第捌夜 大叔母の家

 〈少年少女〉の身の上に流れる時間が人生の中でいかに特殊なものであるか……昨年、カクヨムで出逢った小説の幾つかによってそう再認識させられたことが一つの契機となり、また折しもこれに引っ越しが重なったことで過去と対峙する時間が否応なしに増えたことも作用したらしく、今年に入ってから自分の幼少年期について思い巡らす時間と機会とが確実に増えて今に至る。その過程で「日常を共有しなくなった者同士の会話は、近況報告の尽きて後、得てして使い古された思い出話をなぞるしかなくなってしまうらしい」などと第漆夜ではおセンチ(死語)に嘯いておりながら、一方でちょうど二ヶ月前に我が蓬屋での束の間の居候をしていった妹とその間に「語り合える過去、共有する思い出」を「なぞる」中で、パラフィンのように散り積もった埃の皮膜が取り除かれでもしたのだろうか、不意に像を結んで甦った思い出のあったことは意想外に悦ばしく、黄金週間最終日の眠られぬ夜に、散漫ながらも可能な限り記し留めておこうと思い立った(今回もやや長くなるので第伍・第陸夜のように前・後篇に分けたい)。

 その思い出は私が小学三年生だった夏休みに泊まりがけで遊びに行った大叔母の家のイメージを基点として拡がっている。とはいえ、この一塊となった極めて私秘的な思い出の集合体は、一部は微に入り細を穿って驚くほど鮮明、鮮烈に浮かび上がる一方、逆に朧気で模糊たるイメージとしてぼんやりとしている部分もあり、その意味ではムラの多いことは否み難い。そういったイメージの残滓に後付け的に、当時の私が持ち得なかった語彙を充てて復元する作業であるので、クローチェのいう「すべての歴史は現代史である」との至言を想起するまでもなく、無意識にせよ今の私の「解釈」が入り込んで歪んでしまう余地の大いにあろうこと、個人的には何とも残念なことではある。ただ、なるほど「在るものを在るがままに」という牧歌的な素朴実存主義の叶わぬ夢は、眠られぬ夜に見るこそ相応しいだろう。でなければ、書けやしないのだから。


 私が小学三年生だった夏、私たち家族四人に祖父母を合わせた六人で大叔母の家に泊まりがけで遊びに行った時のことである。大叔母家族は「ボン」という大きなコリー犬を飼っていたので、私と妹は大叔母のことを「ボンのおばさん」と呼んでいた。祖母の妹にあたる大叔母は、どちらかと言えば小柄で着物の似合う祖母とは対照的に上背があって、和装よりも洋装、殊にスカートの似合うフェミニンな人だった。思い起こせる限り、パンツ姿を一度として見た記憶がない。そして長い髪をオールバックにして留める鼈甲柄の――プラスチックだったのかもしれない――カチューシャが大叔母を象徴するアイテムだった。子どもだった私の眼にはそういった装いと佇まいがいつも余所行きのように映り、テレビドラマなどに登場する「奥様」とか「おば様」といったイメージを髣髴とさせるものだったから、大叔母には気安さや親しみやすさというよりも、会えば思わず行儀良くしてしまう、背筋が伸びてしまうような雰囲気を見出していた。

 そんな大叔母に会えるのは、何かの記念日などで一族が一堂に会する時や曾祖父母の家を訪ねる時など概ね大人数で集まる機会が多かったものの、祖母と親しかった大叔母は私の小学校の運動会にも祖父母とともに自身の夫――典型的な「親戚の変なおじさん」、後篇の主役――を連れ立ってよく応援に来てくれていた(保護者有志による徒競走に参加した時の、スローモーションのような独特の「優雅な」走りで最下位でゴールした姿が今でも思い起こされる)。

 大叔母の家はとにかく大きくて、塀に沿って繁茂する樹々に囲繞された芝生の庭も随分と奥行きがあったように記憶している。その時分、大叔母夫婦の二人の娘は結婚したり社会人になったりして二人ともすでに自立しており、夫婦はその大きな家に二人暮らしだった。私たちが遊びに行ったのはボンが死んで間もない頃で、庭には主のいない大きな檻がまだ残されたままだった。

 大叔母の家で特に目を惹いたのはステンドグラスの飾り窓だった。玄関先や庭に面した壁面、サンルームに施された飾り窓に嵌る黄色と黄緑色とを基調としたセキセイインコのような色味のステンドグラスは、少年だった私に静かな昂奮を催させるものだった。実家や祖父母の家にはない、どこかしら異国のような雰囲気を感じさせたからだろうか。異国風といえば、浴室にもいわゆるモザイクタイルの類の装飾が施されていたように記憶している。

 遊びに行ったその日、午過ぎに到着した時にはすでに庭でのバーベキューの準備が調っていた。実家でも日曜の午后などに庭で焼き肉をすることはあったけれど、それがステンレスの簡易式の焚き火台を中心としてこれを折りたたみ式のディレクターズチェアで囲み、クーラーボックスで冷やされた飲み物を片手に紙の食器で食事をするキャンプのようなものだったのに対して、大叔母の家で催されたのは、ドラム缶を半分に切ったような二つのバーベキューコンロ、籐椅子やテーブルセットを列べた本格的なバーベキューだった。私はこの時、銀の串に刺したトウモロコシを初めて焼かせて貰って感動した記憶があり、また林檎が皮付きのまま入ったフルーツポンチ――母の作るフルーツポンチは皮が剥かれていた――が装われたガラスの器の耀きが映像として懐かしく思い出される。

 食事が一段落した頃おいに、私と妹は庭のブランコに乗ったり、ゴルフのホールカップのように芝生が繰り抜かれた穴にポールを差し込んで組み上がった鉄棒にぶら下がったりして夕方暗くなるまで遊んでいた。先日、祖母に電話で聞いたところによると、鉄棒にぶら下がるこの時の兄妹の写真がアルバムに収められているとのことだった。祖父の法事の時に見られるだろうか。

 夜、寝床が用意された二階の部屋に入ると枕元にプレゼントが置いてあって、それは大叔母が私と妹それぞれにくれた本だった。これも先日、祖母と電話で話して聞いたところによれば、大叔母は昔から本が好きで、今でもよく誰彼と本をプレゼントしているとのことだった。私が貰ったのは『ボルピィ物語』という児童書――那須田淳著、挿絵は村上勉、久しく絶版となっている――で、夏休みを利用して父親の単身赴任先であるドイツのミュンヘンを一人で訪れた主人公の五年生の少年が、現地で知り合った少女と森に迷い込み、そこで小人と出逢う物語だった。その日は枕頭を照らす柔らかい白熱球の光の下で私はそれを数頁めくってから睡りに就いた。寝しなに父が一文字だけで遣り取りされた手紙――ユーゴーが出版社に自著の売れ行きを尋ねた――の話と二音だけで成立する東北地方の会話の話をしてくれたこと、大叔母夫婦や祖父母たちが代わる代わる私たち兄妹の寝床の様子を見に来てくれたことが懐かしい。ちなみにこの思い出の本は、実家の自室の本棚に長らく列んだままになっていたものを先だって母に頼んで送って貰っており、今は手許にある。ページの折れもなく、背割れもなく、カバーのよれや傷、色褪せも、新品のそれとまでは行かないにしても殆ど気にならないくらい綺麗なままのその本を手にした時、今よりも大切に、というより神経質に本を扱っていた頃の私に再会したような心地がした。大叔母の家での思い出は、今後もこの本に触れ、読み返す度に懐かしく甦って来るに違いない。

 反面、大叔母の家での次の日のことは全く綺麗さっぱり記憶から抜け落ちていて、どうやって目覚め、朝食は何を食べ、どうやって帰ったか、最早その痕跡すら見出せないのは不思議なことだ。私にとって大叔母の家の記憶が一日目に凝縮している理由は恐らく後篇の内容とも関わるのでここでは措きたい。

 私の人生の時間が無邪気に運動会に参加する季節を過ぎ、曾祖父母がある時期に相次いで亡くなった頃から、大叔母夫婦との交流は途切れがちとなってしまい、その後も何度か顔を合わせる機会はあったけれど、何年か後に二人が離婚したのは何とも残念なことだった。所謂、熟年離婚というものだろう。倖せそうに見えていた夫婦にも、少年だった私には察し得ない、あるいは隠された一面があったのだと今は察せられる。少年の私が生きた「世界」は、そうやって大人の作為によって守られ、ゆえにこそ私の幼少年期は今以て「倖せ」だったと懐古できるものであり続けてくれている。本当に感謝しかない。

 にしても、娘たちが巣立ち、愛犬も見送った後、大叔母夫婦の住んだあの家は美しくもどこか生気の薄い、あたかも演者の足りない舞台のように心寂しい抜け殻になってしまっていたのだろうか。確かにあの家は二人だけで住むには広きに過ぎただろう。家と家族に「賞味期限」というものがあるとしたら……それはいつなのだろうと最近よく考えるのは、やはりそのようになって久しい実家の行く末を重ねて考えてしまう所為であることは疑いない。しかし何より、私が少年期の夏の一時を過ごした、あの大きな家と庭は一体、今どうなっているのだろうか。そのことは、折々に電話する祖母にも未だに聞けていない。

 さて、黄金週間も終わってしまった。明日(といいつつ実は今日)は休日ではないのだから早く眠りたいのに、意志ではどうすることもできない。困ったものだ。

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