第玖夜 宝石商の鞄と金庫

(承前)

 大叔母の夫のことを私も妹も「おじさん」とは呼ばなかった。大抵はチェシャ猫のようにニヤニヤと怪しげな笑みを浮かべ、万事につけ思わせぶりな、外連味たっぷりの、大仰で子供染み(ているように私の眼には映っ)た言動を伴うその「おじさん」は、しかし時折ふと、何を考えているのか解らない能面のような澄まし顔をする、捉えどころのない、まさしく「親戚の変なおじさん」のお手本のような人だった。他のオジたちのことは本名や苗字を冠して「〇〇おじさん」「〇〇のおじさん」と呼ばせた私の両親も、その「おじさん」のことだけは本名で「Tちゃん」とだけ呼ぶことを私と妹に許した(大叔母はTちゃんのことを「パパ」と呼んでいた)。

 Tちゃんの職業を古めかしい名指しで表すれば、これは「宝石商」ということになるだろう。大叔母と伴って運動会の応援に来てくれる時は、いつも半袖のポロシャツにスラックス、窮屈そうな胴回りに巻かれた存在感のある黒革のベルトという、ゴルフにでも行きそうな装いで現れたものだったけれど、一年に二度くらいの頻度だったろうか、仕事の得意先巡り――私の母の知人で家同士も近かったOさんという方が偶然にもTちゃんのお得意様だったらしい――で私の実家の近くまで来たついでにふらりと立ち寄ってくれる時があって、その時はダークスーツを纏ってネクタイを締め、薄らと煙草の匂いを漂わせていた。

 仕事帰りのTちゃんは、いつも重たそうな鞄を持ち歩いていた。「商売道具」を詰め込むための鞄で、これは何種類かあったようだ。分けても私の記憶に一等強く残っているのは、真っ黒な重箱に取っ手の付いたような鞄だった。各「重」は養蜂箱の巣枠を思わせる鍵付の抽斗になっていて、そのいずれにもびっしりと宝飾品が収められていた。鍵を開ける時は、鍵そのものが立てる金属音とともに鞄全体をも震わせる、深水に大きな石を落としでもしたような重たい響きが私の耳を愉しませた。Tちゃんは私に鍵の開け閉めを許して何度も遊ばせてくれた。そして私は、その鞄のある「重」に三つ列んで収めらた指輪の紅縞の石、サードニクスという宝石が私の誕生石であることを教わった。透明な翠や紫の宝石、殊にタンザナイトの耀きが好きだった少年の私には、サードニクスの透明でないところもその色味も好みではなく、少しガッカリした記憶がある。妹は小さなダイヤモンドを列べて象った猫のブローチが気に入っていたようだった。

 大叔母との思い出がどこか遠くから眺める絵画のようなものだとすれば、このようにTちゃんとの思い出は直に触れようと思えば触れられそうな彫刻のように、もう少し立体的なものとして私の中に残っているような気がする。

 いつだったか父の職場で結婚する方がおられて、父の紹介でTちゃんから指輪を買ったことがあった。その商談の場に選ばれたのは私の実家の客間だったから、母に邪魔しないよう釘を刺されながらも私はこっそりと二人の遣り取りを窺っていた。いかにもテニスをやっていそうな、白いポロシャツから陽に焼けた肌を覘かせる若いお兄さんとTちゃんがテーブルを挟んで対座していた。「どれにしようかな」とまるでお菓子を選ぶ少年のように独り言ちるお兄さんに対する時のTちゃんは、チェシャ猫にあらず、目の前の若いお客様を見守る、どこか誇らしげとさえ見える表情を湛えた、私が初めて見る「商人」の顔になっていた。選びあぐねているその若いお客様に「これでもか、これでもか」と言わんばかりに、持参したアタッシェケースを次々と開いては指輪を見せる、そんな見慣れぬTちゃんの姿が私には新鮮だった。いつか貰った名刺には店舗の記載もあったように記憶しているものの、宝石を売り歩く「宝石商」のイメージがTちゃんには相応しいように当時も今も思われてならないのは、定めしこの時の光景が強く残っているからだろう。

 「宝石商」としてのTちゃんを強く印象付ける光景がもう一つある。大叔母の、そしてTちゃんの家に遊びに行ったあの夏の日、バーベキューを終えた後、暗くなるまで庭で遊んだ私と妹は、大人達が夕食の支度を進める中で今度は家の中の「探検」を始めた。今にして思えば随分と行儀の悪いことだけれど、私たちは部屋のドアというドアを開けては中を確認して見て回った。やがて、ある一室の半開いたドアから漏れる光に吸い寄せられて向かって行くと、その部屋の中でTちゃんが自分の背丈ほどもある巨大な金庫と対峙しているのだった。「何してるの?」と中に入ろうとする私たちに、Tちゃんは驚くほど機敏な挙措で片方の掌を見せて「来るな」と示し、無言でこれを制した。その時の顔もやはりチェシャ猫にあらず、口を真一文字に結んだ「能面」だった。いつもとは違う空気に怖じ気づいた私たちはドアの隙間から少し遠巻きにTちゃんの様子を窺った。時折、ドアの外の私たちにちらちらと視線を送りながら――だから恐らく、いつもの「お芝居」が含まれていたのだろうとは思う。ただ「いつから?」そして「本当に?」――、ジリジリジリ、ジリジリジリというバッタの羽ばたきのような音を立てて金庫のダイヤルを回す様子は、どこか魔術の儀式めいて当時の私の目には映じたものだ。お蔭で私は金庫の中身に思いを馳せ、想像を膨らませることができた。

 魔術のイメージは、夕食を終えた後、Tちゃんが私たちに二つの手品を披露してくれたことで決定的なものとなったようだ。物体を消失させるものと、紙に書いた数字を当てるもので、ネタばらしをしてもらった後は「なあんだ」と拍子抜けする子供だまし――子供なのだから仕方ない―――ではあったものの、そんなこんなで今にして思えば、あの日は少年の私にとって本当に濃密な一日となったように思われてならない。また、余りにその日の出来事が鮮烈であったからこそ、次の日のことを覚えていないのだろうとも。

 大叔母と離婚した後、当然のことながらTちゃんは私の実家に寄りつかなくなってしまった。けれども、お得意様のOさんのお宅には変わらずお邪魔していたようで、そのことはOさん経由で母や祖母に伝わるから、二人が「Tちゃんが来ていたらしい」と声を潜めて話しているのを聞いた時、私はやはり胸が痛んだ。

 いつもは「親戚の変なおじさん」であるはずのTちゃんが、仕事に関わる時間にだけ見せる「真面目な」姿。「真面目な」といえば、いま以て謎めいている「真面目な」手紙をTちゃんから一度だけ貰ったことがあった。海外だったろうか、どこか旅先の列車の中から送られたその手紙の内容は殆ど忘れてしまったけれど、「男同士なのだからお父さんの話し相手になってあげなさい」という一節だけは未だに印象深く鮮明に記憶している。当時、その文面からTちゃんらしからぬ「真面目な」ものを感じ取って不思議だったとはいえ、今にして妻と娘二人というTちゃんの境遇を思う時、実はそれは息子のいないTちゃん自身の願望だったのではないかとさえ深読みしたくなってしまう。あるいは、自身の離婚の予兆が端なくも滲み出てしまったのか、それとも私の父母の仲らいについて、私には明らかにされない何事かを前提とした物言いだったのだろうか。解らない。解らないままで良いのだろう。それよりも今はただ、Tちゃんの末の孫(男)が今年晴れて大学生になったことをTちゃんも知っていればいいなとは思う。

 にしても、ああ何たることか、夜も更け切らぬうちから穿ち、探り当てた懐古の泉は滔々と湧き出づるばかりに流れ出して枯れる気配がない。この泉は深い。後篇が更に前・後篇に分かれるなどとは夢想だにしなかったけれど、この際、残さず漏らさずサルベージしておこう。次夜は「親戚の変なおじさん」、Tちゃんの本領発揮を……などと考えつつも力尽きそうなので、一先ずは擱筆して今夜は眠ろうか。

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