第15話 光念

「一度、茂助と連絡を取りましょう」

 初音は、考えに沈み込んだ雷蔵に提案する。

 ここで二人で川を見ていたところで、何か名案が浮かぶわけでもなく、新しい事実が判明するわけでもない。

 二人は、再び、雫町の茂助の妹、おりんの店にたどり着いた。

 小間物屋だけあって、若い娘が数人、楽しそうに商品を眺めている。

 おりんは初音たちに気が付くと、ペコリと頭を下げた。

「すみません。お武家さま。ご注文の品は、裏にご用意してございますので、裏口へお回りを」

「わかった」

 雷蔵と初音は店を出て、裏口に回ると、しばらくして裏の戸を開けて出てきたのは茂助であった。

「ちょうど戻ってきたところで、ようございました」

 茂助はそのまま歩き始めた。

「光念さまをみつけました」

 裏路地を抜けながら、茂助は話す。

「運がよかったです。光念さまは、城下を出られる予定だとか」

「ご城下を出られる?」

「はい。一両日中に、出立されるとのことです」

 茂助は、急ぎ足で、ずんずんと道を急いでいる。

「とりあえず、雷蔵さまとお会いになるまではお待ちになると言ってはいただいておりますが」

 茂助が案内したのは、かなり郊外にある寺であった。

 丁寧に掃除はされてはいるが、全てが傷み、修繕の費用もままならぬようすだ。

「寺を閉めるのか?」

 雷蔵は、寺の様子を見て茂助にたずねた。

「はい。なんというか……直接お聞きになられた方が良いかと」

「待って」

 茂助が寺の門をくぐろうとするのを、初音は止めた。

 しんと静まり返っているが、大きな気配を感じる。

「なにかいるな」

 三人は、ゆっくりと中の様子をうかがう。

 境内には何もいない。

 雷蔵を先頭に、慎重に足を踏み入れると、静かな読経が流れてくる。

 本堂からだ。大きな気配も、本堂の方だ。

「光念どのっ」

 がらり、と本堂の戸を雷蔵が開く。

 広い板張りの本堂で、経を唱えている老いた僧と、鬼としか呼べぬものが相対していた。

 僧と鬼の間で、護摩壇の炎が赤く燃えている。

 鋭い牙、長い角。普通の男性よりはるかに大きな体躯だ。

 大きな口を開き、唾液をダラダラと流している。

 鬼は、ぎぃぃと、大きな目玉を新たな侵入者である初音たちに向けた。

 太い大きな腕をふりあげ、威嚇する。

「茂助、光念さまを!」

 初音と雷蔵は、抜刀して、鬼を囲む。

 読経の声に縛られているのだろう。動きが鈍い。

 雷蔵が、振り上げる片腕を切り落とした。ごろりと、腕が転がり、血しぶきが上がる。

 鬼は、絶叫をあげて、狂ったように残った腕を振り回した。そして、雷蔵と初音を見比べ、組みやすし、と思ったのだろうか。腕を振り下ろしながら、初音に向かってくる。

 初音は、間合いを図り、懐に飛び込むと、鬼の胸に刀を突き立てた。

 断末魔の叫びとともに、鬼はどぅと床に倒れる。磨き上げられた本堂の板の間に、鬼の血が広がっていった。

「助かりました……」

 光念は、それだけ言うと、その場に倒れるように座り込んだ。




 鬼の遺体の始末はひとまず後にすることにし、奥の座敷に移った。

「年は取りたくないものです」

 光念は、法力を使ったことで疲労したのだろう、顔色が随分と青くなっていた。

 座敷はがらんとしていて、行灯以外には何もない。この寺を出るということで身辺を整理したのだろう。

 ぴたりと戸板を閉めてはいるものの、隙間風が吹き込む。座布団ひとつない畳は、冷え切っていた。

「あれは、なんだったのですか?」

「鬼、でしょうな」

 初音の問いに、光念は首を振りながら答えた。

「どうにも危ないと結界を張り直そうとした時に、侵入されました。迂闊でした」

 寺を出ることを延期するという、予定外の出来事のせいもあったであろう。

「おそらくは、使役されたものですな。相手は、わかりませんが、気配は前から感じておりました」

 光念は、肩をすくめた。

「……いつからだ?」

「四六時中、ということで言いましたら、ここ数週間です。かなり危険を感じまして、ここを離れる決意を固めたところでした」

「数週間か……」

 初音は雷蔵の険しい顔を見上げた。思い当たるとすれば、命緋刀である。

 穢れた刀をどうにかできるのは光念だけだ。光念を殺せば、命緋刀にともなう儀式等の知識は失われるらしい。星暗寺に書物はあるかもしれないが、知っている人間は、現在の星暗寺の僧、計都だけとなるようだ。つまりは塩田玄治以外の人間に刀を継承することは難しくなろう。

 刀を探す一方で、光念の命を狙うのは、当然と言えば、当然かもしれない。

「単刀直入に聞く。穢れた命緋刀を清める方法はあるか?」

「清めるとは?」

 光念が怪訝な顔をした。

 それもそうであろう。彼は、命緋刀が、星暗寺から持ち出されたことも知らないのだ。

「実は、久しぶりに触れたのだ。はっきりとはわからんが、前と違う嫌な感触だった」

 どこで、とも、なぜ、とも言わない。しかし、雷蔵は、まだ感触が残っているかのように手のひらに視線を落とした。

「そもそも、刀に清濁はないはずで、刀身に映るのは、あるじの力なのですから」

 もし、そうならば。

 刀が穢れたのは、主が穢れたということなのだろうか。

「闇王を封じるためには、健康な主の力が必要です。だからこそ、生前に継承され続けてきたと聞いておりました」

 光念はそっと首を振った。

「ただし、それは私が学んだことで、現状にはそぐわない知識なのかもしれません。そのせいで雷蔵さまを不遇な地位へと追い込んだこと、今でも申し訳なく思っております」

「俺は、不遇とは思ってはおらんし、過去について語るために、来たわけではない」

 雷蔵は、大きく息をする。

「お館さまの乾きの病が癒え、継承の必要はないとされて五年。何事も変わらぬかのように見えて、結界はゆるみ、闇の眷属が禁足地の外に現れている」

「禁足地の外にですか?」

 光念が驚いたように目を見開く。

「あり得ません。寺は何をしているのです? 山全体が穢れたら、それこそ闇王を封じることが出来なくなってしまいます」

「そうだな。ゆえに、清める方法はないかと聞いている」

 雷蔵は静かに問いかけた。

 コトリ。風が戸を揺らしていく。光念の表情が険しくなった。

「刀そのものに清濁がない以上、主の力に問題があります。主の健康状態を改善するか、もしくは主を代えるしかありません」

「……そうか」

 雷蔵が静かに瞳を閉じる。

「健康状態は良好のようにみえる。渇きの病は癒えているのだから。原因はそれ以外、とみるしかない。主を代えるためには、現在の主の承諾が必要だ」

「そうですね」

 光念は言葉を選びながら、口を開く。

「どうすればいい?」

「条件はよっつ。ひとつ。新しい継承者がいること。ふたつ。供物をささげること。みっつ。星暗寺の地下にある封印の間に刀を新しい継承者の名で奉じること。よっつ。元の主が契約を解除すること」

 光念は顔をしかめた。

「主が、不慮の事故等で、生命を失ったときは、その躯で解除されるとはなっているのですが、故意に奪う場合は定かではありません」

「……そうか」

「なんにせよ、通常の状態で継承されない場合は、結界が崩れます。封印の間に、奉じるために、闇の眷属と戦わねばならないでしょうね」

 だからこそ。領主は、命あるうちに、刀を継承してきたのだ。

 長い歴史の中で、塩田の家はそうやって、この土地を守ってきた。

「あの」

 初音は重々しい空気の中、口を開く。

「渇きの病と、人の血は、何か関係するのでしょうか? それを得ることで、病が癒えるということはあるのでしょうか?」

「わかりません」

 光念は、首を振った。

「ただ、もともと命緋刀は、主の命を吸い取るもの。渇きの病は、それゆえの病。血は、命の根源をなすものですから、無関係ではないかもしれません」

「……もし、そうであるならば、お館さまの病は癒えていないのかもしれません」

 初音は朱美の話を思い出す。

 玄治は艶の血を舐めていた。そもそも、計都の血を飲み、病が癒えたという話もある。

「無理やりに引き延ばしているゆえに、不都合がでてきたのではないでしょうか?」

「そうかもな」

 初音の言葉に、雷蔵は大きく息を吐いた。

「……八歳の従弟に任せるわけにもいかぬか」

 小さな呟きは、決意の言葉でもある。

「雷蔵さま」

 初音は雷蔵を見る。雷蔵の大きな瞳に、決意のいろが映っていた。

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