯で行先を照らした。


「燃えてるのは……本かな?」

「ああ。油を染み込ませてたんだろうな、この匂いは」

「……うわっ、ね、ネム!」


 思わずネムの裾にしがみつく。あたしの懐中電灯が照らす先には、ごろりと物のように転がっている体がある。足からそっと照らしてみると――。


「……胸んとこに孔が開いてんな」

「でも、傷口が変だよ……? 血も流れてないし」


 今もなお悪夢に見る、あの螺旋状の傷跡ではない。そこだけブロックが外されたみたいにぽっかりと空いている。


「何だろう、これ……」


 恐る恐る近づきかけた、その瞬間。

 死体の目がかっと見開かれた。


「野郎、オレの心臓持って行きやがったな!」

「うわっ!?」


 死体が喋ったので文字通り飛び上がった。慌ててネムの後ろに隠れたら、舌打ちと共に懐中電灯を奪われた。


 煌々と照らし出されたのは、ひげをぼうぼうに生やした男性のしかめっ面だった。上体を起こし、ぼさぼさの頭を搔いている。ひげがあるせいで老け込んで見えるけれど、お肌がつるりとしているので、意外と若いのかもしれない。


「あんたら、神性生物対策班から派遣された奴らか?」

「そうだけど。あんた、セプ・ルクルムの”ガーデナー”か?」

「ああ。まずいぞ、オレの心臓が奪われた」

「心臓……その、ぽっかりと空いてる?」


 恐る恐る指をさせば、男はこっくり頷いて立ち上がった。


「連中が持ってったのは、セプ・ルクルムとオレを繋ぐための魔力としての心臓。そいでここにあるのは、オレの体を保っておくための肉体としての心臓。分離しておいてよかった、とりあえずは命拾いしたぜ」

「分離……?」

「おう。オルトラの二の舞はやらん」


 言うなり男性は立ち上がった。胸にぽっかり空いた空洞が、するすると埋まってゆくのが見える。まるで逆再生しているみたいに。


「そろそろオレのところに来るだろうと読んで分離しておいたんだが、連中の容赦のなさといったら! いやはや首を落とされるところだったぞ、さすがに首はスペアがねえわ」

「あ、あの、連中って」

「連中は連中さね。恐らく神性獣だ」

「神性獣……? どうしてこんなところに」

「さあね。何もミネルヴァから落っこちてくるばかりが能じゃねえってことか。オレが見たのはでっけえ牡鹿だ。出会い頭に心臓狙うたあ、礼儀のなってねえ野郎だよ」


 男性は暖炉の方を見てうえっという表情になる。


「あいつらオレの本燃やしてったなあ!? くっそー、あれで森の様子が伺えるってのに。まあいい、ともかく俺の心臓を探さねえと、セプ・ルクルムの森も閉じちまうぞ」


 心臓を二つに分けるとはなかなかの英断、いや蛮行だが、今回ばかりは時間稼ぎになったらしい。もう一つの心臓を回収できれば、森は閉じられないで済む。

 けれど一般人にとって心臓の重要性は分かりづらいらしく、ネムがイライラしたように、


「どういうことだ? 心臓と森に何の関わりがあるんだよ」

「”ガーデナー”は森に心臓を捧げる契約をしているの。心臓が鼓動している限り、その”ガーデナー”と森は繋がっていて、森は人間に開かれている。”ガーデナー”が死んだら、心臓は森に埋めて返し、また次の人間の心臓と接続する」


 ばあちゃんは心臓を奪われてしまった。だから森に返すことができなくて、オルトラの森は閉じてしまったのだ。もし心臓が残っていたとしても、後継者のあたしがオルトラの森と繋がっていなかったから、意味はなかったのだけれど。


「だから連中は心臓を狙うわけだな。しかも心臓だ、使い道は山のようにある。魔力補充代わりに煮てもよし焼いてもよし、使い魔に与えるのもありだ。だが今回は……」

「うん。神性獣は気づくと思う、心臓が半分ないことに。森が完全に閉じきっていないことに」

「そしてこっちに戻ってくる、か。とにかく急いでここを出るぞ。早く心臓を見つけなきゃならねえのはこっちも同じだ。連中は知らんだろうがな、この状態が長く続けば、オレが死ぬ。死んで森との繋がりが途切れてしまう」


 そう言うわりに焦った様子はない。


「こっちもあっちも条件は同じ。ってことはいつもと同じ、狩りってわけだ!」


 不敵に笑いながら、男は部屋の隅のロッカーを開けると、中から猟銃を取り出した。慌ただしく上着を着込みながら、


「言い忘れてたな。オレはチップ・ウォルターだ。セプ・ルクルムの”ガーデナー”。あんたらは?」

「ネム」

「あたしはミルカ・ハッキネンです」

「ハッキネン? お前さん、もしかしてオルトラの婆のちんまい孫娘かあ! アッハハ道理でにおいが似てるわけだ。それに……」


 目を眇めてこちらをじろじろと見てくるチップ。へえ、とにんまり笑うと、存外綺麗な真珠色の歯が覗いた。


「オルトラの婆もなかなか考えてたんだな。なるほどこいつは気づくまいよ。術士の真似事しかできねえっつってたわりにはやるじゃねえか」

「あの? 何のこと?」

「しかも孫娘は尖った術士ときている。平々凡々な一山いくらの術士よりよっぽどマシだな。いいぞいいぞ、死んでも死なねえ婆だぜ!」


 心臓が半分ないとは思えない元気さである。良いことだが。


「ハッキネン。セプ・ルクルムへ来るんだ、岩塩は持ってんだろうな」

「うん。小袋にこのくらいだけど」

「上等! そんならさっさと狩りに行こう。向こうが牡鹿ならこっちはロカンポールだ」

「ろ、ロカンポール!?」

「腐肉漁りのディアガッツ。浅ましい森の掃除屋……。そう思ってんだろ?」


 にやりと笑って家の扉を開け放つチップ。

 気づかなかった。外にはたくさんのけものの気配が満ちている。はッはッと小刻みに呼吸する声がしじまのように広がってゆく。


「ロカンポールの真価を発揮する時だな。連中は狼より粘り強く、狐よりも執念深い」


 追うぞ。


 そう言って飛び出すチップを追うべく、あたしたちも駆け出した。


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